第145話 アカシアの告白
/色葉
『……主様』
「ん」
それはずいぶん久しぶりに耳にした声だった。
「アカシアか。久しぶりだな」
わたしは手にしていた本をなでつつ、苦笑する。
アカシアがこうしてわたしに語り掛けてくるのは、実に何ヶ月ぶりだろうか。
「嫌われたのかと思っていたぞ」
『! そのようなことは決して!』
「はは。冗談だ」
本を撫でてやると、すぐにも嬉しそうな気配が伝わってきたが、しかしそれも一瞬のことだった。
どこかその声に張りが無い。
まあそういう印象に過ぎない、とはいえ。
『……私は主様に詫びねばならないことがあります』
「ん、今までだんまりしていたことか?」
静かで良かったぞ、と冗談でも口にしようかと思ったが、どうもそんな雰囲気ではないのでやめておく。
何やらとてもしおらしいし。
『私は主様の存在に、被害を与えました』
「? 意味がわからない」
『…………』
わたしが首をひねっていると、そっと、わたしの部屋の戸が開いた。
入って来るのは華渓である。
その腕の中にはわたしの産んだ女児がいる。
名前はまだつけていないのだ。
「どうした?」
伺いも無しに勝手に入ってきた華渓の行動は、明らかにいつもと違う。
やや不審を覚えたが、さりとてそこまで不快に思ったわけでもない。
『申し訳ありません、主様。華渓には私が命じました』
「?」
何やらおかしなことを言う。
華渓も妖になった手前、雪葉や乙葉のようにアカシアの存在を知り得ている数少ない人物の一人である。
とはいえ状況が呑み込めない。
『まずはお礼を。主様のおかげで私はこの世に身体を得ることができました。感謝の言葉もありません』
「なんだと?」
抱かれた赤子は赤子にしてははっきりとした視線で、わたしを見ている。
まさか、と思った。
「あれが、アカシアなのか?」
『はい。今主様が手にされているものは、私の外部端末のようなものに過ぎなくなっています』
「…………。また奇天烈なことを仕出かしたものだな」
やや呆れる思いで手元にある本と、赤子を見比べてしまう。
にわかには信じられないが、そういうことらしい。
「まあお前なら、色々やれそうだけどな」
何せこのわたしの身体を今のものに作り変えたり、雪葉や乙葉に魂を分け与えて成長させたり、華渓を人から妖にしたりと、人体の改変などアカシアにとってはお手の物なのだろう。
そしてとうとう自分自身にも施してしまったらしい。
『当初、雪葉の身体を乗っ取って使用するつもりでいましたが、あれはあれでとても役に立つ存在になってしまったことで、手を出すことが憚られたのです』
びっくりな告白である。
そういえば死にかけていた雪葉を助けるように進言したのも、アカシアだったよな、確か。
『それにそのようなことをしては、主様に叱られると』
「ん、まあ、怒っただろうな」
乗っ取る、というのがどういう意味を指すのか具体的なことは知らないが、愉快には思わなかったはずである。
とはいえアカシアの際どい性格ならば、そんなことを考えていても少しも不思議ではない、といったところだろう。
「どうしてそこまでして身体が欲しかったんだ?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
つまりアカシアは、ずっと以前から肉体を欲していた、ということなのだろうから。
『それはもちろん、主様にお仕えするためです』
「今までも十分に役立ってくれていたぞ?」
『ですが、それでは足りないと不満だったのです。雪葉や乙葉が羨ましかったのです。そのために何の相談も無く、このようなことをしてしまいました』
「ふうん……」
なるほど。
まあ動機としてはもっともか。
これまでは語り掛けることしかできなかったからな。
「で、わたしの身体を利用して生まれてきた、というわけか」
『はい』
「となると、もう一人の子は何なんだ?」
『あれは正真正銘、主様と晴景のお子です』
そうなのか。
「じゃあお前は? 一応、わたしと晴景の子であることは間違いないんだろう?」
『正確には違います。私は主様の遺伝情報のみから新たに構築された存在ですので……晴景とは遺伝的な繋がりはありません』
「ん? ということは、よくわからんけどわたしとこの本の子……みたいなものなのか?」
『そうともいえるかもしれません』
何てことだ。
わたしは本に妊娠させられたのか。
まったく何でもありだなこの身体は。
「まあ、いいか。雪葉や乙葉にはこれまで色々と褒美を与えて報いてこれたけれど、お前には一切何もしてやれなかったからな。これがアカシアの望みだと言うのなら、別に構わんぞ?」
もう終わったことだしな。
『ですが』
「ん?」
最初からそうであったが、アカシアの雰囲気は暗い。
せっかく望み通りに受肉したというのに、何かまだ不満なんだろうか。
『私は失敗した……いえ、見誤っていたのです』
「何をだ?」
『自分自身の存在というものを』
アカシアはそう言って、説明をしてくれた。
そもそもわたしは元の世界において、妙な少女に出会い、何やらおかしなことをされて力らしきもの得、アカシアと契約したのである。
そしてアカシア自身も、あの妙な少女に創られたのだという。
そのためアカシアはわたしのことを主と呼び、少女のことを創造主、と呼んでいた。
つまり何が言いたいかといえば、わたしなどよりもあの少女に手ずから創られたアカシアの方が、存在としての格がずっと上だった、ということである。
「なるほど。要するにお前を生むには、わたしでは力不足だった、というわけだな」
例えるならアカシアはわたしの胎内でわたしという存在を食い荒らした挙句、食い破って出てきたようなものであるらしい。
もし余剰の魂が無かったら、命を落としていたかもしれないという。
『ですから今の主様の存在は、ひどく衰弱しています。常人以下といっていいほど落ち込んでいるのです。これは私の手落ち――私の我がままでこんなことに……申し訳ありません……!』
それこそ泣きそうな雰囲気になってアカシアはそう言うが、赤子に謝られてもこちらが困るというものである。
「そのうち治らないのか?」
『私の存在が、主様の存在自体を傷つけた可能性があります。全快は恐らく……』
無理なのか。
そうか。
そうなのか……。
「でも、人並みの生活はできるんだろう?」
『その程度ならば間違いなく』
「ならいいか」
立って歩けなくなるのなら困るが、常人と同程度ならばまあ許容範囲だろう。
『ですが、何としても力の戻る方法を考えてみせます! そのためにどれだけの存在が犠牲になろうとも、厭うつもりはありません』
怖いことをさらっと言ってくれる。
これではわたしは生贄を求める悪魔の類になってしまうじゃないか。
「雪葉や乙葉にも言っているが、自衛以外でわたしの許可なく人を殺すな」
殺人への罪悪感など欠片も無いが、しかし面倒ごとは避けたいからである。
『ですが……』
「命令だ」
『……わかりました』
アカシアから首肯する気配が伝わってくる。
何といってもアカシアのことだ。わたしのためにと、あちこちでえげつない人体実験やら何やらをやりまくる可能性は高い。
人の身体を得たのなら、尚更だ。
このことがもし表沙汰にでもなろうものなら、それこそわたしは討伐の対象になってしまうだろう。
やれやれ、である。
「まあそんなことより、まずは自分の身体だろう? 生まれてきたのはいいが、まだどう見ても赤子だし、成長しなくては話にならんだろうしな」
『はい。ですが、人の子よりは遥かに早く成長できるかと』
「そうなのか?」
『恐らくは』
数年で大きくなってしまう、ということかな。
となると、アカシアを人の子として扱うのは問題になりそうだな。
尻尾と耳でも生えていれば、わたしの時みたいに――といっても作り話であるが――狐憑きということで、隠して育てるという言い訳もたつのだけど。
まあおいおい考えるとするか。
――などと思っていた時であった。
どたどたと、物凄い勢いで足音が響いてくる。
まるで敵襲でも知らせるが如き勢いだ。
「――色葉様、いる!?」
「……乙葉?」
もの凄い形相で飛び込んで来たのは、紛れもなく乙葉であった。
どうやらまた、問題が一つ発生したようである。
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