第23話 亀裂

 下校げこうの道すがら、移動販売車で購入したスイーツを食べ、橋をわたっていたウツロと真田龍子さなだ りょうこ


 眼下がんか河川敷かせんじきでケンカをしている南柾樹みなみ まさき氷潟夕真ひがた ゆうまを発見した真田龍子は、それを止めようとするが――


「待ってくれ龍子。落ち着いて、そしてきいてほしいんだ」


「ウツロ……?」


 ウツロは食事をやめ、急に真剣な表情になって、彼女に顔を合わせた。


「いいかい? 第一に、さっきのみやびの話によれば、この国を掌握しょうあくしているなぞの組織があって、刀子朱利かたなご しゅりや氷潟夕真は、その組織とのつながりがあるらしい。第二に、刀子朱利の告白どおりなら、その組織は、俺たち特定生活対策室の情報をにぎっているということになる。そして、柾樹と氷潟は、いつもあの河川敷でケンカをしている。龍子、これが何を意味すると思う?」


「まさか、ウツロ……」


 真田龍子の脳裏のうりに不安がよぎった。


 彼女はそれをかくせない顔を、ウツロに送った。


「そう、氷潟夕真は、刀子朱利とはあるいは単独で、柾樹から情報を収集している可能性がある、ということだね」


「……」


 果たしてその不安は、ウツロが言い当てたのである。


「信じたくはない……特生対のデータベースから情報を搾取さくしゅだとか、もしくは特生対がそもそも、その組織とつながっているだとか、考えられる選択肢せんたくしはいくらでもある……でも、あくまで可能性の一つだけれど、存在すると思うんだ」


「……柾樹が、その組織の、スパイだっていうの……?」


 柾樹が謎の組織のスパイ――


 ウツロはそう疑っている。


 真田龍子は舌の先がこわばっていく感覚におちいった。


「誤解しないでほしい、龍子。俺が言っているのはあくまで、形式上のことなんだ。もちろん、ただの憶測おくそくであることを願っているけれどね」


 ウツロの言うことはもっともかもしれない。


 しかし、言い方というものがある。


 彼女はここで、愛する存在に対し、はじめて軽蔑けいべつの念をいだいた。


「……ウツロ、こんなこと言うのはつらいけど……あなた、最低だよ」


「……」


 最低――


 そんな単語を吐かれ、ウツロはショックを受けた。


 しかし燃料を投下したのは間違いなく自分だ。


 彼はだまって、真田龍子の言い分をきこうと思った。


「柾樹がそんなこと、するわけないじゃない……それはあなたが、ウツロがいちばんよく知っていることでしょう?」


「もちろん、俺は柾樹のことをよく知っている……と、思い込んでいるだけなのかもしれない」


「……」


 反抗したかったわけでは、決してない。


 しかしウツロの真正面まっしょうめんな性格が、そんな言葉をそらんじさせた。


「俺は少なくとも、柾樹と出会ってからのことしか、柾樹のことを知らない。柾樹は重い過去を背負っている。そのことについて、問いただそうなんて、俺にはできない。だから俺は、柾樹のことをすべて知っているとは、決して言えないんだ」


「ウツロ……」


 彼は続けたが、真田龍子はますます軽蔑の念を強く持ってしまった。


 二人ともバカ正直な性格だが、その微妙な認識のズレが、齟齬そごとして爆発してしまった。


「信じたい……俺だって、柾樹のことを信じたい……でも……」


   ぱしんっ!


「いいかげんにして……ウツロ、あなたがそんな人間だなんて、思いもしなかった……あなた、柾樹に助けてもらったでしょう……? 絶望的な状況に置かれたあなたを、柾樹は自分を犠牲ぎせいにして救ったんだよ……!? そのおんも忘れて、柾樹を疑うだなんて……恥ずかしくないの、人として……!?」


「龍子……」


 真田龍子はウツロを平手打ちにし、いかりの形相ぎょうそうをぶつけた。


 直情的な彼女ではあったが、今回ばかりはが悪すぎた。


 それでもなお、その憎悪ぞうおは収まらない。


「ああ、人じゃなかったんだっけ? 毒虫どくむしだもんね、ウツロは!」


 勢いのあまり真田龍子は、よりにもよってタブー中のタブーを、愛するウツロに向け、吐き捨ててしまった。


「……ごめん、ウツロ……わたし、なんてことを……」


 彼女は言い放ったあと、とんでもないことをしてしまったことに気づき、みるみる顔がこわばってきた。


「いや、いいんだ、龍子……それだけのことを、俺はしたんだから……」


 察したウツロが声をかける。


 だが真田龍子は思い出してしまった。


 かつて自分が弟にしてしまったように――


 苦しみを吐露とろする弟・虎太郎こたろう罵倒ばとうし、最悪の事態を招きかけたように、いま自分は、あろうことか愛の対象であるウツロに対し、同じことをしてしまった。


 クズだ、わたしは人間のクズだ……


 トラウマがよみがえってくる。


 爆発しそうだ……


 終わりだ、わたしは……


 そんな葛藤かっとう強襲きょうしゅうされた。


「……ごめんなさい、ウツロ……ごめんなさい……」


 彼女は顔をおさえながら、全身を震わせている。


「龍子……」


 ウツロは耐えられなかった。


 自分が余計なことを言ってしまったせいで……


「龍子、すまない……!」


 抱きしめる。


 ウツロには真田龍子の体が、冷凍されていたかのように冷たく感じた。


 こんなに苦しい思いをさせてしまったのか……


 彼はおのれのおこないをひどく後悔こうかいした。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


「龍子……」


 不器用だった。


 それは単に、彼らがまだおさないからというだけではなく――


 地面に食べかけのフーガスが落ちていた。


 真田龍子が自分の分を手放したのだ。


 ウツロは彼女を抱擁ほうようしたまま、クリームだの溶けたバターなどがごちゃごちゃになって、ドロっとしたそれを見下ろしていた。


 うつろになった目つきで。


 これが俺の心の中なのかもしれない、と――


(『第24話 河川敷かせんじき決闘けっとう』へ続く)

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