第209話 箕輪会談(前編)
/色葉
七月十八日。
わたしは軍勢を三つに分け、それぞれの進軍を命じた。
三つ、といっても、そのうちの一つは上杉勢である。
景勝には悪いがすぐにも上州街道を取って返してもらい、沼田まで急行してもらった。
朝倉勢についてはおよそ二万余の軍勢に再編すると、そのまま佐久へと侵攻。
佐久郡の国衆の大半はすでに朝倉に靡いており、唯一小諸城のみが北条方の城として、徹底抗戦の構えをみせていた。
城兵は元々守備兵として残っていた二千余と、どうにか先の戦場から離脱することができた敗残兵およそ一千を合わせ、三千といったところだろう。
わたしは小諸城の手前で軍を二つに分け、大日方貞宗に小諸城攻略を命じた。
貞宗にとっては二度目となる、城攻めである。
前回はわざと負けた部分もあるが、それでも敗北には違いない。
武将ならば思うところもあるだろう。
だからこその機会であったが、どうせ貞宗のことだ。わたしの配慮が通じているか怪しいものである。
ともあれわたしは貞宗を小諸城攻略の総大将に命じ、兵一万を与えた。
その際、こんなことを聞いてきたものである。
「――城兵の助命は交渉の材料になり得ますか」
「助命、だと?」
わたしのことだから、皆殺しにしろと命じたとしても不思議ではない――そんな感じで諸将が見守る中、敢えて聞いてくるのが貞宗らしい。
「……小諸城についてはお前の裁量に全て任す。好きにしろ。……まあ、素直に降伏するというのなら、優しく扱ってやれ。抵抗するのなら……分かっているな?」
北条どもなど皆殺しでいいとは思うが、やり過ぎると人心が離れてしまう可能性もある。
わたしが直接関わるわけでもないし、ここは貞宗に任せておくか。
「では、そのように。色葉様もご武運を」
「ああ。軽く捻ってくる」
貞宗と分かれたわたしは残りの一万の兵を率いて中山道を東に進み、上野国へと進軍した。
途中には難所である碓氷峠があり、かつては信玄などもここを越えて、幾度も上野への侵攻を図ったという。
この峠は峻嶮であるため、信州方面からの侵入を防ぐに適した要衝であったが、何事も無くこれを通過することができた。
北条氏邦は未だこちらの動きに気づいていないか、気づいていたとしてもここで西進して防ぐには、危険が大きすぎると判断したかのどちらかだろう。
七月二十日には上野国に入り、二十一日には上州街道から進む上杉勢との挟撃を期して箕輪城へと迫った。
だがいざ着いてみれば拍子抜けで、すでに氏邦は居城である鉢形城に撤退した後だったのである。
氏邦は北条家中でも勇猛で知られる武将であり、後詰の到着でいったん、箕輪城の包囲は解くとは思っていたが、野戦にて決戦に及んでくる可能性を考慮していたのだ。
詳しく状況を聞けば、沼須城主の藤田信吉が寡兵でありながら調略を駆使し、北条方を翻弄。
最後は朝倉の大軍が援軍として迫っていることや、信濃方面での北条方の大敗の噂を流し、氏邦を退かせることに成功したという。
ちなみにこれを信吉が実行した時には、未だそのような情報は伝わっていなかったはずなので、完全に流言飛語の類である。
まあ、信吉は雪葉に命じてすでに接触させていたはずなので、こちらの援軍が必ず来るであろうことを想定しての策だったのだろうが、噂に聞く氏邦を相手によくやったものだ。
ともあれその日のうちに箕輪城に入り、わたしは城代である内藤昌豊や、援軍としてかけつけていた藤田信吉、また上杉景勝らと会見に及んだ。
「此度の援軍、御礼を申し上げます」
まずそう口火を切ったのは、昌豊だった。
すでに六十近くの齢で、老将といって過言ではない容貌である。
「長篠の時以来だな」
「然様ですな」
あれから六年、か。
当時はばたばたしていてろくに話す機会も無かったが、昌豊は後世に武田四名臣の一人として名の挙げられる名将で、わたしも印象には残っていた。
史実通りならば設楽ヶ原で死ぬはずだった人物で、しかしわたしはこれを救い、昌豊だけでなく、山県昌景や馬場信春といった他の四名臣も存命することになる。
もっとも、信春は先日討死し、昌景も遠江浜松城で玉砕したというから、今となっては昌豊を残すのみとなってしまったわけだ。
「ずいぶん老けたんじゃないのか?」
昌豊の顔には皺が刻まれ、白髪も目立っている。
長篠以降も苦労した証拠だろう。
「そういう姫はお変わりなく」
「自分では分からないがな」
対するわたしは、それこそ容姿は何も変わっていない、らしい。
「――で、お前が藤田信吉か」
「ははっ!」
何やらやけに緊張して頭を下げる様子に、わたしははて、と小首を傾げる。
こちらは昌豊とは打って変わり、まだ二十代前半といったところの若武者だ。
当然、面識は無い。
にも関わらずのこの平身低頭振り。
何やら解せない。
「北条を打ち払ったのはお前だと聞いているぞ? 武田にもまだまだひとはいるようだな」
「勿体無きお言葉なれば!」
やはり、あからさまに仰々しい。
「……お前、あの氏邦相手に寡兵で挑めるほど肝の据わった輩だろうに、どうしてそんなにこの場では汗をかいている?」
「そ、それは……。ご尊顔を拝謁して恐悦至極でありまして……」
「ふぅん」
うん、どう見ても脂汗の類だろう。
そんな信吉をわたしは胡乱げにしばし眺めていたが、やがて思い当たることがあり、何となく理解してしまったのである。
「そうか。雪葉に会っているんだったな?」
「ははっ! ゆ、雪葉様にはよろしくと頼まれていましたゆえ……!」
やっぱりか。
この反応を見るに、雪葉に相当何やら言い含められたのだろう。
信吉の調略を命じたのはわたしだが、しかし初対面の相手に雪葉の奴、一体全体どんな接触を持ったのかと、こちらが引いてしまうほどである。
まあ……あまり想像しないでおくか。
普段は温和なのに、時々怖いからな、雪葉は。
ともあれそのせいもあって、無理をして氏邦を打ち払うべく動いたのかもしれない。
動機はともかく、それを成功させている以上、信吉にわたしの見立て通りの能力があることは確かだろうし、図らずも証明されたわけだが。
とはいえ理由はそれだけでも無いはずだ。
「そういえば、お前は北条氏邦に対して遺恨があったはずだな?」
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