断章5
俺が家族の死を知ったのは、授業中だった。
両親と妹は前日から一泊二日の旅行に行っており、朝には帰ってくるはずだったが、特に連絡もなく帰って来ないまま、俺はいつも通りの時間に家を出た。
心配ではあったものの、単に旅館で寝坊しただけかも知れない、とそれほど気負ってはいなかった。
しかし、授業中に担任が教室に飛び込んできて連れ出されたことは不安をもたらし、職員室の電話で聞かされた内容は俺の意識を混濁させるには十分だった。
早朝、家族の乗った車は旅行先からの帰路に就いていた。その途上で事故は起きた。
高速道路でトラックと接触したらしい。我が家の車は原型を留めていなかったそうだ。
父さんの運転には何の問題もなかった。相手の運転手は酒気を帯びており、ハンドルを切り損なって、家族の車を巻き込んだようだ。その者も事故で他界していた。
俺は恨むべき相手もおらず、ただ理不尽に家族を奪われた。
突然、足場が崩落したような感覚。俺の日常はあっけなく崩れ去ったのだ。
それからしばらくのことは良く覚えていない。茫漠とした思索の中で己を苛み続けた。
涙の一つも出やしない。あまりに突然過ぎた。
現実感を失い、世界が薄い膜の向こう側にあるように思えた。
その間、必要な手続きは親戚が全て行ってくれた。
再び現実に焦点が合った時には葬式だった。家族の身体は損壊が酷く、見ることは許されなかった。
唯一、許されたのは火葬した後の遺骨だけだった。
両親と妹の顔が記憶から薄らいでいくように思えた。脳裏をよぎる映像のどれが最後に見た姿かも分からなかった。
失いたくない、と思えば思うほど抜け出ていくような気がした。
俺はもう俺ではいられなかった。
自分にとってどれだけ家族が大切だったかを思い知らされた。
そこには紛れもない幸いがあった。ならば、それを失えばただの抜け殻だ。
人助けがしたい。
昔、楓香と出会ったことで俺はそう思うようになった。確かに彼女の力になれたと感じられたから。
それこそが俺の生きる意味、為すべきことだと考えた。
けれど、そんな風に思えたのも、それを実行することが出来ていたのも、全て家族がいたからだ。
父さんが、母さんが、柚がいたからこそ、そこには幸福があったからこそ、俺は俺であることが出来た。
俺は当たり前に傍に在ってくれる幸いの大切さに気づかず生きていた。
失って初めて、気が付いた。
何て愚かなのか。
そのくせ、誰かを助けようなどと躍起になって。
本当に俺は誰かを救うことが出来ていたのか。全て勘違いだったのではないか。
傲慢にも程がある。自分一人で生きていたつもりか。
死んでしまえばいい。こんな奴に生きている価値はない。
このまま地獄に堕ちてしまいたかった。
神に願えば、俺も蝎の火になれるだろうか。きっとあの蝎も自らの行いを後悔したからこそ、苦しみを欲したのだ。
だから、燃え続けている。浄罪の炎で灼かれ続けている。
俺は溺れていた。きっと既に世界は井戸の中だ。出来るのは神に願うだけ。
この身を捧げます。だから、罰をください。
けれど、神は答えてくれない。俺は溺れ続ける。
息苦しい。辛い。耐えられない。誰か助けて。
そうして、藻掻きながら必死に手を伸ばした先にあったのは、自らの記憶が垂らした蜘蛛の糸。
白樹様。名も知らぬ神ではなく、白樹町に住むものなら誰でも知っている神。
その力を俺は知っていた。
夢を見せてくれる。幸せな夢を。永遠に。死ぬまで。
気づけば、俺は一心不乱に駆けていた。白樹神社の裏、あの祠を目指す。
転がり込むように辿り着くと、俺は切に願った。家族と共に過ごしていた平穏な日常を。
白樹様は俺の願いに答えてくれた。黄金色の光に包み込まれる。それは母胎に帰ったように温かく心地良かった。
その後は、時間感覚も空間認識も欠いたまま、朧気な夢の回廊を揺蕩っていた。
両親も柚も死んでいない世界で、辛い記憶は封印し、変わり映えのしない穏やかな日々を過ごし続けていたのだ。
……そう、楓香が転校してきたあの瞬間までは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます