第93話 越前国境


     ◇


 疋壇城のある越前国境に至った貞勝ら一行は、唖然としてそれを見返していた。

 ここ疋田は近江から越前に入る際に通る場所であるが、複数の道がいったんこの疋田で集合するため、当然ながら交通の要衝となっている。

 軍事的にも重要な場所で、ここを守るのが疋壇城であった。


 以前より国境沿いが朝倉氏の手によって要塞化されているという話は、商人や旅人からもたらされていたため、貞勝らも噂程度には聞き及んでいる。

 信長あたりはもっと正確な情報を掴んでいたのだろうが、いざこうして目の前にしてみると、もはや唖然とするしかないような、そんな光景が広がっていたのであった。


「い、以前はこのようなものなど無かったのですが」


 織田方として越前侵攻を行った際に、光秀らはこの疋壇城を落としている。

 しかし簡単な関のようなものはあっても、ここまで重厚なものは無かった。


 身の丈をゆうに超える分厚く高い城壁とでもいうべきものが、複雑な稜堡を構成しながら街道を完全に塞いでしまっている。

 街道の先にはこれまた重厚な城門が設けられており、ここを通過するには絶対にこの関を越えなければならないということは、一目瞭然だった。


「これは……とんでもないな。これでは山に入るしか迂回する方法は無いか」

「いや、村井様。周辺の山々には複数の砦が築かれている様子……。山の中では大軍は一度に投入できませぬから、ここを突破するのは容易ではないかと」

「ううむ……」


 いざ戦になった際に、門を固く閉ざされ、大量の鉄砲をもって迎撃されれば突破は不可能ではないかと思えるほどの、強固な作りであった。

 しかも稜堡により、鉄砲の効果的な運用ができるように配慮もされている。

 更にいえば、降雨対策で屋根まで設置されているという徹底ぶりだ。


 これでは例え数万の大軍があったとしても、装備次第では突破できないかもしれない。

 仮に突破できたとしても、その犠牲は想像するのも恐ろしい数になるだろう。


「これでは朝倉は……織田を完全に敵とみなしているようなものではないか」

「朝倉は我らに一度滅ぼされていますからな。当然といえば当然の対策なのかもしれませぬが……しかしこれを作らせた者は、限度というものを知らぬとみえます」

「と、ともあれ参るしかなかろう」


 気を取り直した二人は、関へと入った。

 門は重厚ではあるものの比較的大きく作られており、大軍であっても比較的通行しやすいともいえ、ここだけは防御力よりも機能性を重視したのかとも思った光秀であったが、関をくぐってみれば何と二重構造になっていたのである。


 それはともあれ、このような山の中にあって疋田の関所はひとの出入りが多く、一行もしばらく並ぶ羽目になったほどだ。


「……噂通り、越前には多くのひとが出入りしているようですな」

「北ノ庄などは、今やかなりの規模の城下町として栄えているらしい。安土にもひけをとらないというが、ひとの流れを見ているだけでも納得はいくというものだ」


 信長が安土に作らせている安土城は、総石垣による壮麗な城で、これまでのものとは一線を画している。

 あと数ヵ月で完成というところまできていることもあって、外観や城下はほぼほぼ整備が終わっていた。


 あの城もまた信長の個性を大いに発揮した城であると言えるのであろうが、噂に聞く北ノ庄にある城も、それに匹敵する規模のものであるという。


 今の越前にはひとも銭も物も集まっている。

 経済の中心が、この周辺国の中では安土と北ノ庄に二分化されているといっていい。


 主に行政に携わってきた貞勝にしてみれば、当然北ノ庄のことは興味の対象であった。

 後学にもなるであろうし、何より朝倉家の力の一端を垣間見ることができるのだろうから。


 ようやく順番が回ってきた一行は、通行を取り締まっていた者に織田の使者であることを告げ、疋壇城主である磯野員昌への面会を願い出る。

 この城壁自体が疋壇城と連結しており、その疋壇城そのものも以前とは比べ物にならないほどに改修されており、待っている間の光秀は唸りっぱなしであった。


「これはご両人、お待たせしましたな」


 複数の兵を引き連れ、現れたのは磯野員昌その人であった。

 浅井家滅亡の前に織田家へと降伏し、信長には評価されて、当時としては破格の待遇を受けたこともある。

 知行でいえば、光秀と同格だったほどだ。


 その武勇は姉川の戦いで十全に知らしめており、それを疑う者は織田家中にいなかったことも事実である。

 しかし紆余曲折があり、織田家を出奔。

 今や朝倉家に仕える身の上となっていたのだった。


「お久しぶりですな。磯野殿」

「まさか織田の重鎮が揃ってお越しとは。して何用であるのかな?」


 六十に近い年齢であるものの、その胆力は未だ衰えてはいないようで、厄介な場所に厄介な将が配置されているものだと、光秀はつい考えてしまう。


 猛将の類である員昌であるならば、ここを攻めた時は守ってばかりでもないだろう。機をみて必ず打って出て、痛撃を与えに来る。

 逆にそれがこの関を落とす機会になり得ないか……等、そんな思考が出てきてしまうのは、武将ゆえの性か、それともこの関の威容を見せつけられたせいか。


 そんな光秀の心境を他所に、貞勝は話を進めていた。


「うむ、実はな。我らは織田家より外交の使者として参った次第である」

「外交の使者と?」


 やや意外そうに、員昌は首を傾げてみせた。


「信長殿が、朝倉家と?」

「あり得ないとでも思っているかのような顔であるな?」

「それはまあ……これまでの両家の経緯を考えればやむを得ないと思うが」


 員昌の言う通りで、織田家と朝倉家はとにかく最初から最後まで、敵同士だった間柄である。


「ふむ。それは良いが……つい最近まで信長殿はこの朝倉を攻める気満々であったろうに。荒木の謀反でそれどころではなくなったか。変わり身の早さはさすがであるな?」


 単純に褒めているとも、しかし一方では皮肉とも聞こえ、貞勝は曖昧に頷いておく。


「外交と一口に言っても色々あるだろうが、まあ、内容は聞かないでおくのが筋か。使者であるのならばここを通過することは認めよう。阻む理由も無い」

「それはかたじけない。それで……朝倉領内を通過するにあたり、一度金ヶ崎の朝倉景建殿にも挨拶をしておきたいが、取次をお願いできるかな?」


 この敦賀郡一帯を治めているのは、一門衆筆頭である朝倉景建である。

 員昌とはかつて、共に戦った仲でもある。


「ああ、それは無理であるな」

「無理であると?」

「然様。なに、別に嫌がらせというわけではないぞ? 単に景建殿が金ヶ崎城を不在にしておってな。であれば会うのは無理というもの」

「そうであったのか」

「うむ。まあ北ノ庄に向かうのであれば会えるやもしれんが、ご両人は我らの主君に目通りすることであろう? しかし拙者は景建殿の不在の間、ここを離れられぬ。供の者を付けるゆえ、金ヶ崎を預かっている景道殿に挨拶をした後、北ノ庄に向かわれるがよろしかろう。金ヶ崎には早馬を出しておく」


 便宜を図ってくれる員昌に対し、二人は頭を下げた。


「ところで……今ほどご主君と言われたが、それは朝倉景鏡殿のことであるか?」


 貞勝の問いは、ある意味で妙な問いかけでもある。

 朝倉家の当主は朝倉景鏡で間違いないのだから。

 しかし質問の意を悟った員昌は、なるほど、とばかりに笑みを浮かべてみせた。


「どちらに会えるかは、ご両人の運次第であろうな」

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