第129話 大野定長


     ◇


 天正七年九月十八日。


 丹後建部山城は、松永久秀率いる朝倉勢の猛攻に遭って落城した。


 丹後守護であった一色義道は陥落する城から逃れ、再起を図るべく但馬国の山名氏への亡命を目論むも、その途中に身を寄せた中山城において自害に及ぶ。

 これは中山城主・沼田幸兵衛が朝倉方に内応し、寝返ったためでもあった。


 このように丹後の国人や一色家臣の多くは早くから朝倉に降るものが多く、事前に色葉が仕掛けさせていた調略が功を奏したともいえる。

 そのため丹後侵攻は順調に進むかと思われたが、唯一、弓木城のみが開城せず、徹底抗戦の構えを見せていた。


 この城は稲富氏の居城であったが、一色義道の死後、家督を継承した一色義定が弓木城に移り、残党を結集させて朝倉方の猛攻に対抗したのである。


 一色義定は剛勇で知られ、さしもの久秀も攻めあぐんだ。

 ここぞとばかりに吶喊した乙葉さえも撃退されて、手傷を負う始末である。


「まったく玉の肌に傷など作りおってからに」

「……久秀が言うと何だか嫌らしいんだけど」


 仏頂面で傷の手当を受けていた乙葉は、見舞に来た久秀に不機嫌そうに答えてみせる。


「心配せずともそなたなどに懸想などせぬわ」

「あんな蛇女を傍に置いているくせに、よく言うわね」


 乙葉の機嫌は甚だ悪いようで、久秀としては溜息をつくしかなかった。


「まったくどうして妖の娘っ子は、こうも扱いづらい輩ばかりなのかのう」

「娘っ子言うな」


 剣呑に応じる乙葉であるが、久秀としては慣れたもので肩をすくめる程度だ。


「そなたは少々無茶をし過ぎる。どれほど強かろうと、あれば無謀と言うものじゃ。人は……まあ例えではあるが、強力な獣を狩る際には罠を巡らせ人員を配置し、数をもって封殺するもの。動きを止められては如何に強靭であったとしても、集中攻撃の的となっていずれは力尽きる。そなたは一兵卒として戦うことが好きなようじゃが、兵を指揮することも覚えた方が良いかもな。さすれば自然、戦い方も変わるというもの」

「……ふん。年寄りは説教臭くて嫌いよ」


 そっぽを向く乙葉。

 が、思うところがあったのか、殺伐とした雰囲気はやや鳴りを潜めていた。


 思い起こせば若狭侵攻の際にも、乙葉は国吉城攻めで江口正吉に翻弄され、手傷を負ったことがある。

 その時に少なからず色葉に諭されたことを思い出したからだった。


「……少し、功を焦ったことは認めるわよ」

「ほう。殊勝であるな」

「でも妾が挑んでも追い返されちゃったのよ? あの城、簡単に落ちないと思うけど」

「織田の越前侵攻もあるゆえ、時はかけられん。力技で駄目なら他の手を講じるまでじゃ」

「それはそうだけど。でも具体的にどうするの?」

「懐柔するに決まっておろうて」


     ◇


 久秀が選んだのは、一色義定の降伏ではなく、和議であった。

 その条件として、久秀の姪である内藤ジュリアと義定の婚姻が取りまとめられ、さらに丹後国の半国支配も認めることになる。


 これは義定の才覚を久秀が認めたことに起因していた。

 何といってもあの乙葉を撃退してみせた手腕は評価すべきであろう。

 乙葉は不満そうにしていたが、久秀の献策は色葉にも承認されて、正式に和議が成立。

 弓木城は開城された。


「ふん。食い殺して魂を色葉様に献上しようと思っていたのに、運のいい奴」


 やられっぱなしで終わってしまった乙葉にしてみれば、当然面白くない。

 面白くないが、負けたことは事実であるし、素直に認めるべきだと思ってもいた。

 それに色葉からの言葉もある。


 実は久秀が事の次第を色葉に報告し、また和議の件を進言する書状を送った際に、乙葉は敗戦の反省文のようなものをしたためこれに添えて、色葉に送ってみたのだが、自身が書いた三倍の分量でもっての返書が戻ってきて、その内容に思わず感涙してしまったのだ。


 乙葉のことを責めるでなく気を遣い、負傷を心配する内容に、返書を一生の宝にするとまで思ったほどである。


「ですが、此度のことはまことに最良の判断かと思われまする」


 そんな乙葉の傍でそう言う人物がいた。

 名を大野定長という。

 今回の丹後侵攻において、真っ先に朝倉方についた武将である。


 定長の案内により丹後侵攻は順調に進んだことは事実で、その功は少なくないと久秀に言われており、それなりの恩賞が約束されている人物でもある。


 ちなみに定長は色葉の事前の調略から外れていた一色家臣でもあった。

 にもかかわらず、調略済の他の将に先んじて朝倉の功となったことに、機を見るに敏である奴と久秀に評価されたらしい。


 乙葉にしてみれば単なる裏切り者じゃないの、と思わなくもあったが、よくよく話を聞くと事情がありそうだった。


「最良って、なんで?」

「没落したとはいえ一色家は名門。丹後支配にこれを利用しない手はありますまい」

「……何か、若狭の時もそんな感じだったわよね」


 思い起こせばそうである。

 色葉は若狭武田氏の武田元明を取り立て若狭国を与え、お家を再興させた。

 現在は若狭支配に色葉の手が回らない状況でもあるため、かつての国主が返り咲いたことは領民に好意的に受け取られ、うまくいっているようである。


 元明自身が若く、色葉が直接赴いて取り立てたことから忠誠は高い。

 乙葉自身、少しの間ではあったが元明について若狭平定戦を戦っているので、色葉の思惑通りに平定が順調に進んだことには感心したものだ。


 そして今回も、一色義定の件で色葉は久秀の申し出を許可している。

 ちなみに義定との和議を久秀に吹き込んだのが、定長だったらしい。

 色葉もあっさり許可したことから、久秀はこの件でも定長のことを評価したことだろう。


「で、なんなの? あなたは色々頑張ったから、褒美でももらいたいわけ?」


 武芸はともかく、政治や外交の類が得意ではない乙葉にしてみれば、自分には成し得ないであろう類の新参者の手柄は、やや面白くない。

 義定に撃退された件も含めて、尚のことである。

 そのためついつっけんどんな態度になってしまうのは、まあやむを得ないことではあった。


「如何にも」


 しかし定長はそんな乙葉の態度にも動じることなく、ぬけぬけと頷いてみせたのである。


「別にいいけど。でも久秀に言ったら?」


 どうして妾に言うのだろう、と乙葉は首をひねる。


「一応手柄を立てたのだし、久秀なら家臣として取り立ててくれるでしょ? 本領安堵に加えて加増でもして欲しいのなら……」

「いやいや。実はそれがし、松永様にお仕えする気は無いのです」

「……? じゃあなんで朝倉に降ったの?」

「噂に名高い色葉姫の直臣になりたく」


 そんな要求をしてきた定長を、乙葉はまじまじと見返した。


「言っておくけど色葉様に仕えるって、ものすごーく大変よ?」


 自分は喜んで仕えているけれど、という言葉は心の中で付け加えておく。


 乙葉の頭に浮かんだ色葉の側近といえば、大日方貞宗や山崎景成、姉小路頼綱や本多正信らである。

 貞宗などは最初から苦労人であるし、景成は色葉に完全に調教されているし、頼綱に至っては色葉にいいように使われて各地を奔走する毎日である。

 うまくやっているのは正信くらいのものだろうか。


 色葉は基本的に優しいが、一方で家臣使いが荒いことでも有名であった。

 それは乙葉や雪葉でも例外ではない。

 しかし乙葉はそのことを、頑張ってお仕事していると自負していたのであるが。


「承知しております」

「ふぅん……。まあ、妾を恐れないようであるから、色葉様を前にして尻込みなんかしないのでしょうけど……」


 話によれば、大野定長は元は浅井家臣であった。

 主家滅亡後、出身の丹後に帰って一色家に仕えていたという。


「乙葉様は色葉姫にもっとも近しい方と窺っておりまする。何とぞ、お口添えを」

「え? 妾ってそんな風に思われているの?」


 ぱっと、乙葉の顔が明るくなった。

 斜めであった機嫌が一気に良くなる兆しでもある。


「勿論ですぞ。朝倉三葉の名はこの丹後においても知られております。特にその一角、朝倉乙葉様の武勇は知れ渡り、色葉姫に最も信頼されておるとか」

「……何だか噂に尾ひれがついてない?」


 朝倉三葉、というのは何なんだ、と乙葉は思う。

 察するに、色葉と自分、そして雪葉を指してそう呼ばれているのだろう。


 それに朝倉乙葉なんて、名乗ったこともない。

 そんな勝手をしたら色葉に叱られてしまうだろう。


 だが一方で、悪くない響きである、とも思ったのだ。

 まるで家族のようではないか、と。

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