第255話 金沢訪問


     ◇


 天正十年十月。


 朝倉政権は惣無事令を発令。

 特に中国の毛利家に対し、政権への参加を要請した。


 だがこれは事実上の従属要請であったといえる。

 諸大名が朝倉家を中心にこれほど早く糾合されるとは思ってもみなかった毛利家は、あまりの事態に泡を食ったような有様になった。


「おのれ秀吉め。やはり奴は信用ならん!」


 今更のように外交にて解決を図るべく動いた毛利家ではあったが、すでに播磨に兵が集められているとの情報を掴み、吉川元春などは歯噛みしたという。

 早い話、羽柴勢が朝倉の先兵となって、毛利領侵攻の構えを見せているからである。


「ただちに迎え撃つぞ!」

「お待ちを兄上」


 もはや合戦しかないとばかりの兄をとどめたのは、小早川隆景である。


「未だ外交折衝は続けておるのです。早まってはなりませぬ」

「たわけ。もたもたしていては手遅れになるぞ」

「そうともいえません。外交は羽柴家を通じて行っております。先方は交渉の席から離れてはおりません」

「だが相手はあのサルめだだろう。我らと不可侵の約定を交わしておきながら、いの一番に我が毛利に攻め込む魂胆とは許すまじ。ひっ捕らえて磔てくれるわ!」


 憤懣やるかたない元春を宥めるのに、隆景は全霊をかける羽目になる。


 戦の準備をすること自体は、もはや不可欠であると隆景とて弁えていた。

 が、下手にこちらから仕掛ければ、その時点で交渉は潰えるだろう。


 現在、安国寺恵瓊を通じて必死の外交努力が続けられており、まだ望みはあるのにそれをこちらからふいにすることは、あまりにも下手を打つ行為である。

 もっとも望みがあるといっても、それは外交的解決の糸口があることを指しているわけではない。


 恐らく毛利領への侵攻は時間の問題で、それは避けられないだろう。

 要は時間を稼ぐことこそ、隆景の最大の目的だった。


 強大化した朝倉家に対抗するには、毛利単独ではもはや相手にはならない。

 即座に敗れることはないかもしれないが、その時が先延ばしになる程度のことだ。


 これに対抗するには、西国の諸大名を糾合する他無い。

 それでも毛利家が矢面に立つことは違いなく、烏合の衆に成り下がる可能性もあるが、しないよりは遥かにいい。


 本当の朝倉家との外交や和睦交渉は、その後にこそ成果を出せるだろう。

 局地戦による戦術的勝利と、西国の大同盟。


 これ以外に毛利家の生きる術はないと、隆景は悟っていた。

 とはいえそれが何より難しい。


 その中で真っ先に必要だったのが、四国を平定しつつあった長宗我部家と、北九州に勢力を伸ばす大友家の関係強化である。


 しかし四国において長宗我部優勢とはいえ、阿波の三好氏、伊予の河野氏や西園寺公広らといった勢力が抵抗を続けており、毛利家は河野家を支援するなどしていた経緯があった。


 これら小勢力と、長宗我部家を相手に交渉を持つことは、一筋縄ではないかないことは目に見えており、交渉は難航するかにに見えた。

 実際、三好家などは以前より羽柴家の支援を当てにして関係を結んでおり、朝倉政権に従う可能性は大いに高く、一刻を争う事態だったのである。


 元々伊予方面を任されていた隆景がこれの交渉にあったが、気味が悪いほど順調に、話し合いが進められていくことになる。


 一方で北九州の大友家であるが、最盛期には豊後、筑後、豊前、肥前、肥後、筑前の六ヶ国と、日向、伊予の半国を領有する大勢力となっていたものの、元亀元年の今山の戦いで龍造寺隆信に、天正六年の耳川の戦いで島津義久に大敗を喫するなどして勢力に陰りが見え、その後も徐々に減退の一途を辿っていた。


 その大友氏との関係は、険悪の一言に尽きる。

 これまで幾度も矛を交えてきたからだ。


 しかし現在の大友家は薩摩の島津家に圧迫されており、これを和睦の仲立ちをすることで関係改善が期待できていた。


 さらに毛利輝元は大友義鎮の娘である桂姫と、毛利元就の九男で隆景の養子となっていた小早川元総との婚姻同盟を画策。

 状況が切迫していた義鎮はこれを受け入れ、両者の関係は急速に改善することになる。


     /色葉


 天正十年十月中旬。

 わたしは越前より加賀へと足を伸ばし、金沢城へと入っていた。


「よくぞお越しいただけました。ささ、中へ」

「ん、邪魔するぞ」


 城の外で出迎えていたのは、堀江景実である。

 老齢にあった父親に代わり、わたしの元で転戦し、それなりに活躍した武将だ。

 わたしにとっては比較的初期の家臣でもある。


「しかしわざわざお越しいただけるとは思っていませんでした」

「まあ、体調も悪くなかったし、ずっと篭りっぱなしというのもな。雪が降る前に、ちょっと足を伸ばしてみただけだ」


 金沢城下に入ったわたしは、活気あふれる城下の様子に満足しつつ、小さく伸びをした。


「少し、疲れたがな」

「では、すぐにもお休みを」

「いやいや。その前に景忠に一本、線香でもあげてやる」

「……恐れ入ります」


 そう。

 わたしが金沢までやってきた理由は他でもない。

 ちょっとした弔問である。


 金沢城主で加賀一国を預けていた堀江景忠は、名実ともに朝倉家の筆頭家臣だった。

 だが今年の九月に入ってすぐ、死んでしまったのだ。


 病とは聞いていなかったから、恐らく老衰だろう。

 突然の死に堀江家ではだいぶばたばたしたようで、嫡男であった景実は重陽の節句の参加も見合わせざるを得なかったのである。


「景忠も生前にお前に家督を譲っておけば、もうちょっと楽だったのだろうに」

「……姫様は、隠居をお認めにならないことで有名でしたからな」

「そうなのか?」

「はい」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 そういえば以前、景建が隠居を求めて来た時も、もうちょっと待てと留めたんだったか。


 だがそのすぐ後に、景建は討死してしまった。

 わたしが隠居を認めたのは、義父である景鏡くらいなもので、他の家臣どもはどうやら死ぬまで働かされるらしいと、半ばあきらめにも似た覚悟を抱いてしまっているらしい。


「景建も死んだし、景忠も死んだ。少し、寂しいな」


 朝倉景建にしても堀江景忠にしても、わたしが越前国平定を為した時に従った、朝倉家の旧臣であり、古参の将であった。


 あれからもう、十年近くになるのか。

 早いものである。


「みんな、白髪首になってしまったな」

「姫様はお変わりなく」

「中身はぼろぼろだがな」


 確かに見た目は当時と何も変わっていないらしいが、しかし思うように身体を動かせなくなってきている。

 戦場に出るのはもう厳しいかもしれないな。


「景実。お前の家督継承は認める。今後は金沢城に入れ。加賀一国はそのままくれてやる。信濃遠征の際にはわたしの元で功を上げたことだし、誰も文句は言わんだろう」

「は、ありがたき幸せにて!」


 畏まる景実は置いておいて、わたしは後ろを振り返る。

 今回の金沢訪問は、別にお忍びというわけでもなく、晴景の許可をとってそれなりの人数でやって来ていた。


 弔問と気分転換。

 でもその気分転換は、わたしのためというわけでもない。


「あと景実、わたしの接待などどうでもいいから、乙葉の相手をしてやってくれ。お前、仲が良かっただろう?」

「――は。……は?」


 反射的に頷いた景実は、わたしの言葉の意味がいまひとつ分からなかったのか、疑問符を浮かべてきた。


「乙葉に織田の連中の接待をさせていたんだが、奴らが帰ってしまったら途端に気落ちしてしまってな」

「はあ……?」


 乙葉の奴、よほどに勝家と一緒にいるのが心地よかったらしく、その勝家が信忠らと帰ってしまったことで腑抜けてしまったのだ。

 爺である松永久秀にくっついている清のことを散々悪し様に言っていた割には、自分も爺好みとは、なんともはや、である。


 放っておけばそのうち治るかと思っていたのだが、一向に良くならないので、気分転換を兼ねて乙葉を旅に連れて来た、というわけだった。


 雪葉などは不甲斐ないと、ぷりぷり怒っていたが、乙葉は雪葉と違ってかなり情が深いからな。こういうことにもなるのだろう。


 ちなみに乙葉だけでなく、雪葉や朱葉、あと邪魔者には違いないが、鈴鹿もくっついてきている。

 本当、邪魔者なのだが。


「元気づけてやってくれ。褒美は家督相続だ」


 乙葉は朝倉家臣団の中では景実や、あと長連龍らと仲がいい。

 さすがに能登まで行くつもりはなかったから、連龍の奴はすでに早馬で呼びつけてある。

 あとはうまくやってくれ、というものだ。


「わたしは適当に城下を散策している。だから名所の案内を誰かにさせろ。それにうまい飯も食べたい。あ、温泉もあったらいいな。他には……」

「姫様のことはどうでもいいと、ご自身でおっしゃっておられたような……」

「何か言ったか?」

「い、いえ、何も」


 結局。

 景実ら金沢城の家臣どもは、わたしの接待を含めててんやわんやになるのだった。

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