第四十三章 有明御前

  第四十三章 有明御前ありあけごぜん


 春眠暁しゅんみんあかつきおぼえずとはよく言ったものだ。そらしらやんでいるなと思っていたら、一面いちめん海だったはずが、干潟ひがた泥底どろぞこに変わっていた。はだか有明御前ありあけごぜんの前に出る訳にはいかない。急いで脱ぎ捨てた服を着た。その姿を光輝こうきがまじまじと見ていたが、気にしてはいられない。

 「光輝こうきもちゃんと着て。そんな姿、誰にも見られないで。」

 私が天乙てんおつりにキビキビとした口調でそう言うと、光輝こうきはなぜか嬉しそうに微笑ほほえんだ。よく分からない人だと思った。


 座敷童ざしきわらし手毬てまりが言っていた通り、水が引くと有明御前ありあけの方から姿を現した。泥底どろぞこからでるように美しい打掛姿うちかけすがたの女がおうぎで顔をおおい、さながら舞姫まいひめのように登場した。


 「私はここのあるじ有明ありあけ。お前さんは誰だい?」

 おうぎで顔を隠したまま有明御前ありあけごぜんが尋ねた。

 「陰陽師おんみょうじ浅井小子あさいしょうこと申します。座敷童ざしきわらし手毬てまりから手紙をあずかっています。」

 私はそう言って、小さくたたまれた手紙を差し出した。すると泥底どろぞこからまたもう一人美しい打掛姿うちかけすがたの女が現れ、私から手紙を受け取ると、有明御前ありあけごぜんに手渡した。有明御前ありあけごぜん器用きように片手で手紙を広げると静かに読み始めた。


 「おや、大変なことになっているみたいだね。」

 読み終えると有明御前ありあけごぜんが言った。

 「ふみしたためるほど箱を作った呪術師じゅじゅつしのことはよくは知らない。だが、最近この辺りに来た鬼を連れた陰陽師おんみょうじの女のことなら知っている。」

 有明御前ありあけごぜんはそう言った。私と天乙てんおつのことかと思った。

 「その陰陽師おんみょうじは甘いくちなしの花の香りをさせながら、腕試うでだめしと称して妖者あやかしものを殺して回っているとな。」

 おうぎの向こうから有明御前ありあけごぜんの大きなひとみが私をにらんだ。

 「浅井小子あさいしょうこと申す陰陽師おんみょうじよ、お前は鬼を連れてきているかい?」

 有明御前ありあけごぜんが私に尋ねた。うたがわれているのだ。

 「天乙てんおつという鬼を連れて来ています。でも私と天乙てんおつはそんなことしていません。」

 私はきっぱりそう言った。信じてもらえるだろうか。

 「そうだろうな。分かっていたよ。おそらく、あやかしを殺し回っている者はお前の偽物にせものだ。お前の行く手を邪魔じゃまするためにお前のりをしているのだ。」

 有明御前ありあけごぜんは少し優しい口調でそう言った。

 「一体誰がそんなこと・・・」

 私には思い当たることが何もなかった。

 「さあな。人間なのは間違いない。しかも男だ。」

 「男?」

 「あやかしは目が悪くてな。見た目で人間の男女の区別はほとんどつかない。だから、くちなしの花の香りがすれば女だと思う。おそらく人間の男がくちなしのこうでも使っているのだろう。鼻の良いけものあやかしならすぐに見抜みぬく。」

 有明御前ありあけごぜんはそう教えてくれた。

 「御前様ごぜんさま、そろそろ。」

 おきの女が有明御前ありあけごぜんにそう声をかけた。

 「もうそんな時間か。しおちて来る。お別れだ。くれぐれも気をつけよ。私も手下共からの報告を聞いていなければ、挨拶抜きでお前を殺していた。」

 有明御前ありあけごぜんおそろしいことを言った。

 「気をつけます。私、必ずその偽物にせものをやっつけます。」

 私は有明御前ありあけごぜんにそう言った。何のうらみがあるのかは知らないが、私のりをしてあやかしを殺し回るなんて許せない。

 「そうか。やっつけてくれるか。ならば良いものをやろう。」

 有明御前ありあけごぜんはそう言って、泥底どろぞこから小さな貝をつかみ上げた。それをおきの女に渡し、女が私のところに持ってきた。

 「これは?」

 貝をつまみ上げて有明御前ありあけごぜんに尋ねた。生きている貝かと思えば、そうではなく、貝の中身は軟膏なんこうだった。

 「お前のにおいを消してくれるものだ。くちなしの花の香りをらしてしまうが、代わりに果実かじつのような香りをつけてくれる。だからお前の夫のきょうぐことはないよ。」

 有明御前ありあけごぜんはそう言った。光輝こうきとのことを知っている。もしかしたら、昨夜の姿を見られていたのかもしれない。そう思ったら顔から火が出るくらい恥ずかしかった。


 泥底どろぞこに水が満ちると、有明御前ありあけごぜんの姿は消え、私たちはまた小舟こぶねられ、しおに乗ってみなとに戻った。


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