第174話 金ヶ崎評定
◇
七月十九日。
わたしは北ノ庄城にて兵を揃え、敦賀へと進み、金ヶ崎城へと入城。
それから数日間、情報収集に努めた。
今は戦時ということもあり、人を多く派遣していることもあって、各地からの情報の伝達は各段に早くなっている。
そして二十七日の時点で、事態はかなり悪化していたと言わざるを得なかった。
「……色葉様、どうやら駿河もすでに落ちた由にございますな」
「なんだと?」
景建の報告に、わたしは顔をしかめた。
どうやら思った以上に早く、武田領は侵食されつつある。
三河は早い段階で織田勢によって侵攻され、失陥したことは知っていた。
七月に入った時点で柴田勝家が大軍を率いて侵攻し、これを迎え撃ったのは武田の重臣である山県昌景であったが、三倍以上の兵力差は如何ともし難かったらしい。
早々に撤退し、遠江の浜松まで退いたという。
そうこうしているうちに、今度は駿河が失陥。
これを攻めたのは北条勢だ。
「駿河は三河と違い、領地としてからそれなりに時も経っている。そこまで守りにくいというわけでもなかっただろうに」
「一門の穴山梅雪が離反したようです」
「……また武田を見限ったか」
また、という表現は適当ではないことを自覚しつつも、訂正する気にもなれずにわたしは頭痛を堪えた。
史実における甲州征伐の際、穴山梅雪は徳川家康に通じて武田を裏切っている。
どうやらこの世界でも似たようなことになってしまったらしい。
武田家にも忠臣は数多くいるが、しかしその一方で滅亡の際、多くの家臣に裏切られたことも事実である。
唯一、まともな抵抗をしてみせたのが一門の仁科盛信――つまり晴景だけだった、という体たらくだったのだ。
ましてや今、勝頼は死していない。
となれば忠誠を捧げる特定の個人はおらず、武田家そのものだけに忠誠を誓えるかといえば、難しいところだろう。
誰もが本領安堵のために自己保身に走ったとしても、責められるものではないかもしれない。
「遠江は?」
「未だ健在のようですが、東西から攻められて陥落も時間の問題かと」
かつて信玄による駿河侵攻の際に、今川家があっという間に滅んだことを彷彿とさせる事態だった。
「殿はすでに援軍に向かわれたのでしょうか」
「いや。留めてある」
磯野員昌の問いに、わたしは首を横に振る。
「それは如何なる存念にて」
「援軍派遣は我々が信長に勝利したら、の話だからだ。万が一敗れれば、この機に信長は北近江奪還を目指してくるに決まっている。そうなれば迎撃するためにも後詰が必要になる」
「なるほど。そのため殿の軍勢はどちらでも動けるように、越前にあるというわけですな」
「そういうことだ」
負けるつもりは無いが、目指すは信長の本拠地である安土。
となればその抵抗は頑強だろう。
「ともあれ一大決戦となることは間違いありませぬのう」
そう言うのは松永久秀である。
この軍議の場には朝倉景建を初め、若狭の武田元明、丹波の松永久通やその他諸将が参列している。
久秀もちゃっかり出陣してきていた。
「いいか。兵力は拮抗。まともに戦えば、勝敗がどちらに転ぶか分からん。そんな博打みたいな勝負に臨めるほど、余裕は無い」
「然様ですが、されど如何ともし難いのでは」
「いくつか策を考えたが、やはりこれが一番戦果が高いだろう」
そう前置きして、わたしは諸将に説明する。
「なるほど。船を多く用意させているのはそのためでしたか」
元明が得心いったように頷いた。
「そういうことだ。まともに戦って勝敗が見えぬのならば、まともに戦わなければいい。そもそも勝敗云々よりも戦果を優先すればいい、ということだ。卑怯だと思うか?」
「はっはっは。わしが言うのも何ですがのう。卑怯陋劣大いに結構ではありませぬか。のう、久通」
「は……。そのように心得ます」
松永父子はむしろ歓迎、といった感じである。
「別段、卑怯というわけでもありますまい。戦術の一環かと」
真面目に答えるのは元明。
「まともに戦う機会が無い、というわけでもありませぬからな。出陣の機会さえ与えて下されば、文句など出ようはずもありませぬぞ」
などと言うのは員昌である。
いい歳だろうに、相変わらず血気盛んな男だ。
「そういうわけだから、今回の総大将は景建、お前だ」
「はっ。承りました」
「……言っておくが、無理はするな。うまく引き込めればそれでいい」
「責任重大でありますな」
「そうだ。責任重大だ」
敦賀に集結したわたしの手勢は、丹波衆一万に、若狭衆三千。そして越前衆が二万で、約三万三千余の大軍である。
ちなみに北ノ庄にはまだ二万程度の軍勢が、晴景の元で待機している。
これは武田に援軍として向かう予定の一軍だ。
また越中では姉小路頼綱ら越中衆約一万が待機。
対する織田方であるが、柴田勝家率いる二万七千余が、三河を掌握後、遠江へと侵攻中。
また京には明智光秀率いる三万程度の軍勢が、大坂の羽柴方牽制のために陣取っている。
そのためこれは動けない。
そして美濃の岐阜には郡上八幡城を牽制するかのように、織田信忠率いる約一万の軍勢が待機しているとのこと。
そして安土の信長の元には、三万六千ほどの軍勢がいることが確認されている。
これでざっくりと織田方の動員数は約十万以上。
こちらは国境の諸城に駐屯する兵らも全て含め、約七万といったところ。
まだ余力はあるが、これ以上は無理をすることになる。
しかし織田家の動員力にはやはり感心した。
あちこち削ってやったというのに、この底力だからだ。
「やはり朝倉家が単体で戦うには、難敵であることは認めざるを得ないか。不愉快だな」
例え畿内を失いつつあったとしても、信長が今のところ一番天下に近いことは認めなければならないだろう。
「ところで久秀」
「は、何ですかな?」
ふと思い出して、わたしは久秀の名を呼ぶ。
「この前茶器を手に入れてな。お前に目利きをしてもらおうと思って持ってきたんだ」
「ほう。姫が茶器を。わしの教授がお役に立ちましたかな?」
「茶器などに興味は無い。貞宗あたりも茶器に興味があるらしくてな。くれてやろうと思っているんだが、もし安物だったら悪いと思っただけだ」
「ほほう……。大日方殿は果報者ですな。姫に下賜していただけるなど」
「その分苦労しているぞ?」
「させている、の間違いですな。はっはっは」
貞宗の苦労人ぶりは、家中でも有名である。
そしてその原因がわたしであることは、疑いようも無く。
まあわたしも否定はしないが。
「というわけで今夜来い。出陣前に確認しておきたい」
「ははっ。ではついでにどの程度茶の湯に造詣を深められたか、拝見させていただこうとしますかの」
「だから茶の湯に興味は無いぞ」
結局その夜、どうせだからと諸将を招いて茶会を催すことになった。
その場で鈴鹿が土産に持ってきた茶器の銘が判明することになるのだが、久秀を始めとして諸将はみな驚き、羨望を集めることになる。
その名は九十九髪茄子。
久秀曰く、唐物茄子茶入に分類される大名物であり、足利義満が所有した後、足利家において伝えられ、足利義政の代に家臣に下賜されて紆余曲折を経て、久秀が一千貫にて入手。
その後に久秀が信長に降伏する際に、手土産として信長に献上し、その手に渡ったという。
ちなみに一時期、朝倉家の朝倉宗滴が所有していたこともあったらしい。
それが今ではわたしの手の内、である。
ともあれ数ある茶器の中でも至高の一品であることには違いなく、鈴鹿のやつ、本当に信長の許可を得て持ち出したのかと思ってしまうほどのものなのだ。
まあ、だからといってわたしには興味は無いので、予定通り、貞宗にくれてやるとするか。
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