第250話 重陽の会盟(前編)


     ◇


 北ノ庄城の本丸御殿にある大広間には、所狭しと人が居座っていた。

 朝倉家の重臣連中を始め、各国の諸大名やら重臣らが居並んでいる。


 普段やっている評定をさらに大きくしたような感じであるが、ここまで人数が揃うとこの大広間でも手狭だな。

 わたしも出席していたが、基本は何もしゃべってはいない。


 今回参加する者の中にはわたしを初めて見る者もいたようで、それとなく好奇の視線が向けられているような気がしたが、まあいつものことだ。

 わたしは気にせずに、会合の推移を見守っていた。


 だいたい予想された展開で、わたしもさほど熱心に耳を傾けていたわけでもない。

 しかしその流れが変わった。

 羽柴秀吉が発現し、思わぬことを提案したからであった。


「惣無事令、とな?」


 聞き慣れぬ言葉だったのか、晴景がその言葉を繰り返し、秀吉へと確認をとる。


「然様。天下惣無事でござる」

「それは如何なるものか?」

「一種の平和令である。大雑把に言えば、今後各大名同士の私闘を禁じる、というものであると心得頂きたい」

「ほう」


 何やら言い出した秀吉の言を、わたしは眉をひそめて聞いていた。

 惣無事令。

 そういう名称が実際にあったかどうかは知らないが、そのような概念のものを史実の豊臣政権が発令したことは、まあ一般的に知られている。


 まあこれは、いわゆる停戦命令のことだ。

 ちなみに秀吉だけでなく、例えば織田信長や足利将軍家など、限定的ではあったものの発令した例は少なくない。

 秀吉の場合はこれを全国規模に拡大したものをいうのだろうけど……。


「私闘を禁じる。それはまことに結構ではあるが、現実的とは言えぬのではないか?」


 そう疑問を呈したのは、徳川家康であった。

 発令するのは勝手だが、それを守らなければ意味はなく、むしろ無視されることで発令した側の権威を貶めることにもなりかねない。


「無論、これを守らぬ者には厳しい処分を下す所存」

「それは軍事をもって、ということか?」


 尋ねたのは信忠で、如何にもと秀吉は首肯した。


「しかしどのような方策によって、それを為すおつもりか?」


 家康の疑問はもっともで、造反者に制裁を降すにしても、それを行う組織や機関が不可欠である。


「武家の棟梁たる足利将軍家は滅びて久しい。今やその役割を為す適当なものは存在しないと思われるが」


 なるほど。

 確かに室町幕府が健在で、力も十分ならば、それも為し得たかもしれない。

 が、すでに幕府は信長によって滅ぼされている。


 ……そういえば最後の将軍である足利義昭は、まだ征夷大将軍の地位にあったか。

 有名無実ではあるがな。


「無いならば、新たに構築すれば良いだけのこと」


 それはそうだが、その手段が不明瞭だからみんな戸惑っているのだろうに。


「それは、幕府を再興させる、ということであるか?」


 尋ねたのは、あまり口を開ない景勝その人だった。

 養父である上杉謙信といい、室町幕府への忠誠が高かった大名家である。

 謙信が有していた関東管領の地位も、幕府の役職の一つだったわけだしな。


「それも良いが、一度地に落ちた幕府などもはや物の役に立たぬ。そうは思われぬか?」

「では、如何なる手段にて実現されると」


 秀吉はそこで一度言葉を区切り、周囲の者どもを見回してみせた。

 話についていけない者がいないか確認する、配慮をみせた行為だ。

 そしておもむろに告げたのである。


「今、この場にて作り上げればよろしいというもの」


 その発言に、席上がざわつく。

 秀吉の意図を図りかねたのだろう。

 晴景もやや困惑した様子でわたしを見てきたが、わたしとしても秀吉の意図を図りかねていたと言っていい。


 まさかこれは……。

 いや、しかし……。


「まずはこの場で極力の意思統一を果たす。これが肝要。その上で一致団結の協力体制を取る。それが為されるのであれば、盟主を定めてそれに従う。これに尽きよう!」


 場が静まり返った。

 つまりなんだ。

 この男はここにいる面子で大同盟を組み、その盟主を決めてそれに従い、一つの大きな共同体を構築しよう、と提唱しているわけか。


「……如何であろうか、朝倉殿」


 そして最後に、この朝倉家に水が向けられた。


「む……? 少々待たれよ。話が飛躍し過ぎていて、どうも……」


 困ってしまう晴景であったが、代わってわたしは思考を巡らし、秀吉が何を考えているのか模索してみた。


 うむぅ……。

 ……結果、正直よくわからん、である。


 仕方ない、な。


「……晴景様、少し発言を許して欲しい」

「む、構わんぞ」

「では」


 本当は何もしゃべる気は無かったのだけど、こうなっては仕方がない。

 晴景では少し荷が重いだろうし、な。


「少し聞くぞ、秀吉」


 相変わらずのぞんざいな口調で、わたしは口を開いた。

 それに対し、諸将から非難の様子は無い。

 むしろ今まで黙っていたわたしが口を開いたことに、みんな身構えたようだったが。


「何なりと」

「それは何だ? つまりお前が言いたいのは、この朝倉家を中心に政権を打ち立てて、逆らう者は滅ぼしてしまえと、そういうことか?」


 乱暴な表現ではあるが、そういうことだろう。

 現にこれは史実で秀吉がやってのけたことである。


 例えば九州征伐。

 例えば小田原征伐。

 例えば奥州仕置などである。


 これを実行したことで、秀吉は名実ともに天下統一を成し遂げたのだ。

 それを、秀吉はこの朝倉家にやれと言っている。

 どうにも解せなかった。


「盟主となるに、朝倉家ほど相応しいものはないと心得るが」


 実力的にはそうだろう。

 しかし心情的にはどうなのだ。


 惣無事令。

 聞こえはいいが、少なくともここにいる連中に、朝倉家への従属を強制することになる。

 見た目は連合政権だろうが、実質は朝倉政権だ。

 それをこの連中が許容できるか、という話だ。


 もちろん、ここに来た時点である程度の覚悟はしてきただろうが、しかし性急な話でもある。

 わたしとしても連中を従えるのに、時を惜しむつもりはなかったからだ。


 あまり急げば綻びが出る。

 毛利に関しても処理についても、そう思うからこそ甘いものですませようと考えていたというのに、これだ。


「ああ、そうだな? お前たち名だたる将を従えるのは、実に気分がいい」


 これはまあ、本音である。


「ならば」

「しかしお前たちは従う気があるのか? 面従腹背など気分が悪いだけだぞ?」


 これも本音だ。

 最初から裏切る可能性が見え隠れしているくらいなら、滅ぼすのがわたしの信条である。

 いちいち臣従など要求しない。

 全て滅ぼしてやるだけである。


「……我が里見家などは、羽柴殿のご意見に賛同いたしますが」


 そう遠慮がちに声を上げたのは、里見義頼だ。

 これがそう言うのは、まあ分かる。


 この面々の中では際立って勢力が小さく、なおかつ完全に朝倉家に従属してしまっている立場を思えば、この連合政権的発想は悪くない。というかむしろ好都合なはずである。

 だから義頼が発案したのであれば、ごく自然なことだった。

 もっとも勢力が小さい分、諸将に与える影響力も小さく、お流れになっていた可能性も高いが。


 問題は、一定の勢力を持ち、あの織田信長から離反するような野心の持ち主である秀吉が、率先して提案したことである。

 どうにもうさんくさい。

 そう思ってしまうのである。


 この話、朝倉家にとっては悪い話ではない。が、どうにも素直に受け入れがたいのだが……。

 第一他の連中だって、即断できないだろうに。


「……我が徳川家は、朝倉家あっての存在。また天下泰平のためであるのならば、受け入れるのもやぶさかではありませぬぞ」


 あ、家康の奴が追従した。

 これまた予想外……でもないか。


 この狸親父はとにかく時間が欲しいはず。

 現状でも実質朝倉家に臣従しているようなものであるから、さほど問題は無い、と考えたのかもしれない。

 むしろ変化の中にこそ好機があるとか考えていそうだ。


 家臣連中を派遣している佐竹家、蘆名家、宇都宮家、長宗我部家といった連中は、さすがに答えかねるだろう。持ち帰ることになるだろうが、それはまあいい。

 問題は上杉家と織田家だ。

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