第231話 第二次長良川の戦い
◇
払暁になり岐阜城下へと光秀が戻ると、すでに物々しい雰囲気に包まれていた。
厳戒態勢である。
光秀はただちに信長への面会を求め、事の次第を報告したのだった。
「たわけめが。この分だとすでに朝倉と通じているな」
信長の言には光秀も同意するところで、信忠と朝倉家の間に何らかの密約がかわされたものと見るべきだろう。
恐らく高遠城陥落は虚報の類で、朝倉方もこれに一枚かんだと思われるからだ。
その後、密かに軍を取って返したのであろうが、不用意な撤退は追撃の危険を招く。
被害を全く受けずに岐阜まで取って返したのであれば、わざと追撃しなかった、と考えるしかない。
「朝倉だけではありませぬ。察するに尾張方面の諸将の大半はすでに信忠様に同心し、三河の柴田殿を孤立させるに成功していると思われます。また美濃の諸将にも、今まさに去就を迫っているものかと」
「一日の時を我らに与えたように見せかけて、その実は工作に明け暮れているというわけだな。たわけとはいえ、やるではないか」
美濃や尾張は信忠の地盤であり、初めからこれに従う諸将は多い。
加治田衆などはその筆頭だろう。
三河にいる柴田勝家への対策は為されている上に、三河自体が平定して間もない。兵も一旦解散させてあったこともあり、再度手勢を集めて岐阜にまで援軍となると、どうしても時間がかかる。
伊勢にいる次男・信雄は健在で、援軍を派遣できる立ち位置にある。
しかし同じく伊勢の滝川一益は信忠に付けてあり、どのような態度を取ったのかは明らかではないが、同心しなかったのであれば確実にその身柄は拘束されているだろう。
これも信長にとっては痛かった。
「光秀よ。この情勢をどう見る」
「極めて不利であると申し上げます」
どの程度、信忠の調略が進んでいるかはわからない。
しかし今回の軍の動きを見るに、入念な準備を進めていたに違いない。
例えば清水城の稲葉一鉄などは、斎藤利堯の伯父に当たる。
一鉄はすでに家督を曽根城の稲葉貞通に譲っており、これらがまとめて信忠方についた可能性は高い。
となると、岐阜の東だけでなく西側も敵地ができたことになる。
こういった動きは他にも多数、あるだろう。
すでに岐阜包囲網ができつつあるのである。
「美濃内部だけを見ても危ういですが、その周辺には朝倉の兵が集結しつつあり、これがもし信忠様に通じているのであれば、もはや手の打ちようがございませぬ」
信忠の手勢が約三万。
朝倉の軍勢は確認できているだけで、近江方面に武田元明率いる一万。飛騨方面に姉小路頼綱率いる五千。更には郡上方面において、島左近率いる一万。
対する信長の手勢は、尾張方面からの動員が阻害されたこともあって、岐阜にあるのは一万足らずといった有様である。
「今ならば伊勢に脱出できるやもしれませぬ。如何、なさいますか」
「伊勢などに逃げて、秀吉に討たれるなど実につまらん」
「ならば籠城を」
岐阜城は屈指の山城である。
これに篭れば長時間、耐え抜くことはできるだろう。
「それも良いが、後詰無き籠城など敗北も同じ。ならば一戦交えて信忠の腕のほどを確かめた方がましというもの」
「……降伏は、あり得ませぬか」
「あり得ぬ」
信長は即答する。
「いずれやろうというものを今欲しいと言うのであれば、力づくで奪うが良かろう」
「では、ただちに戦の支度を」
「光秀よ。貴様は最後まで俺に義理立てするのか?」
それは意外な問いかけ、というわけでもなかった。
すでに現状、かなりの織田家中の者が信長から離れ、信忠についていると思われる。
これは信忠の根回しの賜物、というだけでもなく、常日頃からの信長の家臣に対する苛烈な仕打ちに起因するところも大きい。
例えば前々年にあった佐久間信盛や林秀貞といった老臣の追放なども、他の家臣らを戦慄させたことは言うまでもない。
「もちろんでございます」
「そうか」
光秀の答えに、信長は短く、そう頷いたのだった。
◇
天正十年二月十五日。
織田信忠の要求を撥ね退けた信長は、ただちに兵をまとめて先行していた明智勢と合流。
合わせて九千の兵力でもって、長良川沿いに進軍した。
この時の信忠方は約二万余と、信長方に対して倍する兵力である。
第二次長良川の戦いと呼ばれたこの一戦は、奇しくもかつて信長の舅であった斎藤道三と、その子である義龍の父子同士で争ったのと同様、親が子に対して圧倒的不利な情勢で戦うことを強いられるものとなったのだった。
緒戦、積極的に攻勢に出たのは信長方である。
その陣営で先陣を務めた明智勢は、信忠方の先陣・斎藤利治勢に対して攻勢を強め、優位に事を進めた。
「さすがは明智光秀殿。名うての戦上手である」
利治とて劣るものではないが、織田家中にあっても光秀の采配の妙は良く知られている。
これと正面から戦うことの分の悪さを悟った利治は、即座に方針を転換した。
「数ではこちらが優位。なれば無理をするな。敵の疲れを待て」
戦において最良の策は、事前に敵よりも多数の兵を集めることである。
これに勝るものは無い。
ならば隊同士の局所戦に固執することなく、数の優位を踏まえた戦い方をすればいい。
利治は明智勢とまともに戦わず、引きずり回してその消耗を図った。
対する光秀にすれば、そのような戦い方をされるのが最も好ましくない。
それでも巧に兵を動かし、利治の意図を挫くべく痛撃を与えていった。
しかしいずれは疲労の限界に到達する。
先陣の斎藤勢が崩れるや否や、両翼から二陣、三陣と新たな戦力が投入され、明智勢はこれを支えることは叶わない。
それを見て取った信長は即座に本隊を投入。
互角の戦いを演じた。
しかし兵力の差は如何ともしがたいものがある。
信長本陣が死力を尽くして戦う間も、信忠本陣は未だ戦に参加せず、無傷で健在であったのだ。
信忠は敵の疲れを待ち、機を伺って最大戦力を繰り出し、戦場は大いに乱戦となったものの、結果は兵数に勝る信忠方に傾いたことは言うまでもない。
「手堅いだけというのもつまらんが、これを切り崩すはなるほど容易ではないな。それが貴様の生き方か、信忠よ」
信長は戦場にてそう言い残し、岐阜城へと撤退。
信忠勢はすぐにも追撃戦を開始し、信長を稲葉山へと追い詰めたのだった。
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