第128話 勝資と友晴


     ◇


「しかし意外であったな」


 夜も更け、軍議が解散となったところで跡部勝資に武田家臣の一人が声をかけていた。


「これは小宮山殿」


 勝資が振り返った先にいたのは小宮山友晴。

 今回の軍議では一言も発さなかった人物でもある。


「なんぞご意見でもあられたのか」

「思うところはあったが、貴殿の手前、約束通りに口は開かないでおいたまでだ」


 そんな友晴の様子に、勝資は苦笑した。

 小宮山友晴。

 この人物は武田家臣にあって、とにかく武田勝頼の側近衆と反りの合わないことで有名であった。


 長坂釣閑斎や勝資自身とも仲が悪く、親族衆で重鎮である武田信廉らに対しても、長篠の敗戦以降そのことを厳しく非難しており、ついには釣閑斎に讒言されて勝頼に疎まれ、これまで蟄居させられていた経緯がある。


 それを今回、勝資の執り成しにより許されて、この遠征軍に参陣することが叶ったのだった。

 しかし余計な波風を立てぬようと勝資に言い含められていたため、軍議には出席できても発言は控えていたのである。


「なに、跡部殿はかの長篠の折に主戦を唱え、武田を窮地に追いやった者としてかねがね非難しておったが、しかし此度の戦略眼には頷ける点も多くあると思ってな」


 歯に衣着せぬ友晴の言は今更であるので、勝資としては気にする風も無く頷いておく。


「それは有難い」

「しかし分からぬのだ。貴殿は主戦を望まれているのか、それとも現状維持を望まれているのか」


 軍議で勝資は決戦の可能性を主張し、勝頼は勿論、他の将からも一定の理解を得られるに至っている。

 その時友晴はまた決戦かと苦虫を嚙み潰したような顔になったが、しかしその後の勝資の臨機応変の説明を聞き、やや考えを改めもした。


 今回の西上作戦は徳川領の全土平定を狙ったもので、当然浜松城の陥落は絶対必要であると誰しもが考えていた。

 だが勝資は場合によっては天竜川以東までの制圧で様子を見る、という堅実な意見もあの場に提供したのである。


 この策に則った場合、今回の遠征で徳川を滅ぼすことは叶わなくなるが、それでも遠江平定まであと一歩、というところまで迫ることができ、今後に期待できる展開となるだろう。


 そもそも織田家との決戦には断固反対の姿勢を取っていることが、友晴をして意外に思わせたのだ。

 なぜなら長篠の雪辱を思うのは勝頼だけでなく、家臣らの中にも少なからず存在していたからである。


「私の意見などあって無いようなものだ。あくまで主君の意思に沿うことこそが、忠節と考えるならば」

「では、長篠で主戦を唱えたのはあくまでお館様の意思に沿ったとそう仰られるのか」

「好きに思ってくれて構わぬ」


 その返答はとりもなおさず、敗戦の言い逃れはしない、と言っているに等しかった。


「無論、小宮山殿のように直言することも忠義の一つであると言えるだろう。が、貴殿はやや愚直すぎる。主君から離れてはできることもできなくなる」


 友晴はそれに反論しようとして、結局やめた。

 言いたいことはあるが、しかし事実でもある。

 何よりこの度、勝資が勝頼に執り成してくれた恩もある。

 これを素直に受けたのは、傍になくば果たせぬ忠義もあると悟っていたからでもあった。


「……跡部殿はこの戦、実のところどうお考えか?」

「わからん」


 正直なところを勝資は答えた。

 友晴にしてみればやや呆気にとられるくらいである。


「私はさほど軍略に長けているわけでもない。分かるのは徳川と戦えば勝てる可能性がある一方で、織田と戦えば確実に負けるであろうことくらいだ」

「はあ」

「呆れたかな?」

「潔い告白……と申しておこうか」


 やや答えに窮する友晴に、勝資は笑う。


「無理に徳川を滅ぼす必要も無いとは思う。機会があるのならば勿論これを活かすべきであろうが、仮に三河を制圧できたとすれば、織田が黙ってはいないだろう。となればまた難しい戦略が要求されることになる」

「されどそのための此度の遠征であろうに」

「上洛か」


 西上作戦の一応の名目は、上洛である。

 とはいえそれを果たすには織田領の通過が必須であり、とても叶うものではないことは明白であった。


「できれば痛快であるがな」

「それは同感であるが」


 友晴とてこの遠征がそこまで果たせるとは思っていない。


「小宮山殿、明日も早い。もう戻られよ」

「……そういう貴殿はまだ休まられぬのか?」

「お館様がお休みになられるまでは、な」


 なるほど忠義者よと頷きつつ、友晴は踵を返す。

 そのまま行こうとして、ふと足を止めた。


「……すでに上洛を果たしたという朝倉は、今後如何なろうか」

「それは朝倉の姫が、ということか?」

「そうとってもらっても構わぬ」


 勝資と友晴の仲は険悪でありながら、それでも勝資が友晴を勝頼に執り成した理由。

 それは朝倉色葉にあった。


 長篠において武田の窮地を救ったかの姫は、甲斐滞在中に武田家臣の多くと接触し、当然の流れとして勝資とも会う機会があったのである。

 むしろその機会は他に比べて多かったとさえ思われた。


 当初警戒したが、長篠での恩もあって無下にもできず、次第にかの姫の調子に巻き込まれていったことを覚えている。

 その間に、色葉は様々な戦略の可能性などを勝資に告げ、残していった。


 今回の西上作戦の武田の方針についても、その一つである。

 勝資としては色葉が残していった策の中から現状にもっとも即したと思しきものを選び、勝頼に献策していたのだ。


 また武田家臣が信玄の死後、決して一枚岩でなくなってきていることにも憂慮を示し、少しでもその関係改善をするようにも申し付けてもいたのである。

 無視しても良かったが、長篠の敗戦はそんなことをしている余裕も武田家から奪っており、改善すべきことはどのような面からでも改善すべきと判断した勝資は、人的な側面からもそれに励んだ。


 その一つの例が、小宮山友晴である。

 他にも勝頼と距離感のできていた武田の宿老らである山県昌景や馬場信春といった重臣たちとの間も取り持ち、主従関係の強化に奔走したりもした。


「しかしやはり不思議よな。拙者とは何の面識も無い朝倉の姫が、拙者のことを知り得ていたということは」

「貴殿は忠義者ゆえ、例えお館様に疎まれて遠ざけられようとも、お前がどうにかしろと脅されてな。さもなければ化けて出ると」

「冗談であろう?」

「冗談なものか」


 あの姫の美貌は目に焼き付いているが、その特徴的な尻尾やら耳やらも忘れられない。

 相手はそのような狐憑きであり、戦場での無双振りを思い出せば、一笑にふせる類のものではなかったのだ。


「小宮山殿も、一度お会いすれば分かるだろう。あれは……まことに美しく、しかし恐ろしき姫であると」


     ◇


 天正七年八月二十四日。


 相模の北条氏政は今年の三月に元服したばかりの嫡男・北条氏直に命じ、武田による西上作戦の隙を突かせる形で上野侵攻を開始した。


 これは七月までに相模北条氏と安房里見氏が果たした、相房御和睦と呼ばれる同盟が正式に締結したことにもよる。


 北条氏と里見氏はこれまで上総国を巡って抗争を続けてきており、永禄六年から七年にかけての第二次国府台合戦において里見方は大敗を喫し、上総国においては北条方優勢で事は展開していた。


 しかし永禄十年八月、三船山合戦において里見義堯は里見義弘と共に北条氏に対して反撃に出、激戦となったがこれを里見方が制し、北条方は敗北する。

 そのため以降、房総では里見氏優位の状態がこれまで続いていたのである。


 だがその後、外交関係の変化や天正二年に里見義堯が死去したことなどを受けて、里見氏は徐々に苦境に立たされていくことになる。

 そして天正五年になり、北条氏政は機を見て上総国に侵攻。

 その勢いの前に里見方の不利は言うまでも無く、里見義弘との間で北条有利な和睦を実現させたのだった。

 これが北条氏直の初陣にもなっている。


 南方を安定させた北条氏政は、すでに手切れとなっていた武田家が領有する上野国へと侵攻。

 目指すは武田に奪い取られた沼田城の奪還である。


 兵力の大半を西上作戦に傾注していた武田方は、即座に同盟国である上杉家に対して援軍を要請。

 この展開は予想できたことであり、早くから要請を受諾していた上杉景勝は自ら一軍を率いて上野に進出。


 九月十一日。


 武田・上杉連合軍と北条軍は沼田城を巡って激戦を展開した。

 いわゆる第二次沼田城の戦いである。


     ◇


 第二次沼田城の戦いより数日後の九月十六日、伊賀国においても乱が勃発していた。

 これは織田信長の次男・織田信意が信長に何の相談も無く独断で八千余の兵を率い、伊賀国に侵攻を開始。


 信長の想定しなかった戦でもあった。

 いわゆる第一次天正伊賀の乱である。

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