第五十一章 芽吹

  第五十一章 芽吹いぶき


 勢いで銀狐ぎんこについて来てしまったが、僕は何も準備していないまま先送りにして来た問題に直面することになる。

 まず僕は天后てんこう太陰たいいんと冷戦状態にあった。僕は天后てんこうだまして、十二神主将じゅうにしんしょう貴人きじん、つまり僕のりをするように命令して翡翠邸ひすいていに置いてきた。その後千年以上ほったらかし。清明せいめい様がノーマンとして戻った後も何も言わなかった。


 天后てんこう輝明てるあき清明せいめい様の生まれ変わりだと信じて仕えていたが、輝明てるあきが十七になった日に本当は阿修羅王あしゅらおうだと明かして、輝明てるあき清明せいめい様の体を入れ替えた。

 怒った天后てんこう輝明てるあきの首を持って逃走。銀狐ぎんこのもとに逃げ込んだようだが、その後一度も会っていない。


 太陰たいいんの方は僕自ら阿修羅王あしゅらおうの首を入れるはずだった壺に封印した。近場の山に適当に埋めてほったらかし。清明せいめい様が夜叉姫やしゃひめ騒動の混乱にまぎれてこっそり封印を解いてやったが、そのことを太陰たいいんは知らないだろう。知っていたとしても、許してくれるわけもない。


 輝明てるあきの方は考えたくもない。人間に生まれ変わって阿修羅王あしゅらおうだった時の記憶はなく、自分が人間の娘だと思って育った。それを捕らえて無理やり体を奪った。輝明てるあきは鬼の首の姿になって、いつ終わる分からないあやかしせいを生きることになった。僕と清明せいめい様を恨んでいない訳がなかった。


 そもそも銀狐ぎんこの態度の方かおかしいんだ。娘が首一つになって帰って来ても何もしないし、小子しょうこに再会しても僕の悪事を告げ口しなかった。何考えているんだかさっぱり分からない。

 でもさすがに小子しょうこももう知っているか。僕がやったこと。前世とはいえ、自分が生んだ娘を首一つにされたんだ。僕のことを嫌いになったかな。怒っているかな。それでももう一度会えるんだからいいか。

 待てよ。清明せいめい様はどうしているんだろう。まだそうとは決まっていないが、清明せいめい様の生まれ変わりだったら、鬼女たちに何かされていないだろうか。しいたげられていないだろうか。小子しょうこは可愛がってくれているだろうか。不安になって来た。


 銀狐ぎんこの屋敷のたたずまいは以前に一度だけ来た時と変わらなかった。輝明てるあきはここでのびのびと暮らしていた。清明せいめい様もそうであるといいのだが。


 「入れ。」

 玄関の戸を開けながら銀狐ぎんこがそう言った。その音を聞きつけて誰かが走って来る足音がした。足音が近づくにつれて、胸が高鳴った。目の前に人間の子が現れた。一目見て分かった。清明せいめい様だ。

 「父さん、お帰り。お客さん?」

 その子は元気にそう言った。良かった。のびのびと育っている。

 「清明せいめい様だ。」

 僕は銀狐ぎんこに耳打ちした。

 「そうか。良かったな。」

 銀狐ぎんこは興味なさそうに言った。


 僕は客間に通され、そこには天后てんこう太陰たいいんがいた。入るや否や睨みつけて来た。積年せきねんの恨みがこもっていて、凄みがあった。

 「どうぞ入って、ここに座って。天乙てんおつ。」

 入るのを躊躇っていると、そう優しく声をかけられた。声の主は小子しょうこだった。

 「久しぶり。天乙てんおつ。」

 小子しょうこはそう言って微笑んだ。ああ、以前のままだ。僕の相棒だった小子しょうこのままだ。

 「久しぶり。元気そうで良かった。」

 僕はそう言った。

 「突っ立ってないで。さっさと座れ。」

 後ろから銀狐ぎんこが言った。横には全員分のお茶を持った清明せいめい様がいた。横顔が小子しょうこにそっくりだ。愛嬌のある笑顔も似ている。ずいぶん可愛い清明せいめい様になったものだ。


 客間に入って座ると、清明せいめい様が手際よくお茶を配った。よくしつけられている。輝明てるあきもそうだった。これなら手がかからなそうだし、すぐに陰陽師おんみょうじの訓練を受けられる。

 「これが息子の芽吹いぶきだ。」

 銀狐ぎんこが言った。芽吹いぶきはぺこりと会釈えしゃくをした。

 「初めまして。芽吹いぶき。僕は天乙てんおつ。宜しく。」

 「初めまして。」

 芽吹いぶきははにかみながら言った。少し恥ずかしがり屋みたいだ。

 「いい名前でしょう。生命の息吹いぶき清明せいめい芽吹いぶきってね。」

 小子しょうこはそう言ってウインクした。

 「うん。良い名前だ。」

 僕に気遣ってそう名付けてくれたのか。

 「本当にもらっていいの?」

 僕は二人に尋ねた。

 小子しょうこは寂し気な顔をしたが、銀狐ぎんこ躊躇ためらわなかった。

 「ああ。」

 銀狐ぎんこは短くそう言った。この狐は自分の子に関心がない。

 「それなら、遠慮なく。安心して。僕が最強の陰陽師おんみょうじに育てるから。」

 僕は小子しょうこに言った。

 「芽吹いぶき、今日から僕が君の式神しきがみだ。一緒に輝明てるあきの体を取り戻そう。」

 僕は芽吹いぶきにそう言った。

 「うん。小さい頃から母さんにそう言われて育てられて来たから、ずっと天乙てんおつのことを待ってたよ。宜しくね。」

 芽吹いぶきはまた可愛らしくはにかみながらそう言った。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。『待ってた』か。僕も待っていたよ。再び会える日を。


 僕たちが話していると、襖戸を開ける者がいた。入って来たのは鬼の首を抱えた鬼女だった。

 「失礼致します。ハテルナです。輝明てるあき様がご挨拶なさりたいと。」

 やはり鬼女はハテルナだったか。敵である白木しらきについているシスルナの妹。姉妹で敵味方に分かれるとは悲劇だ。その鬼女に抱えられている輝明てるあきの人生はもっと悲劇だ。

 「天乙てんおつ、久しぶり。」

 輝明てるあきはにこやかにそう言った。

 「久しぶり。」

 僕の方は緊張で顔が強張こわばった。

 「体を取り換えたあの日以来だね。」

 「うん。」

 「私の体、探してくれてありがとう。ノーマン先生とも生きている時にもう一度話したかったけど、無理だった。でもまた私の弟として生を受けたみたいだね。天乙てんおつが今日来てくれたからそのこともはっきりと分かった。私たちでは判断つけかねていたんだ。芽吹いぶきのこと宜しく。私の大切な弟なんだ。」

 輝明てるあきの目には曇りがなかった。恨む気持ちなどみじんもなかったのだ。

 「僕に任せて。」

 輝明てるあきは人間とは思えないほど、正しく育った。僕も芽吹いぶきをそうなるように導こう。それが僕にできる輝明てるあきへのこたえ方だ。


 「天乙てんおつ照月院しょうげついんに話を通して寮に住めることになっているの。それから学校の手続きもしてある。学校にはちゃんと通わせてね。」

 小子しょうこが母親らしくそう言った。

 「うん。分かった。」

 十二はまだ子供か。幼い清明せいめい様を育てられるんだ。成長が楽しみだな。

 「姉ちゃん、バイバイ。また会いに来るからね。」

 芽吹いぶきはそう言って鬼の首を抱き締めた。本当に仲の良い姉弟なのだ。

 「行ってらっしゃい。芽吹いぶき。」

 その後、芽吹いぶき小子しょうこに抱きついたが、銀狐ぎんこと鬼女たちのところへは行かなかった。微妙な家族関係がけて見えた。


 「じゃあ、そろそろ行こうか。現世うつしよへ。」

 僕と芽吹いぶきの旅はここから始まった。

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