断章3
中学三年生になると、部活の最後の大会や迫りくる受験によって、日々に熱がこもっている者も多い。
そんな中、俺のクラスには一人だけ、魂が抜けたように呆然とした顔で毎日を過ごしている奴がいた。
その男の名前は東郷梗介と言った。
梗介は放課後になってもしばらくは椅子に座ったまま、窓の外をぼんやりと眺めている。
俺は特に部活もやっていないので、授業が終わればさっさと帰るのが常だが、その日だけは少しの間、本を読んで過ごしていた。
教室からは人気がなくなっていき、遂に俺と梗介だけになった。それを見計らって彼に声を掛けた。
「なあ、東郷」
「ん、君は……」
梗介は突然、声を掛けられたことにも驚いた様子はなかった。誰だろう、と顔で表していた。
「俺は狩谷蓮。一応、クラスメイトだ」
「悪い、まだ名前と顔が一致しなくてね」
「別にいいさ。それよりも、今日は暇か?」
俺はさっさと本題に入る。雑談する為に話しかけたわけではない。
「まあ、暇ではあるけど、どうして?」
「なら、ちょっと付き合ってくれないか。人手が欲しいんだ」
「何をするんだ?」
「分かりやすく言えば、ボランティアだ。誰でも出来る。あとは付いてくれば分かる」
彼は困惑気味だったが、やがて頷いた。
「……まあ、いいか。どうせやることもないしね」
そう呟く彼の顔は哀愁に満ちていた。
そして、俺はその理由を知っていた。
前日、俺は白樹神社を訪れていた。目的は茉莉に会う為だ。
「お、いたいた。茉莉、ちょっといいか?」
俺は巫女服姿の茉莉に声を掛ける。境内の清掃中らしく、その手に大きな箒を持っていた。
「おや、蓮きゅんではないですか。どしたん~?」
彼女はこちらに気づくと、陽気な態度で問い返してきた。入学の際に変えた喋り方も今では板についている。
「確か去年は東郷梗介と同じクラスだったよな?」
「ああー、きょんきょんね。同じクラスだったけど、それが何か?」
「知らなきゃ別にいいんだが、クラスでいつもぼんやりしてるのが気になってな。去年からそんな感じだったのか?」
「いんや、去年はそんなことない、むしろ
茉莉は言葉を濁す。彼女が話したがらないのであれば無理に聞く気はなかったが、程なくして再び口を開いた。
「きょんきょんが地元のサッカークラブに所属していて、将来を嘱望されていたことは知ってる?」
「いや、知らないな」
「蓮きゅんはもうちょい一個人に興味を持ちなよ……うちの学校のスポーツ分野では一番と言っていいくらい有名だったのに」
「む、済まない……」
茉莉に説教されることなんてあまりないので、俺は素直に頭を下げた。
「まったく…………キミがそんなだからあたしは……」
茉莉は小さな声で何かを言ったようだが、俺の元までは届いてこなかった。
「ん、何か言ったか?」
「べっつに~。それより話の続きだけど、きょんきょんはサッカーが超絶上手くて、彼自身もこの道で生きていく、くらいな覚悟だったわけ。でも、去年の末頃、練習している時に右足を大怪我しちゃってね。治りはしたけど後遺症が残って前のようにはプレイ出来なくなっちゃった、って話だよ」
「なるほど……それで昔からの夢を絶たれたってわけか」
色々な可能性を考えてはいたが、梗介が今のようになってしまうのも当然だと思える出来事だ。
自分の全てを注ぎ込んできたものが突如奪われたとすれば、俺は果たしてどんな気持ちを抱くだろうか。
それを理解することは決して叶わず、俺には想像することしか出来ない。
「何かするつもりなの?」
「さてな」
俺が惚けると、茉莉は持っていた箒を真上に構えた。
「言わなきゃ、汝に裁きが下る」
「……別に何かするって程でもない。単に暇なら俺の手伝いでもしてくれないかと思っただけだ」
「なるなる。それはいいかもねー」
茉莉は箒を下ろすと、「うんうん」と頷いた。どうやら納得してくれたらしい。
「仕事の邪魔をして悪かったな。助かった」
俺が立ち去ろうとすると、茉莉は朗らかに笑みを浮かべて言う。
「頑張って」
俺は応援の言葉を受けて白樹神社を後にした。
右足を僅かに引きずるようにして歩く梗介を連れて学外に出た俺は、歩いて十分ほどのところにある建物へとやって来た。
「ここだ」
「これは、老人ホーム?」
「いや、少し違う。ここは
俺達が自動ドアを通り抜けると、職員の一人が出迎えてくれた。施設の制服を着た女性だ。綺麗な人だが、年については聞いてもはぐらかされる。
「あら、蓮くん。こんにちは」
「
「今日はお友達も一緒なのね」
樫田さんがチラリと目を向けると、梗介は体育会系らしく爽やかに挨拶をする。
「初めまして、東郷梗介と言います。今日はよろしくお願いします」
「梗介くんね。よろしく。私は樫田
樫田さんは「ふふ」と微笑を浮かべると、利用者がいる部屋へと俺達を案内してくれる。
そこには広々とした大部屋に十数人の老人がいた。一人一人が思うように帰宅までの時間を過ごしている。
四人で麻雀をしている人もいれば、職員と一緒に身体を動かす人達もおり、また本を読んでいる人もいる、という具合だ。
「蓮くんはもう知ってると思うけど、利用者の相手をしてくれるだけでも私達からすれば大助かりなの。一人一人に職員が付くわけにもいかないしね。だから、梗介くんも難しいことは考えずに、お話したり一緒に遊んでくれると嬉しい」
樫田さんは梗介を連れて数人で集まっている利用者のところへと行った。
梗介からは少し緊張が見られたが、樫田さんも付いているし、大丈夫だろう。
そう考えた俺は別の利用者の方に声を掛ける。ここに来始めた頃はなかなか上手く出来なかったが、今では慣れたものだった。
利用者は夕方には車に乗って順次帰宅していくので、約一時間半程度だったが、俺と梗介は利用者の相手に励んだ。
片付けも手伝った後、俺達は帰路に就く。既に日は暮れていた。
「今日は来てくれて助かった。ありがとう」
「そいつは何よりだ。こっちも初めての経験でなかなか楽しかったよ」
「婆さん達に人気だったな」
「おれってそんなにジャニーズ系かな」
「……さあ?」
俺達はあまりテレビを見ない者同士だった。二人して首を傾げる。
「えーと、蓮? 呼び捨てでいいよね」
「ああ。俺も今後は梗介と呼ぼう」
「蓮はいつもあそこの手伝いをしてるのか?」
「いや、あそこだけじゃない。近くの児童養護施設にも行ってる。あとは公園や町の清掃活動だったり、町内会に来る相談を引き受けたり、まあ色々だな。放課後の空いた時間で気の向くままに手伝わせてもらってる」
「はぁ~、偉いなぁ。ボランティア精神の化身か」
「人助けが趣味なんだ。むしろ、それ以外にはしたいことがなくてな。また暇なら明日以降も手伝ってくれ」
「うーん……まあ、いいよ。どうせ暇だ」
そうして、放課後は俺の活動に梗介が付き添うことになった。
俺が梗介に手伝いを頼むようになってから二週間が経過した。
彼は文句も言わず付き合ってくれていた。
「人に感謝されるって嬉しいもんだね」
と零したこともあり、それなりに楽しんでくれているようだった。
以前のようにぼんやりとしていることも減ったように思う。きっと色々な人との関わりが良い刺激となっているのだろう。
正直、俺が梗介に言えることなんて何もない。何を言ってもそれは中身のないものになってしまうだろう。
夢を失ってしまった梗介の心を救えるのは彼自身だけだ。俺に出来るのはこうして外の世界、色々な人が生きている場所に連れ出すことくらいしかない。
だから、そこで何かを見出してくれればいいな、と。そう思って彼を誘った。
どうなるかは分からなかったが、良い効果を示しているようで俺は安堵していた。
「あー、蓮と梗介だー!」
俺達を一人の子供が指さして叫んだ。すると、わらわらと他の子供達が集まってきた。
「ほんとだー!」
「蓮、宿題で分からないところがあるから教えて~」
「梗介くん、今日もかっこいい……」
彼らは俺達の周りで好き勝手に喋りだす。
「はいはい、皆さん。せっかく二人が来てくれたんだから、初めに言うことは?」
奥から出てきた壮年の男性がそう言うと、「こんにちはー!」と元気の良い挨拶の言葉を口にした。
「蓮くん、梗介くん、こんにちは。いつもありがとう」
「いえ、やりたくてやってることですから」
「そうですよ。皆、良い子ですしね」
俺と梗介はそんな風に答える。
「そう言って貰えると嬉しいよ」
今日は児童養護施設に来ていた。梗介も既に二回来ており、子供達に覚えられていた。
俺達を迎えてくれた壮年の男性は、この施設の園長だ。
身寄りがない子供や虐待などで家にいられない子供を引き取って育てている。
立派な人だ。
「それじゃ梗介、今日も遊び相手を頼んでいいか?」
「うん、もちろん。おれは蓮みたいに勉強を教えたり出来ないしね」
サッカー一筋でやって来た梗介は基本的に勉強が苦手らしかった。これまで見てきた印象としては、やれば出来るタイプだとは思うが。
大部屋の中で勉強組と遊び組に分かれる。俺は勉強組が机に宿題やノートを並べていくのを見守る。
遊び組は以前来た時はトランプをしたり、テレビゲームをしているところを見かけたが、今日は何をするのだろうか。
「梗介、庭でサッカーやろうぜ!」
聞こえてきた声からちらりと見ると、梗介は僅かに顔を曇らせていた。
俺は梗介に声を掛ける。
「梗介」
「あ、ごめん、ちょっと待って」
彼はホッとした様子で寄ってきた。
「無理しなくていいからな。駄目なら断れ。子供達は別に気にしない」
「……何だ、知ってたんだ」
「まあな」
「……いや、やるよ。怪我自体はもう治ってるし。子供の相手くらいなら問題はないさ」
そう言って梗介は子供達の傍に戻り、了承していた。当人が決めたことなら、俺がとやかく言う必要もない。
遊び組は庭に出てサッカーを始めた。施設の庭はそれなりに広いが、流石にゴールはないので二組に分かれてボールを取り合うような形式だ。
俺は子供達に勉強を教えながらも、窓の外を眺めていた。
やはり梗介はクラブでサッカーをしていただけあり、抜きん出た上手さだった。
素人目には足の後遺症なんて感じさせない。
数人の子供が一斉に襲って来てもなかなかボール取らせず、的確にパスを出す。
時に股下を抜き、時に頭上を浮かせたりして。
当然、わざと取られたりもしていたが、その際にも指導するような取らせ方だった。
そんな梗介の顔は、笑っていた。
これまでに見たことのない最も純粋な笑顔に思えた。
その光景を見ていると、俺は居ても立ってもいられなかった。子供達に頭を下げて言う。
「悪い、ちょっとだけ俺も向こうに混ざらせてくれ」
当然、「えー」という不満の声が集まったが、頼み込むと許してくれた。
俺は庭に出る。梗介は不思議そうな顔でこちらを見た。
「蓮?」
「梗介が相手じゃ不公平だからな。もう片方のチームには俺が入ろう」
俺が参戦を告げると、子供達は喜びを見せた。
「サッカー出来るの?」
「並み程度には。自慢じゃないが、運動自体は得意なんだ」
「それなら、お手並み拝見といこうか」
梗介はニヤリと笑みを浮かべ、こちらにボールを軽く蹴って渡してきた。掛かって来い、ということだろう。
俺はボールを足の側面で受けると、そのままドリブルを仕掛けた。
斜めに抜き去ろうとするが、流石に梗介はすぐさま正面へと立ち塞がってきた。
俺は一度ボールを足元に止めると、梗介の足が伸びてくる。
足裏でボールを転がしかわそうとするが、その軌道も読まれている様子だったので、止むを得ず後ろにいた子供にパスした。
そんなやり取りに子供たちの歓声が上がる。気づけば、勉強組も窓の傍からこちらを見ていた。
「それだけ出来れば、サッカー部は喜んで誘っていただろうに」
「俺自身はスポーツにあまり興味がなくてな。こうして、遊びでやる分には好きだが」
梗介は得心したように頷き、再びボールの取り合いを始めた。
そうして、俺達はしばらくの間、サッカーを続けた。これといって勝ち負けもなく、ただ純粋にボールに触れることを楽しんだ。
やがて、日が暮れる頃、俺達は施設を後にした。
帰り道を歩く中で、梗介はポツリと呟く。
「この足じゃプロのサッカー選手になれない。そう悟った時、まるで目の前が真っ暗になったみたいだった。全てを失ったように思った」
それは梗介の独白だった。
その言葉にどれほどの重みがあるのか、俺には想像することしか出来ない。
想像した上で決して安易な理解を示さないのが、俺に出来る誠意だった。
俺が黙っていると、梗介は言葉を重ねる。
「だけど今日、子供達と一緒にサッカーをやって思い出したよ。おれも昔はあんな風にボールに触れることが楽しくて仕方なかったんだ。ゲームの勝ち負けとか、そんなことはどうでも良くて。ただサッカーが出来ていれば、それだけで幸せだった」
そう語る梗介の顔は、まるで暗闇で覆われていた視界に光明が差したかのように見えた。
「この足じゃプロのサッカー選手にはなれないけど、おれはこれからもサッカーは続けていこうと思う。だって、サッカーが好きだから」
「そうか」
俺はただそれだけを返した。それ以上に何かを言うのは野暮に思えた。
梗介は重責から解き放たれたように、大きく伸びをする。
「さーて、明日からどうしていこうか。これまでにないことをしてみたいけど、とりあえずは受験勉強しないとなぁ」
「暇な時なら教えてやらないこともない」
「自慢じゃないけど、おれは小学校レベルでも分からないよ?」
「本当に自慢じゃないな……」
俺は呆れ顔となるが、梗介は無邪気に笑みを浮かべていた。
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