第113話 元亀元年、志賀の陣
/色葉
丹羽長秀との一戦は、こちらの完勝に終わった。
丹羽勢はほぼ壊滅し、生き残った兵もすでに四散している。
わたしは丹羽勢の撃破を若狭へと知らせつつ、一日この朽木谷で兵の休養を取らせた後、再び進軍を開始した。
長秀らは元網に預けてある。
連行して京の目前で首を刎ね、織田家の者どもの士気でも挫いてやろうかとも思ったが、やめた。
長秀に仕える家臣の中には優秀な者もいる。
若狭を平定した暁には、その中で使えるものは使っていく算段であるから、不用意に主君だった者を殺してしまうのはうまくないだろうという判断だ。
もちろん、長秀自身が優秀なこともある。
また織田家の重臣が朝倉に降ったと知れれば、織田家中にも動揺は走るだろう。
殺すよりも生かしておいた方が利用価値がある、というわけだ。
そういうわけで、朽木谷を出た朝倉勢は進軍速度を上げて一気に南下。
目指すは西近江路の要衝にして京の入口を守る、坂本である。
ここに築かれたのが坂本城であり、立地としては琵琶湖の南湖西側にあって、その西側には比叡山、東側には琵琶湖に面し、天然の要害であると同時に交通の要衝だ。
かつて延暦寺が栄えた比叡山に物資を送るための港町であった坂本は、非常に栄えていたという。
ここに城が築かれた理由は、他でもない比叡山延暦寺である。
今を遡る元亀二年に織田信長によって比叡山は焼き討ちに遭い、全山焼失したものの、以降も山門への監視の意味を含めてここに城が築かれたらしい。
この近江国滋賀郡を与えられ、坂本城を築城してその城主であるのが、織田家重臣・明智光秀だ。
「義景も一度はここで信長を追い詰めたわけか」
朝倉勢は坂本には未だ至らず、その手前の志賀に入ったところでわたしは進軍を停止し、陣を張って先の状況を探らせていた。
このまま進めば自治都市である堅田があり、坂本は更にその先だ。
この堅田も坂本同様、水運で栄えた地である。
湖岸においては最大の自治都市が形成されており、ここもまた交通の要衝だ。
かつて元亀年間において朝倉家と織田家は激しく戦い、元亀元年に行われた姉川の戦いにおいては敗れたものの、その後の展開は朝倉有利に運び、信長をこの志賀の地に追い詰めたという。
いわゆる志賀の陣である。
「然様ですな。殿も大いに奮戦されたと聞き及んでおります」
「父上が?」
「はい」
堀江景忠は当時、朝倉家から追放されていたこともあり、当然この戦いには参加していない。
しかし当時の朝倉家の動向は注視していたらしく、詳しいところを語ってくれたのだった。
「姉川の戦いの後、信長は摂津での戦いを余儀無くされましてな」
「野田、福島城だろう? 三好三人衆の」
「色葉様はよくご存じでいらっしゃる」
その辺りについてはアカシアを通じて学習済みである。
とはいえ、だ。
「知ってはいるが、詳しく話せ」
所詮は未来に残る歴史書からの知識である。
この現在において生きている者からの話の方が、より詳細であることは言うまでもない。
景忠は頷き、先を続けてくれた。
「姉川の戦いが確か……六月で、その二ヶ月後に野田・福島城の戦いになりましたが、ここで石山本願寺が蜂起したことで、信長にとってはややこしいことになったわけですな」
「そうだな」
これが今も続く石山合戦の始まりでもある。
「このため信長は摂津戦線に釘付けとなり、これを好機と見た義景様は浅井家と連携して手薄な京を突くべく軍を進めたのです」
「この時の動員数はかなりの数だったと聞いてるが、そうなのか?」
「浅井家との連合軍ではありましたが、その数は三万余であったと」
その中心であったのが朝倉勢であったことは間違いない。
数万規模で軍勢を派遣し、しかもこの時別動隊が若狭侵攻まで行っている。
浅井家の方も湖東方面にも兵を割いていたこともあって、全軍を湖西方面に投入できていたわけでは無いだろう。
「少なくとも二万以上か……。別動隊や領国守備の兵を考えれば三万程度。やはり姉川での敗戦はそこまで大したことが無かったのか、それとも相当の余力があったのか」
この動員力は大したものであり、その経済力を育んだのが義景の手腕であるのならば、未来で言われているほど愚かな将でなかったということか。
姉川の戦いのことを一番良く知っているのは当事者であった景建であるけれど、景建はあまり語ろうとはしない。
敗戦には違いないし、何を語っても言い訳にしかならず、潔く無いと考えているからのようであるが、わたしとしては織田勢のことを知る情報源でもあるので、一度詳しく聞いておくべきだったかもしれない。
「ともあれ義景様のこの判断は正しく、信長は泡を食ったようですな。京を失っては一大事と摂津方面は一時捨て置いて、近江に取って返すわけですが、その時間を稼いだのが宇佐山城だったわけです」
宇佐山城は坂本にあり、西近江路から京に向かうにあたって避けて通れない地に築かれていたらしい。
「ここを守っていたのが織田家臣である森可成で、この時の戦では殿は先鋒となり、激戦を繰り広げたとのことですな」
「結局宇佐山城は落とせなかったはずだが」
「そうですな。ただし、森可成や信長の弟であった織田信治を討ち取っていますから、引き分けといったところでしょう」
ちなみにこの宇佐山城は、現在は廃城となって存在しないとか。
この地を与えられた光秀が、代わりに坂本城を築城したからである。
「この宇佐山城の戦いで時間を稼いだことで、織田勢は近江救援に間に合ったのですが、摂津方面の不安もあって早期決戦を望む信長の意図に気づいてか、義景様はここで長期戦の構えを見せたわけです。すなわち、比叡山延暦寺」
この時、延暦寺も朝倉勢に協力し、義景は比叡山に入って織田勢の包囲に対抗したという。
「この判断は戦略的に的を射ていたわけだろう? 今度は志賀の地で身動きできなくなった信長に対し、各地で諸勢力が蜂起して、信長包囲網を形成したわけだから」
ここから信長が窮地に陥っていくわけである。
南近江では六角承禎が、また伊勢長島では一向一揆が蜂起し、援軍に駆け付けていた徳川勢は近江には入ったものの、六角勢との戦いでこれまた身動きが取れなくなったのだ。
この隙に若狭方面では朝倉の別動隊が侵攻し、併呑を進めることになる。
「この窮地を打開すべく、信長は比叡山に物資を送っていた堅田に侵攻し、差し押さえを狙ったのですが、義景様もすぐにこの動きに気づき、殿に命じられて比叡山を下り、堅田へと進軍させたのです。こちらも前波殿を失う痛手を被ったものの、殿は敵将である坂井政尚を討ち取り、織田勢を壊滅させて、信長の意図を挫くことに成功しましたからな」
「ふうん……」
この志賀の陣において、義景は信長の打つ手をことごとく潰し、常に優位に立っていたということだ。
結局追い詰められた信長は、足利義昭や朝廷を動かして義景と講和。
この時信長は「天下は朝倉殿持ち給え。我は二度と望みなし」という嘘八百の起請文を出したというわけだ。
この辺りの件は未来にも伝わっているものの、一般的にはあまり知られていない。
「とにかく、その志賀の陣は信長にとっては苦渋を舐めた戦だったわけだ。そして今回、やや情勢は違うが似たようなことになっている」
結果的に、義景の上洛戦は果たされることは無かった。
しかし今回わたしは同じ道を辿って、かつて果たせなかった上洛戦に挑もうとしている。
「景忠、お前から見て今回の上洛戦、うまくいくと思うか?」
「さて……。前回に比べると、東側の協力者がおりませんからな」
現在浅井家はすでに滅び、延暦寺も焼き討ちされて滅んでいる。
摂津方面での三好三人衆はすでにいないが、石山本願寺は未だ頑張っており、また荒木村重がこちらに同調し、更には丹波の久秀が臣従しているわけだから、西側ではさほど不利とはいえないだろう。
「ん、そうでもないぞ?」
「……と、おっしゃいますと?」
「わたしがここで止まったのは、使者が会いに来るという話だからだ。だから少し待っている」
「ほう、使者と」
「正覚院豪盛と六角義治だ」
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