第122話 天下を語りて
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天正七年八月。
畿内の動乱は、各地にも影響を及ぼし始めていた。
備前国。
この地は宇喜多直家が治める領国である。
「殿、首尾は如何でしたか?」
「そう遠くない時期に、宇喜多殿は動くだろう」
家臣である栗山利安に答えつつ、主である黒田孝高は先を急いでいた。
備前国の戦国大名・宇喜多直家。
現在では中国の大国である毛利家に従っているものの、孝高は以前より直家に対して調略を行い、毛利を見限るように働きかけてきたのである。
「その証拠に、例の会談が実現しそうだ」
「では――」
「うむ。ここから先は念には念を入れねばなるまい。有岡城の時のような失態は二度とせん」
孝高にとって有岡城の一件は苦い経験だった。
しかし無事にこれを脱出するに至り、播磨に戻ることのできた孝高は死に際の竹中重治の言葉を聞いたことで、より精力的に行動することになったのである。
その目的は、重治に託された羽柴秀吉の天下に他ならない。
宇喜多直家の調略は秀吉の方針ではあったものの、この先についてはその限りではなく、孝高の独断である。
毛利家臣・安国寺恵瓊。
孝高が宇喜多直家を通じ、極秘会談を行うために会うべき人物の名であった。
◇
八月十三日。
果たして孝高が望んだ会談が実現する。
安芸国安国寺。
この寺はかつて足利尊氏・足利直義兄弟が日本六十余州に設立した安国寺の一寺である。
のちに安芸国守護となった安芸武田氏の菩提寺として繁栄したが、戦乱により安芸武田氏もろとも滅びることとなった。
それを復興したのが瑶甫恵瓊こと、安国寺恵瓊である。
恵瓊は毛利氏に仕える僧であり、主に外交を担当しつつも武将として戦場にも出、毛利家において重きをなしつつある家臣であった。
孝高が毛利家において、真っ先に目をつけた人物であったといえる。
「……ほう? では貴殿は織田殿の使者ではないと、そう仰せられるのか」
「然様にてございます。私は羽柴秀吉が家臣。されど此度はあくまで私人として参ったと、そうお考え下され」
「はてさてそれはまた……」
顎を撫でつつ、恵瓊は孝高を眺め観察した。
自身よりいくらか若い武将である。
かつては播磨国の御着城主・小寺政職に仕えていた一家臣であるが、早くから織田信長に通じ、その謁見の際には名刀・圧切長谷部を授かったという。
有岡城の荒木村重謀反の際には単身で乗り込み、説得を試みるも失敗。
幽閉されるが家臣らによって救出され、この時村重に呼応した小寺政職とは袂を分かち、以降は名実ともに羽柴秀吉に仕えることになったという。
「まずは安国寺様とご縁を作りたく」
「縁、とな。そのためだけに宇喜多殿を動かしたとなると、いやはやどう判断して良いのやら困ってしまうが」
「深読みなされますな」
そう言われれば、逆に深読みしたくなるというものである。
恵瓊とて力自慢の将というわけではなく、その知略でもって毛利家に貢献してきた謀将の類だ。
当然このような会談に警戒もしているし、孝高の腹の内を読みかねてもいたのである。
「ときに安国寺様。天下については如何お考えですか」
「また突然であるな。天下、などと……」
「毛利の方々は、天下についてはお考えにはならぬのですか」
それは少々挑戦的な問いでもあった。
恵瓊は眉をひそめる。
が、それは僅かなことである。
「織田殿の天下布武は、それほどのものであるのかな?」
「その天下布武とは、如何なるものであると?」
「――ふむ」
しばし考え込んでから、恵瓊は答えた。
「天下布武とは、天下に武を布く……即ち、武をもって天下を制す、と読めようか。実際に織田殿はその勢力を拡大し、今や我が毛利を侵食する勢いではあるな。目指すは天下となるならば、我ら毛利は邪魔であろう」
恵瓊の答えに、孝高は頷く。
「私もそう思っておりました。ですが、織田様の天下布武とは当初、然様なものではなかったのです」
「……ほう?」
「天下とは、畿内を指し示す言葉。また武とは、武を用いることで暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊にする……という、の七徳の武を現したもの。すなわち天下布武とは室町幕府の権威を確立し、足利将軍家に委任されるという形で支配を正当化する。そのようなものであったのです」
これは、竹中重治が病床にて孝高へと語ったうちの一つでもあった。
「……なるほど。そのように解釈するのか。されど、織田殿はすでに足利義昭様を京より追放しているであろう? 矛盾はせぬか?」
「足利義昭様の裏切りは、織田様にとってまさに想定外のことだったのです。やむなく室町幕府を滅ぼすに至りましたが、結果は如何相成りましたか? ……然様、畿内は未だ乱れ、一度為ったかにみえた天下布武は呆気なく崩壊しようとしております」
事実、畿内を席巻しつつあった織田家はここにきて足踏みをすることになっている。
畿内とは山城、大和、河内、和泉、摂津ら五ヶ国のことを指すが、山城国は今や朝倉家に攻め込まれて戦場と化し、大和国は大いに乱れ、摂津国では荒木村重が謀反し、石山本願寺が未だ健在、といった状況だ。
さらに周辺に目を向ければ、京の喉元に当たる丹波国は朝倉家に抑えられ、播磨国では三木合戦が継続中と、戦乱の火種は尽きることがないようにみえる。
「ふむ……。しかし貴殿、何が言いたい?」
警戒しつつ、恵瓊は孝高をねめつける。
この男の言は、まるで主家に対する批判のようにも聞こえるからだ。
それをこのような場所で放言する意図は何なのか。
なお一層、恵瓊が警戒するのも当然のことであった。
「織田様の目指す天下布武など、その程度のものということ」
「ほう……随分と不敬な物言いではないか?」
「織田様は才ある方。これは間違いありませぬ。が、せいぜいが畿内制覇が関の山でしょう。……ですが、我が主は五畿内などではない、本当の意味での天下を目指す才をお持ちです。もし、毛利様が天下を目指されるお気が無いのであれば……」
「……何だと言うのだ?」
「その際にもう一度、お話させていただきたいものですな」
そう言って、孝高は笑う。
そのどこか歪んだ笑みに、恵瓊をして一瞬息を止められる思いであった。
……もし 仮にこの場に朝倉家の者がいたならば。
その主である姫君とよく似た笑みを見たと、記憶に留めることになったのかもしれない。
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