第202話 故郷を臨て
◇
「首尾は如何であったか」
沼田城を出た雪葉を待っていたのは、随行していた真柄隆基である。
そんな隆基に対し、雪葉は小さく吐息を吐き出して、述懐した。
「……少し、気が急いていたようです。本来ならば粘り強く交渉すべきだったのでしょうが……」
色葉の命とはいえ、その傍を離れていることに、やや焦りがあったことは認めるところである。
雪葉の使命はこれで終わったわけではない。
この後は越後新発田城に向かい、重家と話をまとめる必要があるのである。
ここから新発田城は遠い。
再び色葉の元に舞い戻るには、まだ相当な日数がかかることだろう。
「我らが命じられた使命は重大である。事を仕損じては元も子も無く、色葉様に顔向けできぬぞ」
「……その通りです」
事を急ぐあまり、交渉の席でやや挑発じみた、あるいは脅迫めいた言葉を多用したことは、早計だったという気もする。
意外にも景勝は物分かりが良く、了承の意を示したが、樋口兼続などはより一層、朝倉家に対して不審を抱いたことだろう。
しかし交渉の仕方がどうあれ、朝倉家が提案した仲裁という名の要求の内容があれでは、結局同じことだったのかもしれない。
それは色葉も見越していたことである。
だからこそ、雪葉が景勝との会見に及んでいる間、隆基は一人離れ、この沼田城にほど近い沼須城に向かっていたのだった。
当然これは、色葉の命によるものである。
「隆基様のご首尾は?」
「まずはあいさつ程度ではあるが、誼を通じることはできた。明日にもう一度、雪葉殿との会見の手筈を整えてある」
隆基が言うのは、沼須城主・藤田信吉のことであった。
元は北条家臣であったものの、現在では北条家から離れ、武田家に仕える武将である。
色葉は現在、信濃や甲斐方面のことで頭がいっぱいのはずなのだが、この上野についても思考を巡らすことを忘れていないようで、今後の布石として工作を始めたのだった。
その手始めが、藤田信吉である。
「では、あとはわたくしがうまく靡かせねばなりませんね」
越後での調略の実績を買ってか、色葉はこの上野においてもその調略の担当に、雪葉を据えることとした。
武田家が滅びた以上、この上野の帰趨は今後の戦局に大きく影響してくる。
色葉としては、当然これを放っておくつもりはない、ということだ。
責任重大である、と雪葉は自身に言い聞かせつつ、ふと東の方へと視線を向けた。
夜の闇のせいもあって、何が見えるというわけでもない。
「……どうされた?」
「あ、いえ」
隆基に尋ねられ、雪葉は何でもないと首を振る。
「……あちらは下野国であったと、そう思いまして」
「下野国?」
二人は今いるのは上野国。
ここら東に向かえば、下野国となる。
「何か、ご縁でもおありか」
「わたくしには何も。ただ、乙葉様の生まれ故郷であると、そう窺っていましたもので……つい」
「なるほど。乙葉殿の、か」
以前、乙葉自身から雪葉が聞いたことでもある。
雪葉にしても乙葉にしても、あまりお互いのことを詮索しない。
そのため大したことは知らないのだが、乙葉は下野国出身であると言っていた。
あまり、その故郷に良い思い出は無いような素振りだったので、詳しくは聞かなかったのであるが。
「そういう雪葉殿は、確か越後のご出身であったな」
「はい。越前に向かう途中、隆基様にお救いいただいたことは、今でも忘れませぬ」
「大したことはしておらん。気になされるな。それよりも越後において、雪葉殿は大いに活躍されているとか。色葉様が大いに褒めておられたぞ?」
「それは……過分な評価です」
越後は雪葉の生まれ故郷ということもあって、雪葉はその縁を活かすべく、越後方面に関しては比較的雪葉に任せることが多かった。
実際、現在の上杉家でもっとも顔を知られている朝倉家の関係者は色葉ではなく、雪葉である。
「やはり、越後国も色葉様のものになるべきとお思いであるか?」
「上杉家などよりも、姫様の手で支配されるべきとは考えますが、それはこの日ノ本にあまねくすべての国に対して同様に思うことでもあります。ですが、姫様はわたくしなどよりもずっとお優しい方ですので、上杉家の力がさほど役に立たなくなってきている現状においても、積極的に臣従させるなり滅ぼすなりのお考えはされてはいないでしょう」
先ほどの景勝との会見で高圧的な態度で臨んだ雪葉であったが、色葉が未だ上杉家に対して関係の維持を基本方針としていることは、承知しているところだ。
「役に立たぬ、か。ははは」
「……隆基様?」
「いや、この朝倉家も大きくなったものだと思ってな。義景様にも野心あれば、ここまでのことを為すだけの底力が朝倉にもあったのかと思うと、やや残念でもある」
「残念、ですか」
「できることならば、生身の身体にて朝倉家に奉公したかったものだと……いや、愚痴の類だ。むしろこの身でなければ、色葉様にお会いすることも、越前にお連れすることも叶わなかったのであろうから、あの滅びは必定であったか」
最後は独り言のように。
それは珍しい、隆基の独白だった。
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