第221話 晴景との再会(前編)


     /色葉


「おお、色葉よ!」


 十月二十日。

 この日、数百の手勢と共に密かに高遠城へと入ったわたしの元に、どたどたと足音も高く駆け付けてきたのは、夫である晴景であった。


「ずいぶん久しぶりであるな。身体の具合は如何か」

「見ての通りだ」


 衆目を憚らずに抱き着いてくる晴景のされるがままになっていたわたしは、苦笑しつつ答える。


「元気、とは言い難いが、特に問題も無いぞ?」

「うむ。それは何よりだ。さあ中へ」


 嬉しそうに表情を綻ばせながら、晴景はわたしの手を引いて誘ってくれる。

 晴景とはこれまで緊密に筆でのやり取りをしていたこともあり、情報交換には問題は無かったが、こうして直接会うのは越前国を出陣して以来だ。


「姉上!」


 城内に入れば義弟である景頼も姿を現して、早速挨拶に及んだ。

 これと会うのも久しぶりである。


「ん、また成長したようだな?」

「いえ……さほどでもありませぬ」

「武将らしくなったと、晴景様が褒めていたぞ?」

「あ、兄上が、ですか」

「はは。まことその通りであろうに」


 笑顔をみせて晴景は笑い、奥に入ったわたしたちは久しぶりに家族水入らずでの会話に興じることになった。


 今回、わたしの高遠城入りは内密であり、敵に知られないようにしたのは当然である一方、味方もごく少数しか知り得ていない。

 現在、甲斐での戦局は膠着していることもあって、わたしの不在が知られれば攻撃の契機になるかもしれないと危惧したからだ。


 城自体は昌幸に任せていることもあって問題無いが、それでも今は時の稼ぎ時であり、無用な戦闘は避けたい。

 ところで緊密に情報交換している中にあって、わざわざわたしが高遠城に赴いたのには理由がある。

 もちろん、家族の団欒のためではない。


「妙なことになっているようだな?」


 ひとしきり他愛も無い会話に興じてから、わたしは本題とばかりにそう切り出した。

 晴景はもちろん、景頼の表情もにわかに真剣みを帯びる。


「うむ……。俺では判断できぬ仕儀となりつつあってな。どうしてもそなたの意見を聞きたかった」


 素直に晴景はそう言う。

 わたしは苦笑した。


「この朝倉家は晴景様のもの。わたしの意見など二の次でいいだろうに」

「そうもいかん」


 晴景はきっぱりと首を横に振る。


「色葉は俺を立ててくれるが、さりとてそなた無くして朝倉家はまだまだ回らん。それにこのことは、俺の一存で決めるには、あまりに影響が大きい。また朝倉家自体の方針をも変えてしまうことになる」


 事前に晴景からそれとなく聞いている内容によれば、確かにそうかもしれない。

 ただし情報漏洩を避ける意味もあって、書面でははっきりとした内容は知らされてはいない。


 わたしが具体的な内容を知ったのは、晴景の使者として側近である朝倉景忠が新府に訪れ、直接口頭で報告した内容によるものだった。

 その際に景忠は、わたしが高遠城に移動できるかどうかを確認している。


 わたしとしても内容は内容だっただけに、高遠城に赴く必要性は理解できたのだった。

 そうしてやや時はかかったものの、時期を見計らって新府城を出、お忍びで高遠城へと入った次第である。


「これを」

「うん」


 晴景が差し出した書状を景頼が受け取り、わたしへと手渡してくれる。

 それは織田信忠――信長の嫡男でその後継者からの、書状であった。

 わたしはそれに一度目を通し、もう一度目に通した上で、小さく吐息を吐き出してやる。


「これは、本当なのか?」

「どこまで信用していいのか分からんが……。俺は、ある程度は真に迫っていると考えている」


 続けて景頼に視線を移せば、


「私も同様に考えています」


 景頼もまた、同感であるとばかりに頷いてみせた。


「ふん……?」


 わたしは書状を放り出し、脇息にもたれかかりながら姿勢を崩した。

 仮にも当主でしかも夫である人物の前でするような態度ではないが、わたしの行儀の悪さはいつものことなので、晴景も何も言いはしない。


「このことを知り得ている者は?」

「俺に景頼、そして景忠のみだ」


 あくまで身内のみ、ということか。


「正直わたしにもどう判断していいか分からんが……。交渉は?」

「すでに三回。斎藤利堯を通じて行っている」

「なるほど」


 利堯といえば、信忠の最側近である斎藤利治の兄だ。


「で、次の交渉は」

「明後日。まことかどうかは分からぬが、信忠自身が参るとある」


 わたしは唸った。

 これは相当なことである。

 仮にも織田家の家督を継ぐ者が、直接敵地に乗り込み、交渉の席に着くとは。


「遠照寺にて執り行うことになっておる」

「それはどこに?」

「この城からほど近い寺です、姉上」


 となると、やはり信忠は危険を冒すのを覚悟で、というわけか。

 もちろん本人が来るとは限らないし、罠の可能性もある。


「信忠は今は?」

「一時は木曾まで下がっていたが、恐らく本人はすでに大島城まで来ているはずだ。……やれやれ、事は内密ゆえ人をあまり動かせず、難儀ではある」


 晴景が言うように、この密談は情報漏洩を避けるために、景頼や景忠が直接動いてあれこれと準備しているとのことだった。


「織田が兵を下げたのも、誠意の表れといったところか……?」


 ここしばらくの織田方の動きは、妙であるという一言に尽きた。

 これまでも積極的な攻勢に出ず、その挙句木曾まで撤退したのである。


 そしてその理由らしきものは、晴景よりもたらされていた。

 曰く、敵方の総大将である織田信忠は、朝倉家との停戦と和睦を望んでいるのだという。


 にわかには信じがたいことである。

 わたしも当初は懐疑的であったが、しかし今ほど目を通した信忠の書状には、具体的な和睦交渉についても書かれていた。

 ついには晴景も判断に窮し、わたしにこの高遠まで赴くことを乞うた、というわけである。


「これはちょっと、予想していなかったからな」


 わたしは元々織田家を敵として認識してこれまできたし、信長とて今となってはわたしを厄介な敵としてみているだろう。

 それでも停戦や和睦ならば、まだあり得る話でもある。

 事実、わたしは一度信長と和睦している。


 もっともその条件を信長は破ったため、現在もなお戦争状態は継続中だ。

 しかし信忠の書状には、その更に先にまで踏み込んでいたのである。


 すなわち、同盟。


「仮にこの申し出が真実として、色葉ならばどう考える?」

「どうと言われてもな……」


 そもそも今回の織田家からの申し出は、純粋に織田家からのものとは言えない節がある。

 まず交渉相手が信長では無く、信忠であるということ。


 確かに信濃侵攻の総大将は信忠だろうが、別段信長は隠居したわけではない。相変わらずその上でふんぞり返っているはずだ。

 となれば、信忠がここまで内密に事を進めている時点で、信長のあずかり知らぬことであると推測できる。

 つまり、信忠と信長の間で何らかの意見の隔たりがある、ということだ。


 そして信忠自身が出張って来るという状況からも、あまり信忠方の旗色がいいとは言い難い。

 それだけ切羽詰まっている、とも取れるからだ。


「いや、織田方の意向や理屈はどうあれ、色葉はこれを感情的に受ける気があるのかどうかと、聞いているのだ」

「む?」

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