第157話 顕元の苦悩
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朝倉晴景との会見を終えた上杉家臣・安田顕元は、次に予定されていた色葉との会見を前に、密かに別の者との会談に及んでいた。
色葉の側近である朝倉雪葉である。
昨夜の酒宴で少しも酔った様子の無い顕元へと、それに気づいた雪葉が声をかけ、親しく話をしたものの酒宴の最中。
ならばと顕元は翌日の会談を望み、雪葉はそれを承知し、時間を作ってくれたのだった。
「越後より遠路はるばるご苦労様でした」
雪葉に与えられた城内の一室に招かれた顕元は、いやいやと首を横に振る。
しかしその顔には言いようのない疲労が溜まっていた。
先日雪葉が見たように、何やら心に秘めたことがあるらしい。
「一度、噂に名高いこの北ノ庄を訪れてみたかったのです。実に圧巻。まことに素晴らしき城でありますな」
「姫様が見栄に見栄を張ってお作りになった城ですからね。そうおっしゃっていただければ、姫様も喜ばれましょう。……ところで」
雪葉はやや声をひそめる。
「わたくしに何やらご相談があるとか」
「は……。実はその、何と申せば良いか……」
「安田様には越後でお世話になった身。どのようなご相談もお受けすることはやぶさかではありませんが……」
朝倉家による越後遠征の際、雪葉は積極的に上杉家臣と接触し、誼を通じていた。
特にこの安田顕元とは念入りにと色葉に念を押されていたため、当時も今も、あらゆる便宜を図ることを惜しむつもりはない。
「ですがこれだけはご了承を。わたくしの耳に入ったことは、全て姫様にも届くとお考え下さい。それができぬ相談であれば、お引き取りしていただくがお互いの為かと」
「いや……それは構わないのです。むしろ、本来ならば色葉姫にご相談したかったのですが……その、お気を悪くされては欲しくないのですが、少々あの方は恐ろしく……」
「姫様はお優しい方です」
「は……それは重々承知しておるのですが……」
困ったようになる顕元に、雪葉は微笑を拵えて優しく笑んでみせた。
色葉ではまずあり得ない表情である。
「ただ、心中はお察し致します。姫様への不敬を恐れ、まずわたくしにとそうおっしゃるわけですね?」
「然様……ですな」
雪葉は頷いた。
「よろしいでしょう。承ります」
「は……。実は雪葉殿もご存じの、新発田重家殿のことなのですが」
「新発田……重家様、ですか?」
聞かぬ名前に雪葉は小首を傾げる。
「これはしたり。五十公野治長殿と申すべきでした」
「ああ……。名を変えられたのですか?」
「ええ。実は兄の長敦殿が病を得て回復の見込みなく、治長殿が新発田の家を継ぐことになったのです」
その答えに、雪葉は表情を曇らす。
「重いのですか?」
「恐らくは、もう……」
当初、朝倉家との外交は新発田長敦が担っていたのであるが、それが顕元に交代したことからも、その重篤の程は伺えるというものだった。
「それは残念です。新発田様とは親しくさせていただきましたので……」
「まことに……」
「それで……重家様が如何されたのですか?」
改めて聞かれ、顕元はいったん言いよどんだ。
しかし意を決し、口を開く。
「しからば……。身内の恥ではあるのですが、上杉家中は未だまとまりをみせてはおりません」
「ですが、乱は収束したはずですが」
「論功行賞で……揉めているのです」
御館の乱は、上杉景勝と上杉景虎を擁立する二派に上杉家が分裂し、熾烈な内戦状態となった。
その中にあって景勝方であった顕元は、当初は景虎方であった諸将を調略し、味方に引き入れて景勝方の勝利に大いに貢献したのである。
「安田様へのご褒美が少なかったと、そういうことですか?」
「いや、そうではござらん。それがしなどは殿の臣。責務を果たしたに過ぎませぬ。されど……それがしが引き入れた諸将は利ありとみなして翻ったのです。当然恩賞を期待したことでしょう。いや、元より殿の家臣であった者どもも、やはり此度の戦で功を上げた者は、恩賞を欲しました」
「当然ですね」
「ですが……」
顕元の話によれば、上杉景勝は恩賞のほとんどを子飼いであった上田衆にのみ与えたのだと言う。
恩賞を期待していた重家は猛反発した。
重家に与えられた恩賞は、新発田家の家督継承を認める、というものだけだったのである。
「重家殿は兄の長敦殿の功も軽んじられたと憤慨しており、もはや手がつけられぬ有様。それがしはどうにか重家殿にも恩賞をと思い、殿にも掛け合ったのですが、聞いていただけず……」
両者の間を奔走し、疲れ果てたのだろう。
どこか生気のない顔は、顕元自身も追い詰められていたことを示していた。
「これではそれがし、面目が立ち申さぬ。重家殿にどう謝罪して良いか……」
「なるほど。状況は分かりました。さぞご苦労されたのですね」
雪葉にも顕元が相談を持ち掛けてきた理由が分かり、まずは慰めてやる。
「つまり安田様は姫様に、両者の仲介をお願いしたいと……そういうことでしょうか」
「我が殿も色葉様には大きな借りのある身。そのお言葉を無下にはなさらないかと……」
「しかし内政への干渉になるのではありませんか?」
「……それは心得ております。それがし、事が成った暁には腹を切る所存。これにて面目は保てましょう」
「短慮はなりません」
顕元を制止しつつ、雪葉は深く頷いてみせた。
「この話、すぐにも姫様にもお伝えいたします。決して悪いようには致しませぬゆえ、どうかご自愛を」
「……かたじけなく」
「安田様はこの後姫様とお会いになる約束をされていましたね?」
「はい」
「ではこのままお待ちを」
雪葉は立ち上がるとその場を辞した。
一人残された顕元は、己に蓄積された疲労を吐き出すかのように、大きなため息をつく。
そして、
「……朝倉の姫も恐ろしいが、雪葉殿も似たようなものであるな。それに頼らなければならんというのも口惜しいが、このままでは上杉は……」
誰にともなく、そうつぶやいたのだった。
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