第264話 本能寺の変


     /


 やや時を遡り、六月一日。

 丹波亀山城にて変事が起きていた。


「秀満、利三、首尾は」

「ぬかりなく」

「こちらも手筈通りに」


 明智家の重臣である明智秀満と斎藤利三は共に返り血を浴びた状態で、殺気だった気を抑えるようにして、光秀へと報告する。


「久通殿は」

「すでに討ち取ってございます」

「……そうか」


 利三の答えに、光秀は重々しく頷いた。

 計画通りに事が進んでいるのであれば、松永久通を始め、主だった松永家の重臣は討ち取るなり捕縛するなりできているはずである。


「松永家臣の森好久がこちらに協力すると申したゆえ、生かしてありますが」

「よし。丹波衆を掌握するのにうまく使え」

「ははっ」


 亀山城にあった光秀はこの日の夜、僅かな時にて城とその手勢の掌握に成功した。

 もともと城内にいたとはいえ、それは見事というべき程の手並みであったといえる。


 丹波衆一万と光秀の手勢三千を合わせ、およそ一万三千余の軍勢は、準備が出来次第随時丹波亀山城を出陣。

 これは城内の変事を兵に悟らせないために、光秀が事を急いだからである。


 兵にはとりあえず摂津に向かうと告げ、一方で情報漏洩を徹底して防いだ。

 そして酉の刻になり、全軍は篠村八幡宮に集結。


 光秀はここで軍議を開き、明智秀満、明智光忠、斎藤利三、藤田行政、溝尾茂朝といった明智家臣の中で重きを為す者たちを呼び集めた。


 ここで再度計画に抜かりが無いかを確認した光秀は、進軍を再開。

 昼夜を問わずに進軍し、日付が変わって二日未明には、桂川へと到着した。


 明らかに京を指向していることに、兵たちも当然気づき、ただならぬ雰囲気を感じてはいたが、それらしい噂が流れたことで皆納得し、戦闘準備を整える。

 その噂とは、京に滞在中の織田信忠を討ち取るべく、色葉が光秀に密命を与えた、というものだった。


 織田家は朝倉家の宿敵であり、しかも光秀の仕えた信長の立場から見れば、信忠は謀反人である。

 坂本衆はこれで納得したし、丹波衆も疑問は覚えなかった。

 ここで一気に織田家を滅ぼしてしまおうという算段であると、兵たちは皆思ったという。


 急ぎ桂川を渡河し終えたところで、夜明けとなる。

 光秀より先鋒を任された斎藤利三は、更に兵を急がせて市中へと進軍し、目的地へと向かった。


 目指す先は、本能寺である。


     ◇


 一万三千のうち、本能寺に向かった三千の明智勢は、寅の刻には寺を完全に包囲し終えていた。


 寺内では外の物々しさにさすがに気づき、誰何の声などあがったが、これに応えることなく明智勢は討ち入りを開始。

 門を打ち破り、雪崩れ込んだ明智勢はその瞬間、木っ端の如く吹き飛ぶことになる。


「慮外者どもめ! ここを誰が宿所と心得るか!」


 大音声で叫ぶは、身の丈七尺はあろうかという偉丈夫で、その手にあるのは五尺三寸の真柄の大太刀である。


 再びその太刀が振るわれれば、とてつもない颶風が発生し、直撃を受けた者などは見るも無残なほどにばらばらになって、千切れ散ってしまう有様であった。


「鉄砲隊、前へ! あれを牽制しつつ、突入を果たせ!」


 指揮を執る斎藤利三に応じ、無数の明智勢が寺内への突入を果たしていく。


 如何な大太刀を振るう真柄直隆といえども数の暴力には敵わず、徐々に後退を余儀なくされていった。


 寺内では応戦する手勢と明智勢が切り結び、騒然となる。

 そして次々に射かけられる火矢により、寺内が煌々と照らされていく。


「おのれ、明智光秀が別心か! 色葉様を……っ!!」


 纏わりつく雑兵を蹴散らしながらも足を止められた直隆の叫びは、ただ虚しく響き渡るしかなかった。


     ◇


「まさかのう、このような最期を用意して下さるとは、何とも気の利いたことであるよ」


 討ち入りが始まってより、どれほどの時が経過しただろうか。

 最初は槍を手に応戦の構えをみせた松永久秀も、歳には勝てんと放り出し、自身がつれてきた僅かな手勢に後を任すと奥に引っ込んで、秘蔵の茶釜を手に一服することにしたのだった。


 それでも幾度かは敵兵の侵入を許し、その度に傍に侍る清姫によってそれらは焼き殺されていた。

 しかしそのせいで、すでに周囲は炎に包まれつつある。


「……清にはわかりません。清と共にあれば、この場から逃げることなど容易いのです。なのに、なぜ……死に急がれますか」

「そうでもなかろうて。むしろ、随分とゆっくりしてしまった。いずれそのうちと思っておったが、これはなかなかに良い死に場所である」

「清を一人残して逝くなど……殿をお恨み申し上げます。それに、殿に死を賜ったあの狐姫を」

「あのお方は、敵にはするな」


 今まさに死に臨もうとする中で、何を言っているのかと思わないでもなかったが、久秀は心底本音において、この孫娘のような存在を案じていたのである。


「それが、遺言じゃ」


 清姫が寄り添ってくる中、炎が一層激しさを増していく。


 そんな炎の中から、一人の武者が重い足取りで駆け寄ってくる。

 色葉の側近である、直隆だった。


「ご無事であられたか」

「おぬしも……いや、とても無事とは言えぬ姿じゃな」


 真柄直隆は、元亀元年に姉川にてすでに討死した身の上である。

 人の皮を被ってはいるが、亡者であり、悪霊の類に違いない。


 その直隆は前線にて長時間戦い続け、すでにその身体は朽ちようとしていた。


 無数の矢を受け、折れた太刀や槍が突き刺さり、炎に焼け爛れ、半ばしゃれこうべが顔を覗かせているその様は、もはやあの世からの使者としか形容のしようがないだろう。


「……平家の落ち武者の霊すら裸足で逃げ出すような、そんなおぞましさじゃな。いや結構結構」

「お覚悟を」

「とうにできておる」

「……しからば」


 直隆はその場から取って返すと、すでに折れていた大太刀を振り回し、獅子奮迅の働きをみせた。

 だがその身体が突然、まるで人形が崩れるかのような不自然さでもってバラバラに砕け散る。


 散乱する白骨を眺めつつ、久秀は最後の茶を堪能した。


「逝かれたか。――清よ」


 返事は無かったが、周囲が明るくなり、火勢が増す。


「疾く、立ち去るが良い」

「いいえ。最後までお供を」


 それから時をたたずして、本能寺は轟音に包まれた。

 本能寺に集積してあった火薬に引火し、大爆発を引き起こしたのである。


 その爆発は凄まじく、寺内に突入していた多数の明智勢を巻き込んで、寺ごと四散した。

 文字通り、本能寺は灰燼に帰したのであった。


     /色葉


 ……少しだけ、時を遡る。


 喧噪のうるささに、わたしは目を覚ました。

 まだうす暗い。

 でも遠くから大勢の者が足早に走る音と、馬の嘶き。


「――色葉様」


 誰かが無遠慮に寝所に入ってきた。

 今いる面子の中で、断りも無しにそんなことをして許されるのは、貞宗くらいしかいない。


「……なんだ? 騒々しいぞ」

「それが――」


 その瞬間、鬨の声が上がった。

 そして銃声。

 鉛玉が撃ち込まれる音。


「――――まさかとは思うが」

「何者かの謀反かと心得ます」

「謀反、ねえ……」


 貞宗の言葉に、意外なことに驚きを覚えることは無かった。

 もちろん、事前に想定したわけもない。

 でも、ああ、と思ってしまったのだ。


「誰の仕業だ?」

「今確認を――」

「失礼を!」


 今度は別の者が飛び込んでくる。

 すでに完全武装していた隆基だった。


「桔梗の紋所が多数。――恐らく、明智の手勢かと」


 …………光秀、ね。


「狙いはわたしか?」

「恐らくは」

「……やれやれ、だな」


 ここには久秀もいるから、狙いはそっち、ということもあるかもしれないが、しかしわたしがこの場にいる時を狙っての討ち入りならば、やはり可能性としては低いだろう。


 しかし……なあ。

 今日は天正十一年の六月一日……いや、もう二日か。


 史実で起きた本能寺の変は、天正十年、つまり昨年のことだったはず。

 信長が死に、わたしの知る史実とは異なった流れになっていたこともあって、もう本能寺の変は発生しないと思っていたのだ。


 ところが何だ。光秀のやつ、こうして本能寺を囲っているらしい。

 しかしその目標は、恐らくわたし。


「まさか、わたしが信長の代わりを務めることになるとはな」


 これはさすがに想定していなかった。

 確かに情勢は、信長が討たれた時とよく似ている。


 中国征伐に、四国征伐。

 朝倉家が天下に手が届きそうなところまできて、わたしは本能寺にある。


 しかも寡兵。

 朝倉の主力は未だ北ノ庄に集めている最中。


 秀吉は備中。

 なるほどこれでは手詰まりである。


「さて、誰の仕業なんだろうな?」


 誰にともなく、わたしはささやいた。


「色葉様、ですから明智勢であると……」

「いやいや、そうじゃない」


 貞宗へと、わたしは苦笑を返す。


「ああ、もちろん、兵を挙げたのは光秀だろう。これはもう、疑いの余地は無い。だがその動機は何なんだろうな」


 史実でも不明であったその動機は、今や当事者となったわたしですら、容易に察することはできなかった。


 正直、よくわからない。

 わからないからこそ、こうして窮地にあるのだけど。


「織田信長が自害した後、朝倉に降ったのはこの日の為だったのでは」


 なるほど。

 それは分かり易く、筋も通っている。


 信長を自刃に追い込んだのは、信忠とそれに加担したわたしだ。

 仇討ちであるのならば、実に天晴れな動機である。

 京には信忠もいるし、おあつらえ向きだ。


「だとしたら、それに気づかなかったわたしが間抜けだったということか」

「――色葉様、そのようなことは後でもよろしいでしょう。今はお早く脱出のご準備を」

「そんな隙があるものか」


 本能寺は周囲を水堀に囲まれており、寺といえどその防御力は高い。

 だがそれだけに、包囲されては逆に脱出が難しくなる。


「こちらの手勢は?」

「松永殿の手勢と合わせても、五十はおらぬかと」

「まあ、そんなものだな。敵は?」

「千から三千は」

「わたし一人を討ち取るのに三千か。光栄に思うべきかな?」

「色葉様! お早く――」


 珍しく貞宗が声を荒げたが、わたしは笑って首を横に振った。


「以前なら千や二千ごとき、どうとでもなっただろうが、今のわたしでは話にもならん。逃げられるものなら逃げたいが、ただの足手まといだろう」

「これにて諦められるのか」

「諦める? まさか」


 わたしは不敵に笑う。


「今回は、わたしの負けだ。それは認める。しかしだからといって、未練も無く死を待つとでも思ったか?」

「……そのようなこと、色葉様らしくはありませぬからな」

「はは。まあそうだな。――とはいえ、わたしにできることが何かあるかといえば、何もない」


 そう、何もないのだ。


 ――このわたしの身体は、恐らくこのままでは長くなかったはずだ。

 皆心配するばかりで何も言わなかったが、こうも日に日に衰えていけば分かるというものである。


 まだ先のことではあったのだろうけど、小さな覚悟はあった。

 そして朱葉や妹たちが、その運命を覆そうと何かしようとしていることも。


 それに賭けて……みようかな。

 でもそのためにはきっと、この身体が不可欠のはず。

 例え生死を問わなかったとしても。


 そうでなくては説明がつかないからだ。

 朱葉が、まるで意味が無いとさえ思えたのに、あれほど魂の捕食を懇願したことが。


「――隆基、直隆はどうした?」

「は。父上は門の前にて寄せ手を打ち返すため、立ちはだかっているはずです」

「それは心強いな」


 直隆ならば孤軍奮闘したとしても、いくらかの時は稼いでくれるだろう。

 そう思った矢先だった。


「……破られたか」


 寺内が一気に騒がしくなった。

 喧噪が一層、けたたましくなる。


「久秀は」

「すでに槍を構えて待ち構えておりまする」

「年寄りの冷や水だな」


 つい笑ってしまったが、さほど時間は残されていないか。


「いいか、よく聞け」


 わたしは貞宗と隆基を見返し、ゆっくりと告げた。


「必ず、どのような犠牲を払ってでも、このわたしを一乗谷に持ち帰れ」

「勿論でございまする!」


 わたしの命に隆基が意気込むが、いいやと首を振ってやる。

 気づいていたのは貞宗だった。


「……持ち帰れ、でありますか」

「そうだ」


 そこにわたしの意思が介在していないことに、気づいたらしい。

 自身を物として表現したのだから、当然だが。


「この身ではかさばり過ぎるからな。小さくする必要があるだろう。その役は貞宗、お前がしろ。そして隆基、必ず貞宗を守り通せ。雪葉には悪いが、自身が滅びても、だ」

「い、色葉様、それは……!?」


 言い募ろうとする隆基を無視して、先を続ける。


「あと直隆に伝えろ。中に入って久秀を守れ。茶を一杯飲むくらいの時は稼げ、とな。そして久秀には、もし直隆が滅びたならば、それはわたしが死んだことと同じこと。だからそれを見届けてこの寺を爆破しろ、と」


 直隆はわたしの力でもって、亡者としての存在を保っている。

 わたしが死ねば、滅びずにはおれないだろう。


 しかし隆基や直澄は違う。

 今この時ほど、二人がわたしの手から離れていたことを僥倖であると思ったことはなかった。


 貞宗一人と隆基の力があれば、脱出だけはどうにかできるかもしれない。

 その後本能寺を吹き飛ばせば、追手の時間も稼げるはずだ。


 しかしまあ、ちょうどいい具合に久秀がいたものである。

 派手な最期は久秀も望むところだろう。


 その皮肉にくく、とつい笑みをこぼしてしまう。


「……このような時まで、そのように笑まれるのか」


 やや呆れたように、貞宗が洩らした。


「ん、また笑っていたか?」

「やれやれ、ですな」

「相変わらず無礼な奴だ」


 もしかすると、この男も最後までわたしには靡かなかったのかもしれないな。


「貞宗」

「は」

「最後の命だ。……分かるな?」


 貞宗が押し黙る。

 この期に及んでわたしの意図することなど、造作も無く知れただろう。


 要するに、この首を打てと、そう言ってやったのだ。


「早くやれ。時間が無い」

「……色葉様は、最後の最後まで無体なことを仰せになる」

「何を言う? そもそも初めて会った時、わたしを討ち滅ぼそうとしていたくせに。その機会をもう一度くれてやろうと言うんだ。これ以上ない褒美だろう?」

「…………確かに」


 頷く、貞宗。


「大日方殿……!」


 思わず立ち上がる隆基に、わたしは鋭く命じる。


「決して、何があっても貞宗を害するな。これは乙葉や雪葉への厳命でもあるぞ」

「……ぐ、されど、口惜しく……」

「亡者のくせに、泣くな。気味が悪い」


 まったく涙を流す死人がどこの世界にいるというのやら、だ。


「……ふむ。少し、気が変わった。貞宗、お前には選ばせてやる」

「……何をでございますか」

「わたしの首を持って本能寺を出た後は、好きにしていい。この首をそこらの川に放り捨てたとしても、許してやる」

「――――」

「だがその際は、隆基を護衛から外す。隆基、お前はわたしの首が捨てられたら必ず拾い、前言通り一乗谷まで運べ」

「……はっ!」


 そこで困惑したように、貞宗は疑惑の視線を向けてきた。

 当然だろう。


「私に暇を与える、と?」

「ああ、解放してやる、と言っているんだ。わたしからな。だが――」


 そこでまた笑ってやった。


「もし、自分の意思でこの首を一乗谷まで運んだならば、それはお前自身の意思でわたしに仕える、ということになるぞ? 永遠に、だ。次は決して手放さない。最後の瞬間までこき使ってやる」

「……次など、あるのでしょうか」

「さあな。それも賭けだ」


 賭けともいえないかもしれないが、さりとて他にできることもない。

 今はただ、天祐にこそ期待する他ないだろう。


 ……もしくは、悪魔にでも魂を売るか。


「あなたは、本当に……困ったお方だ。このような呪いを残して先に逝くなど、あまりにもお人が悪い」

「なんだ。今さら気づいたのか? わたしはそうやってここまできた、朝倉色葉だぞ?」


 そしてそれが、わたしの最期の言葉になった。


 外の喧噪が嘘のような静寂が続き、如何ほどの時がたってからか。


 覚悟を決めた貞宗に首を打たれ、意識が吹き飛ぶ。


 ……まあ。


 色々と未練は大いにあるのだけど。


 それなりに楽しめた十年間だったのかもしれない。


     /


「――これで、よろしかったのですか」


 京の街並みを見下ろす主の背後にて、大嶽丸はそう聞かずにはおれなかった。


 清水寺。

 坂上田村麻呂を本願とする、歴史の古い寺である。


 その視線を京に向ければ火の手が見え、さすがにその喧噪は想像するしかなかったが、まさに今、都は混乱のるつぼと化しているはずだった。


「ああ、色葉様も逝かれてしまったようですわ」


 物憂げに、至極悲しげに、鈴鹿はそう洩らしていた。


 だが大嶽丸は知っている。

 鈴鹿が直接ではないにしろ、色葉が窮地に立つことをまるで意に介さないような振る舞いをしていたことを。


「これで、この世はまたつまらなくなりますわね」

「ならば、何故」

「さて……なぜでしょう」


 案外自分でも分かっていないのではないかと、本気で大嶽丸は思う。


 鈴鹿はこういう性情だ。

 あれほど寵愛していた織田信長も、滅びると分かっていながらその子の信忠に加担し、その最期を見届けた。


 嘉吉の乱の時もそうだった。

 足利義教は鈴鹿の言で粛清を巻き起こし、一方で鈴鹿は赤松満祐に接近して不満を煽った。

 結果が、あの血の酒宴だ。


 そして今回もまた。


 乱を望み、滅びを鑑賞したがる。

 まさに救いようがないとは、このことであろう。


「ですが、またお会いできる気がするのです。ふふ……なぜでしょうね。ですが、その時にわたくしがいなくてはそれこそつまらないというもの」


 大嶽丸は溜息をついた。

 これもまたいつものことである。


 気に入った相手が滅び去ると、この世に何の未練も残さなくなる。

 その度に、同じことをさせるのだ。


「さあ、おやりになって、大嶽丸。次の機会までにわたくしの身体、好きにしてくれて構わないのですよ?」


 善意とばかりに鈴鹿はそんなことを言うが、むしろ逆である。

 これまでの時こそ貴重であったというのに、まるで理解する様子も無い。

 しかしだからこそ、鈴鹿なのだろうが。


「…………」


 大嶽丸は帯びていた太刀を抜き放つと、鈴鹿の望みのままその身体を一刀両断に切り捨てる。


 抵抗などは一切無い。

 それも当然であろう。

 鈴鹿自身が望んだ死なのだから。


 これで大嶽丸は鈴鹿の転生時まで、その骸を護り通さなければならない。

 数年後か、十数年後か、数十年後か、数百年後かは知らないが。


「……田村麻呂よ、貴様のせいぞ。鈴鹿がこうも人の世に堕ちたのは」


 その恨み言は。


 幾度も繰り返されたものだったかもしれない。

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