第207話 すれ違う者


     /色葉


 戦は朝倉の完勝に終わった。

 それはいい。

 もし誤算があったとすれば、あまりにわたしの策が嵌り過ぎたことだろう。


 包囲殲滅がこれでもかというくらいうまくいき、結果、北条勢は文字通り壊滅した。

 今回の合戦でわたしは一万五千以上を殺したのである。


「――お断りします」


 その日の夜。

 戦に勝利したとはいえ、次なる行動のために忙殺されていたわたしであったが、間を見つけて千代女を呼び出し、今回の戦功による褒美を尋ねた時のことであった。


「む?」

「私は二度と、あなたとは関わりたくありません」


 今回の砥石城での籠城において、千代女は何だかんだ言いながらもわたしをよく守ってくれた。

 正直気に入らない女ではあるが、功に報いるのにはやぶさかではない。


 とはいえ千代女は家臣というわけでもないので、どんなものが欲しいか聞いてみたところ、今ほどのつれない返答があった、というわけである。


 最初、性格の悪い千代女のことだから、そういう反応をしてみせたのかとも思ったが、少し様子が違うことにようやくわたしは気づく。


「……どういう意味だ?」

「今回、あなたは一万五千もの魂を貪っておきながら、まだ飢えている。ひとでないことは承知していましたが、あまりに異常です。私は、あなたがおぞましい」


 どうやらただの嫌味で言っているわけではないらしい。


「お前が、わたしを怖がるだと?」

「ええ。とても怖いのですよ」


 千代女の表情に変化は無いが、しかし本気のようだ。


「そうは言うが、解せない。お前なら分かるだろうが、今のわたしは以前、お前と戦った時よりも遥かに弱体化している。殺そうと思えば殺せたはずだろう?」

「――やめて下さい。私を謀るのですか」


 謀るのですかって言われても、こちらにそんな気はない。

 実際、わたしは弱っているし、今回も直隆や千代女の護衛が無ければ、正直どうなっていたか分からない戦況だった。


 ……確かに千代女の言うように、戦場に溢れた戦死者の魂は、ほぼ全て捕食している。

 しているのだが、自身ではさほど意味のある行為とも思ってはいない。


 食べても食べてもどこかに抜け落ちてしまっているような感じで、わたしの回復にほとんど寄与していない印象だったからだ。

 それでも朱葉が極力そうして欲しいと懇願するものだから、律儀に拾って集めた程度のことである。


「あなたが何を考えて、これからどうするつもりなのかは知りません。知りたくもない。信濃巫が欲しいと言うのならば、好きにすればいいでしょう。あれは乙葉が心得ていますから、彼女に任せればすむ話です」


 千代女の言うように、今回信濃巫の情報網や情報操作は非常に役に立った。

 今後、これを使わない手は無いであろうし、そのためには千代女を召し抱えてもいいとさえ思っていたのだが、まるで先手を打つかのように千代女はそう言ったのである。


「……お前はどうする気だ?」

「主家が滅びた以上、もはや果たす義理もありません。この地に留まる理由も無いですし、どこかあなたの目の届かぬ地に流れるつもりです。褒美と言うのならば、それを許して欲しい」

「嫌われたものだな」


 元々相容れない関係であるから、仕官の話はそこまで期待していたわけでもない。

 とはいえ、ここまで言われるとやはり気にはなる。


 やはり一万五千も殺戮してしまったことで、敬遠されてしまったのだろうか。

 しかし冷血振りはこの女もわたしに負けていないはずで、その程度で、と思ってしまうところではあるのだが……。


 まあいい。

 どちらにせよ、この女はもうわたしに靡かないだろう。

 変な気を起こされても困るし、去るというのならば去ればいい。


「なら、好きにしろ。ただし、信濃巫はもらうぞ?」

「お好きに」


 最後まで分かり合うことは無いまま、千代女はこの場を辞していった。


「……直隆」

「は」

「あの女が恐れるほどのことを、わたしはしたか?」


 常に傍で護衛役を担っている真柄直隆へと、わたしは何気なく問いを投げかけた。

 何となく、もやもやするからである。


「一万程度が何だと言うんだ? 信長などは長島一向一揆征伐で、二、三万は焼き殺しただろうに」

「恐らく、数の問題ではないかと」

「そうなのか?」


 わたしは首をひねる。

 よく分からない。


「望月殿は、色葉様の存在そのものに畏怖したものと推察します」

「とてもそう思えない。相変わらず舐めた口をきいていたような気もするし」

「そういう性情なのでしょう」

「ふうん」


 やはりよく分からないが、そもそも他人の考えなど端から分からないものだ。

 となれば、考えていても仕方が無い。

 それに今はやることも多々残っている。


「休憩は終わりだ。軍議に戻る」

「もうしばし……お休みされた方がよろしいかと」

「そんな時間は無い」

「……は」


 北条氏照勢は破ったとはいえ、上野情勢は未だ解決していないし、高遠城では晴景が孤軍奮闘している。

 まだまだ楽観できる情勢では無いのだ。


 今夜は眠れないだろうな……。

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