第164話 小田原評定
◇
やや時を遡り、天正八年五月十七日。
相模小田原城では緊迫した空気が流れていた。
すなわち武田勝頼の来襲である。
「如何に対応すべきか存念を述べよ」
「ではまずそれがしが」
北条家当主・北条氏政の言に答えたのは、筆頭家老である松田憲秀。
「武田勝頼は自ら二万五千と号する大軍を率い、この小田原目指して進軍しております。また上野の内藤昌豊が数千の兵を率い、南下の構えを見せている様子との報告もありますな」
「合わせて三万程度か。軽く蹴散らしてくれる」
意気込むのは氏政の弟の一人、北条氏邦である。
「お待ちを。この小田原城は天下の名城。これに篭れば余計な犠牲を出さず、勝頼めはじきに諦めて去ることになるのは明らかなれば、出陣は不要と心得ますぞ」
「手緩くはないか」
そう言葉を発するのは北条氏直。
氏政の嫡男である。
「若、この小田原城は上杉謙信や武田信玄ですら手も足も出なかった城にございます。であれば、この利を活かさぬ手はありませぬ」
憲秀の主張に、家臣の多くは同調する気配を見せた。
小田原城は平山城に分類される城であるが、その総構えの規模はこの日ノ本においても屈指の規模であり、まさに難攻不落。
憲秀の言うように、謙信や信玄もこれを包囲するも攻略に至らず、撤退に及んでいる。
「拙者は反対だ!」
そんな中、食い下がったのは氏邦だった。
「確かに城に篭れば負けはせぬが、勝てたとも言えぬ。敵は数万程度。こちらとてそれに劣らぬ規模の兵はある。野戦にて打ち破ってこそ、二度とこの相模の地に武田の賊どもを寄せ付けぬと内外に知らしめることができるのではないか!」
憲秀と氏邦の主張は真っ向から対立し、評定は紛糾した。
幾度かの激論が交わされたあと、評定を見守っていた氏政は、隅に控える一人の将へと意見を求めたのである。
「徳川殿。貴殿は如何お考えか」
「いや、わしなど新参者の意見など」
「構わぬ。貴殿は武田と戦った経験をお持ちだ。是非にもご意見を伺いたい」
末席にいた徳川家康は、評定の中にあって口を挟むことはなかった。
しかし当主に意見を求められては答えないわけにもいかない。
「されば。武田は精強。これを疑う余地はありませぬ」
「徳川が弱兵であっただけではないか」
家臣の中からそんな嘲笑が漏れ聞こえたが、家康は聞こえぬ振りをして先を続ける。
「さらに東海道を得て士気高く、これと正面から戦うは下策かと」
「では、籠城策をとるか」
「悪くはありませぬ。が、籠城は城兵はもちろん、城下の民にも負担を強いることとなりましょう。できるならば、一度限りにすべきかと」
「うん? それは如何なる意味か?」
首を傾げる氏政に、家康は自論を述べた。
「まずは籠城。敵は遠征につき、長期戦は望むところではないでしょう。決戦の思惑に乗ってはいけません」
「何を言うか!」
氏邦が激昂するも、氏政に窘められて苦い顔になる。
「そうして時を稼ぎ、疲弊を待ちます。やがて撤収に至ればそれが好機。追い討ちをかけるのです」
「つまり、機を見て打って出る、ということか」
「如何にも」
家康の言に、家臣の一部からは失笑が漏れた。
「……徳川殿。それらしい策には聞こえるが、敵とて撤退時が最も危険であると承知していよう。かつて武田信玄が相模を侵した際、我らはそれを追撃せしめたが、逆撃にあって苦渋を舐める羽目になった。同じ轍は踏みたくはないぞ?」
憲秀の言に、如何にもと賛同する声が重なる。
「いや、あれは見事な策であった」
家康の言葉に、家臣一同がざわつく。
「それは我らを侮辱しての言か!」
「さにあらず」
氏直の言葉に、家康は首を横に振った。
「三増峠での戦いは、その戦術自体は間違いなかったと心得る。惜しむらくは、その作戦行動に齟齬があったこと。仮に挟撃に成功していれば、信玄の首とて取れたやもしれませぬぞ」
かつての永禄十二年。
北条家と武田家は矛を交えるに至っていた。
その発端は前年の永禄十一年に、武田信玄が今川家との同盟を破棄し、駿河侵攻を敢行したことによる。
当時、北条家と武田家、今川家はそれぞれが同盟を結び、三国同盟が成立していた。
しかし信玄の同盟破棄により瓦解。
この際、氏政の父である氏康は今川家との関係を選び、以降、両家は抗戦状態となったのである。
翌年には武田勢は甲府を発ち、相模国へと侵攻。
信玄は二万の兵をもって小田原へと兵を進め、これを包囲。
しかし難攻不落の小田原城を力攻めで落とすことは難しいと考えてか、わずか四日の包囲で撤収を開始した。
これを見た北条勢は北条氏照・氏邦の軍勢をもって、甲斐へと戻る途上の武田勢を三増峠にて待ち構え、合戦に至る。
さらには氏政率いる本隊が三増峠を目指し、武田勢を挟撃する算段であった。
「……確かに。あれはわしが間に合っておれば、勝てた戦であった」
思い出すかのように、氏政が頷く。
三増峠の戦いの勝敗は、最終的に武田方に軍配が上がる。
当初は有利に戦を進めていた北条勢であったが、武田家臣の山県昌景による奇襲が功を奏し、多大な被害を受け、撃退されるに至ったのだった。
そしてこの戦に氏政は間に合わず、もし挟撃が理想的な形で成功していたならば、武田勢の大敗は免れなかったかもしれないのである。
「信玄はわずか四日で軍を返したこともあり、疲弊せずに余力もあったことでしょう。であれば今回はこれを十分に引き付け、つけ入る隙を敢えて与え、その疲労を待つのです。その間に別動隊を組織し、帰路に伏せ、更には本隊の追撃をもって挟撃となせば、武田の壊滅は避けられぬのではありませぬか」
「ふむ……。確かに一理ある。とはいえそれは敵も承知しているのではないのか?」
「敵は勝ち戦。そこに驕りが生まれます。そして我らは負け戦。なれば油断も生じませぬ。となれば結果は自ずから明らかとなるのではないでしょうか」
「確かに徳川殿も負けに負けを重ねておられるからのう」
憲秀の一言に、周囲が笑う。
「まこと、汗顔の至りですな」
嘲笑の中、しかし家康は動じず、ただただ神妙に首を垂れたのだった。
◇
「殿、如何でしたか」
評定より戻った家康を待っていた石川数正に、家康はやれやれと肩をすくめてみせた。
「散々に笑われてきたぞ」
「な、なんと」
「だがわしの策自体は了承させた。三増峠での別動隊の一つを、我が徳川勢に任すともなった。とにもかくにもここで功を立てねば後が続かんからの。今は嘲笑に耐えるより他あるまい」
「……ご心中、お察しいたします」
「なに、慣れておる」
そうは答える家康ではあったが、決して明るいとは言い難い。
それもそのはずで、長く今川家に臣従し、桶狭間の戦いを機に独立を果たしたのも束の間で、今や再び他家に臣従する身の上となっているのだ。
いったいいつまで忍従を重ねれば良いのかと思ったとしても、やむを得ぬ仕儀であろう。
「よいか数正。まずは武田をどうにかせねばならん。勝頼は信康の仇でもある。どんな手を使ってでも切り崩すぞ」
「ははっ!」
家康は武田勢の来襲に先立ち、江戸へと急ぎ戻ると手勢を集め、時を待ったのである。
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