第2話 思いがけない誘い





―――当時の勤め先は、大手チェーンの定食屋だった。


 昼食時にはサラリーマンやOLが引きもきらない。

 日替わり定食が880円というのは、彼らにとって安いのか高いのか。従業員は、まかない食として月にいくらか給料から差し引かれ、似たようなものが出る。880円支払うなら、きっと私は食べない――美弥は、思う。


 大企業が密集するこのあたりは、乱立する飲食店が似たような価格設定で客を奪い合い、しのぎを削る。客たちはその日の気分次第で選びたい放題の中から店を選ぶのだろう。



 そんな中で、美弥の勤める定食屋に毎日通う客がいた。



 顔なじみの客はたくさんいたが、さすがに毎日来る客は珍しい。

 五十歳前後のいかにも真面目然としたエリートサラリーマン風の男だった。さほど興味も無いままに、よく飽きないもんだな……とぼんやり思っていた。


 

 通い続けるその男と少し世間話をかわすようになった頃、思いがけず食事に誘われた。驚きもしたが、まず不思議だった。

 


 なぜ私なんかを誘うんだろう――と。



 ランチの時間帯の同僚の中には、男性客の目を引くスタイルのよい子や愛想のいい可愛らしい子もいる。長年の経験上、こんな大衆食堂で働く女にシンデレラストーリーは訪れないが、イケメンのエリートサラリーマンを捕まえてやると、ばっちりとメイクをし、日々気合を入れている子もいる。 



 そのなかで美弥は自他共に認める目立たず、おまけに愛想すらぎこちない女だ。男は自分が年かさである事に引け目を感じ、落としやすそうなところに狙いを定めたのだろうか、あるいは新興宗教やあやしげなビジネスの勧誘なのか、そんなことを思った。 



 美弥はシンデレラストーリどころか、ごく普通の恋愛すら長いあいだ遠ざかっていた。恋に対し、自分には関係の無い、世間の人が楽しむ催し事のような感すらもっていた。

 いや、恋だけではなく、あらゆることに関して感情が茫漠としている。

 生きているといえるのかわからないぼんやりとした時間を過ごしてきた。視界に薄い靄がかかったようになった14歳の頃から―――。



 やんわりと断っていたが男の粘り強い押しに根負けし、食事に付き合うことになった―――。










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