第195話 雪葉と貞宗


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 ようやく眠ってくれた色葉を見て、雪葉はようやく安堵した。

 よほど疲れていたのか、すでに寝息を立て始めている。


 以前の色葉ならばともかく、今の色葉はその体力も落ちている。

 にも関わらず、以前のように無理を通して働くのだ。


 色葉はよく家臣使いが荒いと言われるが、その実、自身こそを最も酷使しているに違い無い。

 つまるところ、色葉は必死になってこの世界で生きているのだ。

 少なくとも雪葉はそう思っていた。


「とても、ご苦労されたのですね……」


 雪葉は色葉がただの狐の妖でないことを知っている。

 もちろん、これは色葉自身が告白したことではない。

 ある時、真柄隆基が雪葉に語ってくれたことがあったのである。

 その、出会いを。


 その話を信じるのならば、色葉は朝倉家とは無縁、ということになる。

 そんなことなどはどうでも良かったが、しかし色葉の正体はとても気になった。

 だがこれは、隆基らも知り得ないことである。


 しかし唯一知っていそうな相手に、雪葉は心当たりがあった。

 朱葉である。


 色葉に命じられて朱葉を預かって以来、雪葉は朱葉を問い詰めた。

 朱葉も普段は色葉以外には一切の譲歩をしない、冷徹な存在ではあるが、そんな朱葉に指導された雪葉も負けてはいなかった。


 相手が幼子の姿であろうと、雪葉にとっては遠慮する要因にはなり得ない。

 自らの受肉に負い目を感じていた朱葉はついに折れ、雪葉に真相を語ってくれたのである。


 それはにわかに信じがたい内容であった。

 色葉は元々この世の者ではないというのである。


 身一つと朱葉――当時はアカシアだが――とだけでこの世に迷い込んだ色葉は、そこから今に至るまで立ち止まることなく生き続けている。

 色葉ならばと思う一方で、その心境を思えばあまりにも不憫な気もした。


 色葉は強い。

 しかしその強さは、時に弱さの裏返しでもある。

 先ほどのように、時折洩らす弱音はその証左だろう。


 そしてもう一つ。

 朱葉は決して無視できないことも、雪葉に語っていた。

 語ったというよりは、懇願したと言うべきか。

 朱葉もまた、自身の欲がもたらした弊害に慄き、焦り、あらゆる手段を講じて運命を覆そうとしていたのである。


「……姫様。この命を救っていただいた恩は忘れません。……必ず、必ずお救い致しますゆえ、今はお眠りを……」


 そうして、どれほど経っただろうか。

 不意に、蝋燭の火が揺らめく。


「……貞宗様ですか?」

「火急の用にて参った」


 部屋の向こうから、ひそめつつも貞宗の声が届く。


「色葉様は」

「今はお休みされておいでです」

「然様か……」


 その返答に貞宗がやや逡巡した様子を感じ取ると、普段ならば誰であろうと追い返すところを、雪葉は敢えて言葉を続けた。

 色葉が目を覚まさぬよう、細心の注意を払って、であるが。


「……如何されたのです?」

「よくない報せだ」


 確かにそんな感じの声の響きである。

 雪葉は少し迷った。


 このまま会話を続け、色葉が目を覚ましては元も子も無い。

 とはいえ相手は大日方貞宗。

 恐らく色葉が最も信頼している家臣の一人であり、その忠誠と、憚らずに諫言する様は、雪葉をして見習いたいと思うほどの相手である。


 隆基らの話によれば、貞宗もまた色葉が朝倉家と無縁であることを承知しているはず。

 その上で従っている以上、やはり他の朝倉家臣とは一線を画す存在と言えるだろう。


「だが、色葉様がお休みとあらば、明日で構わぬ」

「いえ、わたくしで良ければお伺いを」

「……ふむ」


 貞宗は少し考えた後、ならばと続けた。


「お目が覚めたら伝えられよ。越後の新発田重家殿が謀反したと、急使が参った。まことならば、上野情勢が危うくなる」

「新発田様、ですか」


 その報せは実のところ、雪葉にとって意外なものではなかった。


「……大丈夫です。姫様ならばそのことを、すでに承知されておりますから」

「なに……?」


 さすがに貞宗も驚いたようで、僅かに声を高くしてしまう。


「姫様は新発田様のご謀反を予想されておりました。ですからこの度の遠征に、乙葉様でなくわたくしが選ばれたのです」

「――――。確かに雪葉殿は、上杉家の者らと縁が深い、が……」


 雪葉は色葉の命により、たびたび越後に赴いている。

 それが工作の類であったのならば、雪葉が承知しているのも道理と言えた。


「ならばこの謀反、色葉様の仕込みか」

「姫様は放っておいても謀反は起きると、そう仰せでした。どうせ起きるのならば、有効に活用すべきだとも。ですがこの時期の謀反は都合が悪いと、望まれてはいなかったはずです」

「それでも謀反は起きた、が……」

「姫様とてままならぬことはあるのですよ」


 万能に見える色葉も、読み間違えることもあれば失敗もする。


「……確かに、な。つい忘れがちになってしまうが」

「その分を補うのが、我々の責務でしょう」

「…………」


 雪葉の言葉に、貞宗は押し黙った。

 貞宗と色葉の関係は、雪葉と色葉の関係ほど一方的ではない。

 出会いを考えれば、複雑な関係であるといえる。


「……私は、色葉様の紛うことなき忠臣とは、言えぬぞ」

「いえ、誰よりも忠臣です」


 雪葉は断言する。


「ですから」


 この先のことを考えれば、協力者は一人でも多い方がいい。

 そう考えた雪葉は、意を決してそれを持ち掛けた。


「貞宗様。是非、お話したき儀があります」


 そのことに比べれば、越後で起こった新発田重家の謀反など――雪葉には些末事に過ぎなかったのである。

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