後編

 結局わたしはそのお屋敷に引き取られることとなった。しょせんわたしはまだ小娘で、どうすることもできなかった。


「本当の娘だと思って、君を引き取ったんだ。だから、きみもわたしのことを父親だと思ってくれ」


 そう言ってくれた旦那様は優しい方だった。彼が雇った使用人たちもみなわたしに優しく接してくれた。


 だが一緒に暮らしていて、彼らとわたしはまったく違う世界で育ったのだと嫌でも気づかされた。


 旦那様の友人である男性が屋敷に訪れた時のことだ。その人は奥方と娘を一緒に連れてきており、旦那様と同じようにとてもきらびやかな人たちだった。


 娘はわたしと同じくらいの年齢で、屋敷に滞在する間、わたしたちは一緒に遊んだ。いいや、わたしが一方的に彼女に遊ばれていただけかもしれない。彼女はわたしのことをあれこれと聞いては、自分と比べてわたしを嘲笑った。何かわたしが行動するたびに、本物のレディはそんなことしないといちいちケチをつけるのだ。


「あなたは本当の子じゃないから、失敗ばかりするのよ」


 純真で、いたいけなその子の言葉はわたしの心を容赦なく傷つけた。


 でも旦那様たちには言えなかった。だって本当のことだから。言っても困らせるだけだとわかっていたから。


 元の生活が恋しくて、寂しくて、わたしはロビンに会いたくてたまらなかった。


 でも、別れたっきり彼はわたしの前には姿を見せてくれなかった。一度こっそりと森の方へ探しに行ったことがあったけど、彼の姿を見つけることは叶わなかった。結局一人でとぼとぼと屋敷に帰り、旦那様たちにもひどく怒られることとなった。最後には無事でよかったと心底安心した彼らの表情を見て、わたしはもう彼とは二度と会えないのだと諦めることにした。


***


 そして何回か季節が巡り、わたしも立派なレディへと成長した、ように思う。


「素敵ですわ、お嬢様」

 そう使用人の女性が誉めてくれても、わたしは自分に自信が持てなかった。

「そう?この髪おかしくない?」

 波打つような自身の髪がわたしはどうしても好きになれなかった。癖のない真っ直ぐなブロンドが羨ましかった。

「いいえ、とっても素敵ですわ。ね、旦那様」


 わたしは驚いたように後ろを振り返った。そこには優しく微笑むこの屋敷の主人がいた。わたしは先程の会話を聞かれていたことが恥ずかしくて、少し下を向いた。


「ああ、彼女の言うとおりだ。とっても綺麗だよ」

「……ありがとうございます」

「あれからまだ数年しか立っていないのに……本当に女の子の成長は早いものだ。もう立派なレディだ」


 旦那様はわたしを実の娘のように育ててくれた。わたしはそれがくすぐったくて、いまだになれなかった。父が生きていたら、ちょうど旦那様と同じくらいの年齢だろう。


「もうそろそろお前にも婚約者を紹介しないとなあ……」

「お嬢様なら、きっと素敵な殿方に出会えますわ」


 わたしは旦那様たちの会話に気が重くなった。自分が見知らぬ男性と結婚するということに、どうしても実感が持てなかった。わたしの胸の中には、まだ忘れがたい人が住みついていたのだ。

 

 そんなある日の晩。そろそろ寝ようかと思っていると、コツコツと窓枠が叩く音がして、わたしは泥棒かと思い怖くなった。誰かを呼んでこようか。そんなことを思い、そっと遠めから確認すると、懐かしい風貌にわたしは慌てて窓を開け放つ。


「ロビン!」


 思わず大きな声が出てしまい、ロビンが慌てたようにしいと口に指を当てた。わたしは声を落として、これはいったいどういうことだと尋ねる。話しかけながら、これは夢ではないだろうかと思った。


「どうしてここに?」

「なあに、近くまで寄ったんで元気にしてるか様子を見に来たんですよ」


 ロビンは照れ臭そうに笑った。あれから数年たっているというのに彼はちっとも変わっていなかった。


「そう……でも、すぐに帰った方がいいよ。屋敷の人に見つかると面倒だから」


 これは本当のことだったけど、ロビンとの最後が思い出されて、それがそっけない態度につながってしまった。本当はロビンが来てくれてとても嬉しかったけれど、どうしても彼を許すことができない気持ちの方が強かった。


 彼はわたしのそんな歓迎していない態度を敏感に読み取ったようだ。やれやれと肩を落とした彼の仕草は、まるで我儘をいう子どもをあやすようだった。


「もう前みたいには喜んではくれないんですかねえ」


 わたしは答えなかった。こうなったわたしは絶対に譲らないと知っているせいか、ロビンはすぐにあきらめて、今日はもう帰りますよと言った。


「また、来ますよ。お休みなさい」


 そして深くフードをかぶると、ロビンは闇の中へと消えていった。わたしはその暗闇をしばし見ていた。やがて冷たい風が頬を撫でると、窓をしっかりと閉め、そっと机の引き出しに入れておいた小さな箱を取り出した。


 その中には、かつてロビンからもらった銀の指輪が入っていた。お屋敷に来てしばらくの頃はロビンに会いたくて肌身離さず持っていたのだけど、彼にもう会えないのだと諦めてからは、思い出さないようにとしまっておいたのだ。


 捨ててしまうことも考えたけれど、それだけはダメだともう一人の自分が強く反対したのだった。これを失えば、本当にロビンとお別れすることになるのだと。


 指輪をそっと掌にのせる。ロビンとの思い出が強く呼び起こされる気がした。


「どうして今さら来たの? ロビン……」


 もっと早く会いに来てほしかった。

 そうすればわたしは、素直に喜ぶことができたのに。許せることができたのに。


***

 

 ロビンは言葉通りにまた来た。

 しかも旦那様が留守にしていた昼間に、だ。


 ふいに外の方を見た時にロビンが近くの木から手を振ったので、わたしは驚きで心臓が止まりそうになった。慌てて窓を開けると、彼はひょいとわたしの部屋へと飛び移った。水たまりを飛び越えるかのような軽やかさに、わたしはただ呆然とする。


 ロビンはふうと息を整えると、まるで挨拶でもするように言った。


「勉強ばかりでつまらないでしょう? たまには出かけましょうよ」

「……そんなことできないよ。見つかったら怒られるもの」


 ニヤリと彼は不敵に笑った。それはむかし、悪だくみが成功した時によく見せる顔だった。


「大丈夫ですよ、ばれやしません」


 彼は窓を開け、わたしに捕まるように言った。彼の意図が分からず、いや、うっすらと想像はついたのだが、認めたくなくて、戸惑うようにわたしはロビンを見た。


「なに、するの?」

「木に飛び降りるんですよ」


 当たり前だろというロビンに、わたしはぶんぶんと首を横に振った。


「だめだよ! ロビンが怪我するよ!」

「はいはい、大丈夫ですよっと」


 頑なに譲らないわたしの様子に業を煮やしたのか、ロビンは半ば強引にわたしの体を抱えた。彼の顔が、吐息がぐっと近くに感じられ、わたしは驚きと恥ずかしさでじたばたと暴れた。


「ロ、ロビン。下ろしてってば! 屋敷の人にばれたら、大変なことになるんだよ」


 その危険さは彼の方が十分わかっているはずだ。それなのにこんなことをするなんて。わたしは彼が何を考えているのかまったくわからなかった。


「ちょ、暴れるなって。いいから、大丈夫ですよ。俺を信じて下さいってば」


 ロビンはその言葉通り、ひょいと木に飛び移った。わたしは落ちてしまいそうな気がしてとっさに彼の首にしがみつく。ぐっと彼との距離が近くなり、息遣いや懐かしい彼の匂いがした。顔が熱くなり、でも、木から下りる怖さで、わたしはすぐに顔を青くした。


 わたしの心配をよそに彼は片手を器用に使いながら木を下りていく。そして下り終わると、優しくわたしを地面に下ろしてくれた。


「さ、行きましょう」


 わたしはもう考えるのが面倒になってしまい、なるべく早く帰ってくることにした。彼に手を引っ張られるようにして森の中へと入っていく。懐かしい景色に子どものころを思い出して、嬉しさと切なさで胸が苦しくなった。


 ロビンは泉の見える少し開けた場所にわたしを連れてきた。衣服が汚れないようにとハンカチを敷いてここに座るよう促す。まるで紳士のようだと思いながら、わたしは素直にそれに従った。


 しばらくわたしたちは無言になった。小さい頃は次から次へと話したいことがあって、会話が途切れることはなかったのに、今は何を話せばいいかちっともわからなかった。


「……ロビン、どうして敬語で話しているの?」


 沈黙が辛くて、わたしはずっと疑問に思っていたことを口にした。ロビンはちらりとわたしを見たが、すぐにまた視線を前に戻した。


「そりゃ、もうあんたは俺と違って身分ある人ですからね。立場を弁える必要があるんですよ」


 わたしは彼が自ら壁を作っているようで寂しく感じた。昔は最も近くにいた彼の存在が、いまや一番遠い人のようだった。

 虚しくなって、やっぱり来なければよかったと思った。後悔しながらわたしは腰を上げた。


「わたし……帰るよ」

「もう少し、いいじゃないですか。せっかく再会できたんですから」

「旦那様たちや使用人の方が心配しているかもしれないから」


 ロビンと会えたのに、辛い気持ちになるのが嫌だった。逃げるように彼に背を向けると、彼が後ろから手を握りしめた。

 行かないでくれ、というように。


「……ずっと、会いたかった」


 その声にわたしは駄目だと思いつつも、ついに振り返ってしまった。


 ロビンがわたしをじっと見つめる、その瞳は熱を持っているようで、わたしは軽い眩暈を覚えた。彼がそっと顔を近づけてくる。わたしは最後の力を振り絞って、それを拒んだ。目に力を込めないと泣いてしまいそうだった。


「どうして、いま、そんなこと言うの?」


 どうして、あの時、その言葉を言ってくれなかったの? わたし、ずっと待っていたんだよ。わたしはそうロビンを責めるように何度も彼の胸を叩いた。


「……言えるわけ、ないじゃないか。俺はきちんとした職に就いていたわけじゃわけねえ。そんな俺があんたと暮らしたいって言っても、心中してくれと頼むようなもんじゃないか」


 敬語が外れて、昔のような砕けた話し方になっていくのが、彼の嘘偽りのない本音を表現しているように思えた。


「……わたしはそれでもロビンと一緒にいたかった」

「あんたにはわかりっこねえよ」


 わたしは必死に心の中で、素直になりたいという気持ちと許しちゃだめだという気持ちがぶつかりあっていた。


「……アリア」


 許しを請うような囁き。

 ずるいなあと思った。そう思ったのがわたしの負けだった。わたしはどうしたって彼に敵いはしないのだ。


「……でも、またこうして会えて嬉しい」


 顔を上げて、ロビンの瞳をまっすぐに見つめた。素直なわたしの言葉に、ロビンは驚いたように目を丸くする。わたしは彼ともう一度とやり直したい。そう思っているのはわたしだけかもしれないけれど。


「……あの時、きちんとお別れできないこと、ずっと後悔していたの。もう二度と会えないと思っていたから、ロビンとこうしてまた会えて……よかった」


 本当はすごく嬉しかった。それをまだ素直に言葉にはできないけれど、ずっとしこりのように残っていた気持ちは伝えたかった。


「……俺も、あんたに会えて嬉しいですよ」


 ふわりと、いつになく屈託ない笑みをロビンは見せた。わたしはそれが珍しくて、つい釣られるように微笑んだ。


 わたしたちは長い間会えなかった時を噛みしめるように、長い間見つめあった。

 止まっていた時間が、ゆっくりとまた動き出すのをわたしは感じた。


 わたしとロビンはまたあの時と同じように、仲の良い二人に戻っていくことができるのだ。

 

***

 

 ロビンはそれから頻繁にわたしを誘いに来た。今まで会えなかった時間を取り戻すように。


 最初はまだそれを拒むようなぎこちないわたしの態度も、もうそれを貫き通すのは難しくなっていた。今日は来てくれるだろうかと、いつの日か彼の来訪を待ちわびる自分がいた。


 不思議なことに、彼はいつも旦那様の留守の時を狙って来た。それはまるで事前に旦那様が出かけることを知っているような偶然さだった。


 旦那様や使用人はわたしが家から出たことに気づいていないようだった。旦那様は特に外出先で何かあったのか、非常に疲れた顔をしていることが多くなった。使用人たちもそんな彼に気を取られ、わたしを気にかけている余裕がなかったのだろう。


「アリア」


 ロビンはわたしに再会してからというものの、よく名前を呼んでくれるようになった。子どもの頃はあんたとか、たまにからかってお嬢ちゃんとかそんな呼び方ばっかりだった。だから名前を呼んでもらって嬉しかったけれど少し戸惑う気持ちもあった。


「なあに?」


 振り向き様に、彼はそっとわたしのおでこに口づけした。完全なる不意打ちであった。


「顔が真っ赤ですね」


 ニヤニヤと笑う顔に苛立ち、わたしは彼のほっぺをつねった。けっこう力を入れてやったので痛いはずだ。


「いひゃい、いひゃい、わるかったれす」


 降参だと手をあげたのでわたしは渋々離してあげた。だが、それが甘かった。


「うりゃ、お返しだ」


 彼は素早い動きでわたしのお腹や脇をくすぐった。地面に倒れるようにして、わたしは彼から逃げるように身をよじった。


「あはは、ロビン、くすぐったい、やめてってば、ふふ」

「ほう、もう、降参ですかい」


 その言葉に何度も頷き、彼のくすぐる手を止めるように腕を握った。はあはあと乱れた息を整えて、わたしはロビンの方を見てどきりとした。動きを止めたロビンがじっとわたしを見下ろしていたのだ。


「ロビン?」


 その眼差しがあまり見たことがないくらい真剣だったので、わたしは急に怖い気持ちになった。ふっと彼が笑った気がするのと同時にわたしは目を瞑った。予想していたのとは違う衝撃が走り、体にどんと重たいものが乗っかった。


「あー…疲れたわー…」


 ばさりとロビンがわたしを抱き締めるように倒れこんできたのだ。いつもの彼の調子にわたしはどこか安心してしまった。


「ロビン、重いよ」


 彼の体温を感じ、わたしは緊張してきた。この鼓動の煩さが彼にばれていないか、わたしは気が気でなかった。彼はそんなわたしの心情なんて知らずにぽつりときいた。


「なあ、お屋敷での生活は楽しいかい?」

「……うん、すっごく、楽しいよ。食事は美味しいし、綺麗なドレスも着れるし、それに面白い本もたくさん読めるもの」


 嘘だ。ぜんぶ、嘘。


 食事はナイフやフォークの使い方やらで、味を楽しむ余裕なんてほとんどない。ドレスも汚れるといけないからじっとしていなさいって、窮屈でたまらない。本も、難しい内容のものしかなくて、ロビンが昔話してくれたお話の方がずっと面白かった。


 楽しいことなんて、これっぽちもなかった。でも、ロビンにそれをいうのは悔しい気がして、ロビンがあのときわたしをひき止めなくて本当によかったと、わたしは彼にそう思ってほしかった。


 ううん、きっと、それも嘘。わたしは素直になれない自分が嫌で、泣きそうになった。昔のように彼に素直に自分の気持ちを伝えたかった。


 でもロビンはわたしの言葉を信じたようだった。


「そうですか……それは、残念です」

「……どうして?」


 ロビンはわたしのことが嫌いなのだろうか。楽しいと言っているのに、残念だなんて。わたしのためと思って屋敷に預けたと言ったあの言葉も全部嘘だったのだろうか。


「あんたが、辛いっていうなら、掻っ攫う理由になったんですがねえ」

 困ったようにわたしの頭を撫でながら、彼はそう言った。

「でも、その必要なかったみたいですね。忘れて下さい」


 よっこらせと起き上がろうとする彼の首もとにわたしは自身の腕を絡めた。昔抱きついた時と同じ、彼からは草木のにおいがした。あの時と同じように、素直になりたかった。


「……嘘だよ。本当は、全然楽しくないの……それに、ロビンに会えないのが一番辛かった」


 お願い。わたしをさらって。


「……いいんですか?」


 彼は、怖いくらい真剣な表情をしていた。もう、二度と戻ることは許されない。それでもいいのか、と。


「うん。ロビンと一緒にいたい」


 ロビンは、薄く微笑んだ。それは、見る人によってはどこか崩れた笑みだと思える暗い何かを感じただろう。だが、恋に酔っていたわたしには、ただ甘い微笑みにしか見えなかった。


***


 夜中に鍵をこっそりと開けておいてくれ、というロビンの言葉にわたしは素直に従った。ここから彼が、わたしを颯爽と連れていってくれるのだと思うとわくわくした。


 彼に言われたとおり、わたしは旦那様や使用人にばれないように、こっそりと家の鍵に、窓の鍵も開けておいた。これなら、彼はどこからでも簡単に入ることができるだろうと。


 約束の時間を少し過ぎたころ、家に住む旦那様や使用人たちの悲鳴が聞こえた。わたしはロビンがきっと彼らの注意をひこうとして、そのすきにわたしを連れだすのだと思っていた。


 そして、それは当たっていた。ただ違うことは、足止めするのに、日頃裕福な暮らしをする旦那様たちを恨む村の人々を利用したことであった。そのためには血が流れても、人が死んでも構わなかった。


 お屋敷にはロビンではない別の人間たちが次々と入り込んできた。農耕具を手にした農民たちがなんのためらいもなく旦那様たちや使用人を殺してゆく姿をドアの隙間から見てしまったわたしは逃げるように自分の部屋へと走った。


 他にも厳つい男たちが下品な笑い声をあげながら女性の使用人たちを襲っていた。わたしは怖くて、ようやく自分の部屋にたどり着くと、震えながらベッドの下に潜り込もうとした。だが、わたしを追いかけてきていた何人かの男たちがギラギラと獣のような目でわたしを見つけ、床下から引きずりだした。


 わたしが悲鳴をあげながら身をよじって逃げようとするのを、男たちは愉快でたまらないというふうに笑っていた。わたしは頭の中で繰り返し、繰り返し同じ名を呼び続けた。


 ――ロビン、ロビン、ロビン!

 

「その子は駄目だって言ったじゃねえかよ」


 まさに心の中で助けを求めていた人物が目の前に現れた。


「ロ……ビン」

「あーあ、可哀想に。こんなに震えて」

「おい、ロビン。別にいいじゃねえか」

「駄目だ。ほら、別嬪さんならまだ他にいるんだから、そっちにいった、いった」


 彼がしっしっと手を振ると、男たちは舌打ちをしながらもしぶしぶとわたしからどいた。そしてロビンがひどく心配したような表情でわたしの顔を覗き込んだ。


「遅くなっちまって悪かった。村の連中が血気盛んでなあ。俺が最初に行くっていうのに、押しのけて行くもんだから」


 彼がそう言いながら、倒れ込んでいたわたしをゆっくりと起こすと、わたしの乱れた髪や衣服を丁寧な手つきでなおしてくれた。


「どういうこと……わたし……」


 あの男たちはいったい誰なのか。どうして村の人たちが旦那様たちを嬲り殺しているのか。どうしてあなたはそんな平気な顔をしているのか。


 聞かなければならないことはたくさんあるはずなのに、あまりの出来事にわたしの頭はついてこず、でも、取り返しのつかないことになってしまったということだけはわかり、涙があふれてきた。


「……ここは、危険だ。とりあえず安全な場所に逃げましょう」


 ロビンはわたしを抱えて立ち上がった。窓を開けて、いつものようにするりと彼は木から下りる。村人たちはまだ中で騒いでいるようだった。先ほど見た光景が鮮明に蘇り、わたしはがくがくと震えだした。ロビンはそんなわたしに優しく言った。


「怖いなら、目を閉じているといい」


 彼を信じていい確証はないのに、今はそれにすがりたくてわたしは言われるがまま目を閉じた。


***


 目を閉じていた時間は短いようで、永遠の長さに感じられた。ロビンにもう大丈夫だと言われてわたしは恐る恐る目を開けた。


 たどり着いたのは、かつておじいさんと一緒に暮らしていた小屋であった。


「驚いただろう? あんたが出ていってからも、ちょくちょく手入れしていたんだ。今日からはここに住むといい」


 ロビンは中に入り、わたしをゆっくりとベッドの上に座らせた。


「何か、飲むかい?」

「ロビン、あなたは、あの人たちの仲間なの?」


 彼の問いに答えず、聞きたかったことを単刀直入に尋ねた。ロビンはガシガシと頭をかきながら、少し気まずそうに説明した。


「なに、利害関係が一致しただけですよ。あの屋敷を目の敵にしている奴は大勢いた。盗賊の一味も屋敷の金品を狙っていた。俺はあんたをさらいたかった。ほら、なら大勢で事を進めた方が、あとで融通がきくでしょう?」


 わたしはロビンの言葉をそのまま信じることができなかった。彼が本当の目的としていたことは、あの残虐な出来事を引き起こすことで、わたしはそのために利用されたにすぎないように思えた。それに疑問に思ったことはまだあった。


「……あんなふうに殺す必要があったの」


 わたしの納得しかねる様子に、彼は先ほどとは違い、初めて聞くような冷たい声で言った。


「俺は言ったはずですよ。本当にいいのかって」

「こんなことになるなんて、知らなかった」


 はっ、とロビンはわたしを嘲笑うように冷たく笑った。わたしは彼にそんな態度を今までとられたことがなかったので、ひどく動揺する。


「じゃあ、なんですか。俺が颯爽と王子様のように現れ、あんたを掻っ攫っていくのを想像していたんですか?」


 わたしはかあと頬が熱くなった。それを彼は乾いた声で笑った。


「おいおい、まじかよ。本当にあんたはいつまでたっても、お嬢ちゃんだなあ」


 呆れたようにロビンは言いつつも、その声はもういつもの彼だった。


「なぁ、アリア。そんなに難しく考えるな」


 ロビンはわたしの隣に腰かけると、先ほどとはうってかわってわたしの頭を優しく撫でて、わたしの機嫌をとろうとした。いつものわたしだったら、なんだかんだ言いつつそれで誤魔化されただろう。


 だが、今のわたしにはそれがどうしようもなく汚らわしいものに思え、振り払うように彼の手をどけた。


「ずっと、こんなことを繰り返してきたの?」

「……貴族の連中は俺たち庶民を見下す奴らばっかりだ。殺されても仕方がないさ」

「あの人たちは、違うよ。優しい人だよ」

「それは、あんたの前だからですよ。みんな、あんたには優しかった」

「そんなことない! みんな旦那様のことを知れば、あんな……ひどいこと、できるはずがない」


 旦那様の優しい顔が思い浮かぶ。お嬢様、と甲斐甲斐しく世話してくれた使用人たちの顔も。そんな彼らが村人たちに無惨に殺されていく様を思い出し、涙が頬を伝った。


「……内面なんてどうでもいいんですよ。連中にとっては。自分達がひもじい生活をしているのに、豊かに暮らしている人間がいる。それだけで、気にくわないんですよ」

「そんな……」


 わたしは納得できなくて、そんな事実は認めないと頭をゆるく振った。何より、ロビンが優しい彼らを利用したことが、わたしには一番ひどくこたえた。わたしの失望を見透かしたようにロビンは笑みを浮かべた。


「俺は、こういう男ですよ。あんたが思い描いていた理想の王子様とやらはまったく違う。目的のためなら、どんな卑劣な手段だって利用する。敵であるならためらいなく殺す。……幻滅しただろう?」


 彼はわたしの涙を優しくぬぐいながら、諭すように言った。あんなにも綺麗で尊いものに思えた緑の瞳が、今はひどく暗い、恐ろしいものに見えた。


「わたし……ロビンのこと、ちっとも知らなかった」

「あんたの前では善人ぶっていたかったんですよ。信じてもらえないかもしれませんけど……あの時、断ってくれればよかったんだ」

「断っていたら……どうしたの?」


 ロビンは薄く、微笑んだ。その笑みを、わたしはもう素敵だとは思えなかった。


「殺しましたよ……かつての娘さんのように、ね」


 昔、森で美しい女性とロビンが一緒にいた姿を見て嫉妬したことがあった。彼の大切な人なのだろうと。でもよく考えてみればあの後わたしは彼女の姿を見かけていない。彼女も、わたしと同じように利用されたのだろうか。わたしも、結局はその女性とたいして変わらなかったということだろうか。


「……ここで、暮らすといい。使いの者に食事を届けますから、何かあったらそいつに頼むといい。……じゃあな、アリア」


 立ち上がってそのまま出ていこうとしたロビンの腕を掴んだ。まるで、いつかの日とは逆だなと思った。


「ロビン、わたしも行くよ」

「……あんた、正気ですかい?」

「本気だよ。ロビンにさらってと頼んだのはわたしだよ」


 わたしの言葉をロビンは顔を歪めて、ゆっくりと首を振りながら否定した。


「そいつは……できません。あんたがいても、足手まといになるだけです」

「あなたが連れていってくれないなら、わたしは屋敷へ帰るよ」

「帰っても、もう誰も生きていませんよ」

「わたしが殺したと告白するわ」


 一瞬、信じられないものでも見るようにロビンはわたしを見た。


「……殺されるぜ?」

「いいよ。このままロビンと暮らせないなら、わたしは生きていても意味がないもの」


 ロビンの誘いになんの考えもなしにのったわたしも、村の人たちと一緒に殺害に加担したようなものだ。わたしが、旦那様たちを殺したのだ。ロビンと一緒に行かないのならば、罪を償わなければならない。


「……後悔しますよ」

「もう、しているよ」


 あの時、森であなたの瞳を美しいと思った時から、きっとわたしは彼に惹かれていた。その時からこうなってしまう運命だったのかもしれない。


 しばらくわたしたちは無言のにらみ合いをした。折れたのは、結局ロビンだった。彼は、はあと長いため息をついた。


「……馬鹿なお嬢さんだ」

「わたしもそう思うよ」


 人を好きになることは、もっと美しいものだと思っていた。幸福に満ちたものだと信じていた。でも、そんなのは夢物語だった。嫌いになりたくても、なれない辛さをわたしは知ってしまった。


 ロビンをもう、昔のように純粋に愛することはできないだろう。それが、辛かった。わたしにできることは、彼の汚さや、醜さも、一緒に受け止めてあげるだけ。それも含めて、愛するだけ。


「ロビンと、ずっといるよ」


 むかし言った言葉を繰り返す。

 彼は痛ましいものを見るかのように目を細めた。そして黙ってわたしを抱き寄せた。わたしも彼の背に手を回した。


「今さら何言っても信じてもらえないでしょうが……アリアと一緒にいたいと思ったのは本当だ……それだけは信じてくれ」

「うん」


***

 

 夢を見ていた。まだおじいさんが生きていて、ロビンと楽しく毎日すごしていたころの日々を。もうあの日々は戻ってこないのだと言われているようで、わたしは夢の中だというのに泣きだしたくなった。


 この夢から覚めたくないという気持ちと、幸せなのに悪夢を見ているようで早く覚めて欲しいと思う気持ち。


「……ア、アリア」


 はっとわたしは目を開けた。ロビンの顔が目の前にあり、わたしは安堵するとともに現実を思い出して重い気持ちになった。


「泣いていたのか?」

 わたしの目元に残る涙を掬うように、彼は優しく指でさすってくれた。

「……ううん。それより、もう行くの?」

 窓を見ると、まだ朝を迎えるには早いように思えた。

「暗いうちに家を出た方が見つかりにくいからな」


 まだ薄暗い中、わたしたちは出かける準備をした。


「どこに行くの?」

「とりあえず、俺の隠れ家に行くつもりです」


 ここにはもう帰ってこられないかもしれない。ロビンは黙ってわたしを見つめた。その瞳は、やっぱりやめるかい? と訴えていた。そんなことしないよとわたしは彼に微笑んだ。ロビンは、もうあきらめたようにため息をついた。


「じゃあ、行きますか」

「うん」


 差し出された手をわたしは離さないよう握りしめた。



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ロビン 真白燈 @ritsu_minami

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