第7話

「大丈夫では無い様ですね」


「なんか、薬指とおでこが熱くて身体の中で気みたいな熱いのがぐるぐるして…」


 玄関ホールでへにゃりと座り込みかけた彼女を抱き上げると寝室へと向かう。


「中途半端に済ませてしまったのが仇になりましたね。少し痛みますが失礼」


 そう宣言して頭を軽く上げさせると右の耳たぶに牙を立て、一つ小さな穴を開けると何処からか取り出した、全てが琥珀のようなモノで出来たピアスの様なそれを刺す。


「馴染めば消えます。あとは貴女に血を分ければ。さぁ口を開けて」と左薬指を噛み裂き、滴る鮮血を小さく開いた口の中へと指ごと入れる。


「…ん……ゥグッ!んッ!カハッ」


 一度嚥下すると噎せる様に頭と背筋が跳ね、力無く閉じていた目が極限迄開かれ、虹彩の色が目まぐるしく変わっていく。

 生理的な涙がぼろぼろと溢れるが、最初の内だけ苦しんでいた反応が次第に無くなり、やがて母親の乳を吸う赤子の様に貪欲に吸い付く。


 額に曼珠沙華の様な紋様が、小さくも鋭く赫い色彩を光を一際強く放つと次第に淡い光となって消えた。

 それが落ち着くと一瞬左頬に鱗の様な紋様が蒼銀に光り、消える。

 ぜぇはぁと必死に酸素を求めて喘ぐ様子を確かめると。

「次は貴女の番だ」と妖しく笑む。


 大量の記憶と知識、人ならぬモノとしての力がまだ頭蓋にガンガンと響き、目眩がしたがこれしきの事で気を失うのはと、新たに生まれた矜持が許さなかった。


「ゆっくりで構いません」と甘やかす声に目で頷き、生えたばかりの小さな牙で自らの左薬指を噛み裂き、彼の左耳たぶにも穴を開ける。

「聞こえ給へ、聞き届け給へ。畏み畏み申さく」と小さく略した祝詞を捧げると、自らの血で練成した全てが司教石の様なモノで出来たピアスのような物を開けたばかりの穴に差し込んだ。


「初めてにしてはお上手です」と目を合わせ、笑みを浮かべる彼に縋り付く様に抱き締めると小さく微笑み返す。


「少々癪に触りますが、龍神からの加護は断ち切れない様です。まぁ保険が増えたと思いましょう」と左頬を確かめる様になぞると穏やかに彼は告げ。

《右の耳に証を着けるのは庇護される側の意味合いで、左の耳の証は庇護する者が居る意味合いがあり、互いの目や髪の色を贈るのは"番"の証》だと古き神の為来りを記憶をなぞる様に教える。


「我、花を祝福する。新しき血により再び世に顕現せし」

「我、古き神の花として新しき血による顕現を言祝がん」


 そして互いの血に染まった薬指を絡め、口付けを交わすと薬指に薔薇の蔓の様な模様が浮かび、それが更に蕾を為し、しゃらんと赫く花開いて消える。


「暫くは日光に弱くなるやもしれません。食事や菓子なども摂らなくでも死にはしませんが、定期的に互いの血が必要になるのでは無いかと。不自由を掛けます」


「それくらい構わないよ。それより番と眷族はどう違うの?」


「私は今迄、番に迎えた者が居ないので詳しくは分かりませんが。

他の例から行くと片方が死を迎えると番った者も衰弱したり、凶暴化したりという事案がありました。

私達は無限の時を亘る者、番う伴侶を得られるかはどの時代になるのかすらも、此ればかりは分かりません。互いの血を必要とする関係になるのも危険性が高いですし、私自身もイレギュラーな事態に少々驚いています」


「他の人間を喰らうのは禁忌だっけ?昔は贄とか覡や巫を生き餌にしてたよね」


「生き餌が必要になるのは所謂人間の言う処の免疫抗体を作る為です。貴女も元の身体の免疫が薄かった故に理解しやすいかと思いますが、一定の病原体に対するワクチン接種と同じ様なモノです。その贄の致死量迄喰らうのは禁忌とされていましたが、共に暮らす内に喰われたいと贄の方から言い出す事が大半だった気がします」


「なるほど。まだ知識がインストールされたばかりだから全てを網羅出来てないみたい。凄い情報量だし」


「追々慣れて行けばいいのですよ、滅多な事はそうそう起きませんし」


「そうだね」


「少し眠りますか?」


「その前に血、洗い流してから着換えたいな」


「それくらいならわざわざシャワーで流さずとも」と指をぱちんと鳴らすと、乾いてこびり付いた血もまだ乾かぬままの血や噛み裂いた指先も、最初から何も無かったかの様に全てが綺麗に無くなる。


「慣れれば貴女にも出来ます」


「まるで魔法使いみたいね。御伽話とかに出て来る」と笑いかける。


「さぁ、ゆっくりで構いません。起き上がれますか?」と顔を覗き込む見事な琥珀色の双眸にドキッとする。

 先程琥珀の様なモノを差し込んだ右耳から伝わる微かな違和感を意識してしまうのも仕方が、無い。


「もしかしてさっきのピアスみたいなのって、瞳の色?」


「ええ」


「じゃあ私の目、まさか」

 

「そのまさかです。生きた司教石の様な美しさです。恐らくは私と同じように時折色が変わるかと」


「カラーコンタクトだって誤魔化せばいいかな」


「誤魔化さずとも瞳術を使えば相手は違和感を持ちません。覚えましょう」


「慣れなきゃいけない事ばかりだね」と苦笑いを浮かべる。


 先ずは自分の今の姿を確認したいと、ゆるゆる起き上がると洗面台に向かう。

 蛍光灯が照らす冷たい光の下で確かめると見慣れぬ色彩に少し驚く。


「でも意外と違和感、無いかも」と呟く。


「額の花紋を一時的に出してみましょう」


 するりと後ろに回り込まれ、額を撫でられる。

 シャン!と小さな音がして、額の真ん中に赫く咲く紋様は自分が知る彼岸花に似ていた。


「彼岸花?」と呟く。


「そうとも言いますが、それは敵対するモノにはその意味合いになるだけです。正しくは曼珠沙華、極楽浄土に咲く祝福の花です」とふわり抱き締められ、鏡越しに琥珀色が微笑む。


「祝福の、花…」


「貴女に相応しい花紋です。誇るに足るものかと」


「ありがとう、カイさん」


「漸く名前で呼んでくれましたね」


「あ…」


「厳密に言うと"さん"は要りません。これも慣れましょうね」


 思わず赤面して俯く。

初めて恋に落ちた乙女の様に。


「は、はい…」

 

 そう返答するしか出来ないのは仕方無いと胸の中で誰にとも無く言い訳をしてしまう。


「後ろめたい事は何もありません、慣れて下さい。分かりましたね?」


 まるで見透かされた様に頬を親指の腹でなぞられ、ぞくっとする。

 性的な意味合いのそれに取れても仕方が無い程の感触に戸惑うが、押し殺して笑むしか無い。


「分かりました。でも時間が欲しい、かな。今でも精一杯だから」


「やはり貴女は可愛らしい」


「うーやっぱり恥ずかしい!」と振り返って絹に包まれた逞しい胸に顔を埋めると、抱き締め返される。


「もぅ…悔しいけど、幸せ」

「同感です」


 今は、ただこの幸せに包まれていたいと強く願った。

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