第4話
「やー、まさか蓮ちゃんがあんなに熱心にお見合いを勧められるとは思わなかったよ」
「あははっ、何それウケるー!」
翌日の昼休み、楓香は昨日の体験を早速、茉莉との話題にしていた。
「笑い事じゃない……断るのが大変だったぞ」
隣で弁当を食べていた俺は昨日のことを思い出してげんなりする。
「それだけ信頼されてるってことじゃあないですか、お兄さん」
良いことのように語る楓香だが、笑いを堪え切れてない。
「でもま、蓮きゅんは町のお年寄り人気は高いんよねぇ、実際。町内会の手伝いだけじゃなくて、
「通所介護?」
楓香は俺の口からは聞いていない言葉に首を傾げた。
「昨日の町内会以外にも近くにある通所介護や児童養護の施設にも顔を出していてな。週一程度で手伝わせてもらってる」
「あとは町内の清掃なんかもね」
俺の言葉を茉莉が補足する。
彼女は家の手伝いをしている関係上、町の事情に精通しているので、俺の日々の活動も大方把握していた。
それを聞いた楓香は畏れるような目で俺を見る。
「……蓮ちゃん、実は誰かに脅されてたりしない?」
「急にどうした」
「いや、蓮ちゃんが善行を積み過ぎでちょっと疑いを」
「あーね。蓮きゅん、変人だから仕方ないよん」
茉莉は納得したように言うが、俺は異議があった。
「失敬な。俺のどこが変人だ」
二人は胡乱な目で見てくる。俺は言い逃れするように述べる。
「人助けが趣味なんだよ」
俺の言葉に、楓香は何かを思い出すように視線を宙に浮かせ、呟く。
「まあ、確かに蓮ちゃんは昔からそうだね」
「あたしも知り合った時には既にそんなだった」
楓香と茉莉は互いにうんうんと頷き合っていた。
二人して一体、何だというのか。
「蓮ちゃん、今日はどうするの?」
「とりあえず昨日の残りを済ませようかと」
「また付いていっていい?」
「昨日来て分かったと思うが、別に大した内容でもないぞ?」
ほんの十分程度で終わるような内容も少なくない。
人手があって困ることはないが、決して必要ではないし、退屈させてしまうこともあるように思う。
「いいのいいの。私的には楽しかったよ」
「そうか。なら、好きにするといい」
「わーい」
座りながら小躍りする楓香。茉莉は微笑まし気に見ていた。
と、そこで俺の名を呼ぶ声がする。
「蓮、ちょっと」
廊下から梗介が手招きして呼んでいた。いつもなら教室内まで入って来るので、俺は不思議に思いながら出る。
すると、そこには梗介以外の人物も一緒にいた。気弱な雰囲気の女子生徒だ。
「紹介するよ。彼女は一年生の
「あ、あの、よろしくお願いします……」
おずおずと頭を下げてきた。見知らぬ男子相手だからか、緊張しているようだった。
「ああ、よろしく。それで、梗介?」
「最初はおれのところに相談に来たんだけど、どうにも蓮の方が向いてそうな内容だったんで、連れてきた。彼女の相談に乗ってあげてくれないかな」
「別に構わないが」
「それじゃ頼んだよ」
梗介は何の不安もないように去っていった。
もう少し後ろ髪を引いても良いのではないだろうか。
初対面の相手のもとに取り残され、居た堪れない様子の一年生。
俺はなるべく怖がらせないように声を掛ける。
「とりあえず場所を移そう。中庭でいいか?」
「は、はいっ」
俺が率先して歩き始めると、彼女は慌てて付いてきた。
中庭の近くに人がいない辺りに着くと、俺は改めて問いかける。
「それで、梗介にどんな相談をしたんだ?」
「それがその……」
彼女は何やら言いにくそうだったが、意を決した顔で言葉を紡ぐ。
「猫が、いなくなっちゃったんです……」
「猫? 飼い猫か?」
「いえ……野良猫なんです。いつも同じ場所にいたので、その、帰り道に食べ物をあげてたんですけど……」
どうやらそれが言いにくくさせていた理由らしい。
野良猫に餌をやっている、ということを批判されるのを恐れたのだろう。
「昨日から姿が見当たらなくて……もし車に轢かれてたりしたらどうしようって心配で……」
「なるほどな」
事情は把握した。つまりは猫を探すのを手伝って欲しいというわけだ。
「それでどうして梗介のところに?」
「生徒会長就任の挨拶の時、どんな個人的な事情でも相談を受け付ける、って言ってたので藁にも縋る思いで……」
それなら俺に鉢を回すな、と言いたいところだが、梗介も梗介なりに考えているのだろう。
確かにこれは俺の方が成功確率が高そうな案件だった。
「分かった。その猫を探すのを手伝おう。写真とかはあるか?」
「あっ、はい、携帯で撮ったものが」
俺は彼女と連絡先を交換し、猫の画像を送信してもらうと、別れて教室に戻った。
何の話をしていたのか、と興味がありそうだった楓香に声を掛ける。
「楓香。今日の放課後は予定を変更して、様々な猫と戯れることになった」
「ほへ? ね、猫カフェにでも行くの?」
彼女は当然のように呆気に取られていた。
俺と楓香は日も暮れた道を二人で歩いていた。猫探しの帰路だ。
「猫ちゃん、無事に見つかって良かったねー」
「そうだな」
俺は同感の意を込め頷いた。
放課後、俺と楓香はあの一年生と協力して町内を探し回った。
と言っても、決して闇雲に探したわけではない。
町内会の手伝いをしていると、町内の各所を巡っていく為、地理には自然と詳しくなる。
猫を良く見かける場所にも心当たりがあった。
しかし、それは一か所や二か所ではない。それぞれ巡るには相応の時間が必要だった。
そうして、日も暮れそうになった頃、遂に発見したのだ。
どこかで死んでしまっている、という可能性も十分にあったので、無事に見つけることが出来たのは幸運だと言う他ない。
「あの子、思わず泣いちゃうくらい嬉しかったんだよ」
確かに泣きながら礼を言われた。今回の一件から、何とか両親を説得して自分で飼うことに決めたらしい。
「あれだけ喜んでもらえると、頑張った甲斐はあるな」
「いよっ、ヒーロー、憎いねこの、ひゅーひゅー!」
「煽ってるようにしか聞こえないんだが」
「む、確かに」
楓香はサッと自分の口を押さえる。気づいていなかったのか。
彼女はふいと良く晴れた夜空に視線を向けた。程なくして、その一点を指差す。
「はくちょう座。あれが名高いアルビレオの観測所です、ってね」
「銀河鉄道の夜か」
「お、流石は蓮ちゃん。今ので分かっちゃうか」
「うちの父親が宮沢賢治を好きでな。俺も昔は良く読んだよ」
「今まで読んだ中で一番好きな本だなぁ。時間があればつい読み返しちゃう」
楓香はスーッと指先を動かすと、真っ赤な輝きを放つ星を指した。
「さそり座のα星アンタレス。
楓香の言う「蝎の火」とは『銀河鉄道の夜』の作中に登場する話だ。
これまで他の虫を殺して食べて生きていた蝎が、ある日いたちに見つかり食べられそうになった。
しかし、必死に逃げた蝎は井戸に落ちて溺れた。
その際、蝎は自らの行いを後悔する。自分だってこれまで他の生物を食べて生きてきたのだから、いたちが一日でも生き延びられるようにこの身を捧げるべきだった、と。
そうして、蝎はまことのみんなの幸の為に自分の身体を使ってくれと神に願うと、いつしか赤い火を宿して夜を照らすようになった。
俺は蝎に共感できた。その生き様には心震わせるものがあった。
それは昔よりも遥かに、不思議なくらいに。なぜだろうか。
程なくして、楓香はくるりと身体ごと俺の方を向くと、こんなことを告げてきた。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう」
それは『銀河鉄道の夜』のクライマックスにて、ジョバンニがカムパネルラに言う台詞。
何度も読み返していると自分で言うだけあり、作中に出てくる言葉を良く覚えているようだ。
確かその後は、みんなの幸いの為ならばこの身体を何回焼いても構わない、というようなジョバンニの台詞が続くはずだ。
「……その配役だと俺が川に飛び込んで死ぬことになるんだが」
「あはっ」
俺の指摘に、楓香は相好を崩して見せたが、それ以上に何かを言うことはなかった。
俺が帰宅すると、他の家族は既に揃っていた。
既に食事の準備も出来ており、どうやら俺を待っていたらしい。これといって連絡もしていなかった為だろう。
「兄貴、遅い」
既に椅子に座っている柚は不満そうに呟く。空腹なようだ。
「悪いな」
俺は謝りながら椅子に座る。彼女は「ふん」と鼻を鳴らすだけだった。
食事が始まった後、母さんがふと思い出したように言う。
「ああ、そう言えば、蓮。藤原のお婆ちゃんが苺を持ってきてくれたわ。お礼だって」
「へぇ。別にそこまでしなくていいのに。ちょっと家具を動かしただけなんだから」
「若い子が来てくれるだけで嬉しいのよ」
「そんなもんか」
俺は味噌汁をすすりながら、何となく納得した。
「何だ、蓮。また手伝いに行ってたのか?」
父さんの問いかけに俺は頷く。家族は俺が町内会の手伝いをしていることは知っていた。
「我が息子ながら献身的過ぎて怖いくらいだ」
「兄貴は無趣味人間だから」
柚はボソッと失礼なことを言うが、否定は出来なかった。
「それがやりたいことなら何の問題もない。ただ、間違った献身をしないようにな」
「間違った献身?」
「
「まあ、有名だから。聖書だ」
俺が頷くと、父さんは話を続ける。
「その言葉に対して太宰治が、やはり己も愛さなければいけない。己を嫌って、
誰かに優しくするには、まず相手がどうされたいのかを想像しなければならない。
そして、それはどうしたって自分自身が基準になる。
だからこそ、自分に優しく出来ない人間は、誰かに優しくすることも難しい。
そこで生じた歪みは互いを苛むことになるのだろう。
「要は、自分を犠牲にしてまで献身をしちゃいけないぞ、ということだ。優先順位はあくまで自分自身を上にしておいて欲しい」
「大丈夫、別に無理はしてない。ちゃんと自分に出来る範囲を弁えてやってるから」
「なら、いいさ。蓮がしたいようにしてみるといい。そんな風に出来るのはきっと、満ち足りているということだからな」
父さんはフッと微笑を浮かべた。
しかし、その言葉はなぜか俺の胸中に僅かな影を残す。
何かが記憶の片隅で囁いているように思えた。
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