第104話 アーヴィンと取引した
「久しぶりだなアーヴィン、シューデルガンドで別れて以来か」
グノワルド王国国家鑑定士のケルンさんの護衛任務、と直接言うのはお互いの同行者の手前憚られたので、あえてぼかした言い方で再会を表現しながら、俺はアーヴィンを除いた二人の男に改めて意識を向けてみた。
――確か竜人族という名前を初めて聞いたのは、ティリンガ族の里でドンケスに亜人の解説をしてもらった時か。
いや、あの「関わるな」の一言で終わったあれは、お世辞にも説明と呼べるような代物じゃなかった。
だが、実物を間近に見た第一印象は、正にドンケスの忠告を具現化したものだった。
一人目の紅蓮の髪を持つ方の竜人族は一言で言えば偉丈夫、もう一人の群青の髪の竜人族の男は眉目秀麗といったところか。
洗練された貴族並みの上等な質感の生地の衣装に身を包んでいるせいか、一見どこかの御曹司といったいで立ちにしか見えないが、その内部には体のサイズからしてあり得ない量の魔力が渦巻いている。
亜人の一種だから精々ドワーフやエルフと同程度、ドンケスの忠告は亜人特有のとっつきにくさを言っているのかと思っていたが、そのイメージは根本から崩れた。
獣の特徴を受け継ぐ獣人族とは成り立ちからして次元が違う、これじゃまるで人の皮を被っただけの――
「タケト、買い物がもう済んでるんなら、ちょっくら話があるさね。付き合ってくれないか?」
そこまで思考が進みかけたその時、アーヴィンの声で一気に現実に引き戻された。
「あ、ああ、別に構わないぞ」
「じゃあ外で話さないか。秘密の話には好都合なところが近くにあるさね」
アーヴィンの提案は俺としても渡りに船だったので一も二もなく了承した。
「リリーシャ。悪いが品物を持って先に戻っておいてくれないか?」
「……」
「リリーシャ?」
「……あ、す、すまん、もう一度言ってくれないか?」
「俺はこいつと話がある。店主が戻ってきたら先に品物を持って戻ってくれないか?」
「わ、わかった」
どこか上の空のまま、リリーシャは俺の言葉に頷いた。
その間も、彼女の視線は二人の竜人族に固定されたままだった。
「まあ、あのダークエルフの気持ちもわかるさね。てか、普通の奴は竜人族を見るとああいう反応か、もしくは速攻で絡んでいくさね。まあ、後者の場合はそれなりに痛い目に遭うことになるんだけどな」
「そうなのか?」
「そこでそういう反応ができるタケトが異常なんさね。一体どういう経験を積んだら竜人族との初遭遇で無反応を貫けるんさね?」
あれから、同行者に視線を送っただけで店の外に出たアーヴィンの後に続いた俺は、ゲルガンダールの裏路地を歩いていた。
「ここさね」
そうして辿り着いたのは、喫茶店らしき落ち着いた雰囲気の建物。
さっき聞いた通り、醤油を買った店からさほど離れていなかった。
――正直、これ以上歩かされたら本気で迷いそうだったので助かった。
「適当に茶を。タケト、そこに座るさね」
他の客の気配のない喫茶店に入るなり、カウンターの男に向けてそう注文して奥の席に座ったアーヴィン。
俺も特に異論があるはずもなく、勧められるままに席に着く。
マスターらしき男が店の奥に消えるのを見計らったのか、俺たち二人以外に誰もいなくなったところでおもむろにアーヴィンの方から切り出してきた。
「初めに言っておくさね。今の俺の立場はグノワルドの騎士でもなけりゃ、冒険者ギルドに所属しているSランク冒険者でもない。いわばプライベートさね」
「……何が言いたいんだ?」
「俺とタケトはゲルガンダールなんかで会わなかった、そういうことにしてほしいんさ」
「意味がよくわからんな。俺が誰それと会ったとあちこちで言いふらすような人間だと思ったか?」
「そんなこと思っちゃいないっさね。俺がこのゲルガンダールにいたこと自体はそれほど問題じゃない。ただ、俺が誰といた、なんてことを大樹界の外で喋られるのは少々困る、って話さね」
「ふうん」
肯定否定、どちらとも取れない返事をアーヴィンにして、少しあの状況を思い返してみる。
大樹界の中でもアンタッチャブルな存在らしい竜人族と、人族のSランク冒険者(もしくはグノワルド王国の四空の騎士)との組み合わせ。
議論するまでもなく、話を聞いた誰もが詮索したくなる情報だ。
それをあえて詮索するなと言ってくるとは、それなりの理由があるのだろうが。
「それに、タケトの方もここにいるなんて噂を流されたら困るんじゃないのさね?」
「困る?俺が?」
「おおっと、とぼけようとしても無駄さね。俺も伊達にグノワルドの騎士やってんじゃないさね、ちゃんとネタは上がってるさね!」
ババーン!!
そんなオノマトペが出てきそうなくらいに、決め顔で勝ち誇ってくるアーヴィン。
もちろん俺に心当たりなど全くないので、演技ではなく本気でハテナ顔になっているのだが。
「そうか、ここまで言ってもだんまりというなら仕方ないさね。タケト!アンタが騎士爵に叙爵されてコルリ村の代官に就いたことは調べがついてるさね!その代官が王国に無断で任地から離れていることはどう説明するつもりさね!」
「あ、あーーー、そのことか。それなら多分大丈夫だろ。セリカには断ってあるから、東の大公に話は通ってると思うぞ」
「そう!東の大公様クラスでないとそんな無理は……は?ちょっと待て、今なんて言ったさね?」
「いや、だからセリカがコルリ村に押しかけてきて今は俺より代官っぽくふるまってる、って、アーヴィン、お前まさか知らなかったのか?」
「……」
無言のままがくりと肩を落としたあたり、どうやら本当に知らなかったらしい。
しかしまあ、人を脅すようなことを言っておいて詰めが甘いというかなんというか。
そういえば、初めて会った時もどこか抜けた奴だという印象だったから、当然の帰結のような気もするが。
「とういうことは、だ、現状俺が一方的にお前の弱みを握った形になるわけだが、どうするんだ、アーヴィン?」
成り行き上そう言ってみたとはいえ、欲しくもない人の弱みを握ったところで、迷惑するのはこっちの方だ。
適当にメシでもおごってもらってチャラにするか、と思い始めた時、俯きっぱなしだったアーヴィンの顔がゆっくりと持ち上がった。
「……一度、一度だけ、どんなことでも助力する、ってことで黙っていてほしいさね」
「い、いや、別にそこまで大仰に考える必要はないぞ?ちょっとその辺で飯でもおごってもらえれば十分だから」
「いや、一度出した条件を引っ込めるほど俺もチャラけた男になったつもりはないさね。……それに、この先タケトにはこれ位の反則技の一つくらい有った方がいいと思うさね」
「おいそりゃどういう――」
「そうと決まれば、これを持っといてくれ」
俺の話も聞かずに軽くいなしたアーヴィンがいつの間にかに差し出したのは、どこぞの王宮への招待状張りの、赤い蝋に花押が押された一通の封筒だった。
「そいつを冒険者ギルドに出してくれれば、どこからでも必ず俺のところに届くようになってるさね。さすがに到着はしたけど手遅れだったじゃ後味悪いから、俺の元に届く日数を計算に入れてその封筒を出してほしいさね」
「……おいおい、いくら何でも、『どんなことでも』ってのは言いすぎじゃないか?それじゃまるで、俺がグノワルド王国を敵に回すことになったとしても、俺の方に付くって言ってるようなものだぞ?」
「そう言ってるつもりだが?」
短い付き合いだが、不気味なほど真面目な様子で話すアーヴィンの異様な空気を変えるために一番わかりやすい冗談を言ったつもりだったが、ものの見事に失敗した。
気まずい空気が一瞬流れたが、それを破ったのもいつもの軽薄な雰囲気を取り戻したアーヴィンの方だった。
「あはは、冗談さね。タケトがそういう種類の無茶な頼みをしてこないことくらい、ちゃんとわかってその封筒を渡したつもりさね。これでもSランク冒険者だから、ドラゴンが近くに出て困ってる!とかいう時にでも頼ってくれればいいさね」
「……竜を召喚できる奴が竜退治か。マッチポンプにもほどがあるだろ」
その俺の言葉を了承と受け取ったのか、アーヴィンは満足そうな表情をにじませながら立ち上がった。
「おいおい、まだイエスと言ったつもりはないぞ」
「いや、あんたは嫌なことはきっぱりと否定するタイプさね。でもそうさね……ついでにわかりやすい利益の一つくらい提供しといたほうが、俺の気も休まるってもんさね」
そう言ったアーヴィンの表情がまた変わった。
いつものおちゃらけた風でも先ほどの不気味とも言える雰囲気でもない、以前見たSランク冒険者らしい戦士の顔だ。
「気を付けるさねタケト。あんたのことだ、どんな状況でも大抵のことは切り抜けられるだろうが、大きなうねりの只中に放り込まれたとしたら、さすがにその限りじゃないだろう。いや、そんな時でもタケトなら案外無傷で生き残るかもしれないが、あんたの仲間までそこまでの強さを持っているわけじゃあるまい」
「何の話を……!?」
「あんたの話さタケト、俺がその封筒を預けるに足ると思った、あんたの話しかしていない。ここはあんたのホームグラウンドでもなけりゃ、あんたの代わりに目や耳の役割をしてくれる仲間もいない。ちいっとばかし楽な旅をしてきたせいか、平和ボケが過ぎるんじゃないのか?」
「俺は……」
「ああ、別にあんたを責めるつもりはないさね。俺の見たところ、平和ボケしたこのゲルガンダールで違和感を感じている奴は、ドワーフを含めて誰もいないみたいだしな。ただ――」
タケトならもしかしたら、ってちょっと期待してただけさね。
そうアーヴィンは言ってドアへと向かって行った。
「……頼んだ茶を待たなくていいのか?」
喫茶店を出ていくアーヴィンに対して何とか絞り出した俺の言葉だったが、気遣い無用とばかりに手を振ったっきり、奴は出ていった。
コトリ
「今日の紅茶でございます」
そこへ絶妙なタイミングで俺の前に置かれたティーカップは、一つだけだった。
持ってきた店主を振り返ってみてみても、もう一つカップを用意していた様子はない。
アーヴィンばかりか喫茶店の店主にまで見透かされたような態度を取られた俺は、半ば放心状態のまま出されたカップに口を付けた。
その後、鎮静効果があったらしい紅茶をゆっくりと喫した俺は(紅茶代を支払おうとしたら「前払いで頂いております」とものの見事に拒否された。アーヴィンの謎がまた一つ増えた瞬間だった)、一切寄り道もせずにグラファスの工房へと戻った。
「ん、戻ったかタケト」
折よくリリーシャも今戻ってきたところという感じで、俺が頼んだ品を改めて広げている最中だった。
「リリーシャ、話がある」
「なに?ちょうど私からも話したいことがあったところだが――」
「ならそっちから話してくれ。俺の方は長くなりそうだからな」
「そうか、わかった。……実はあの後、竜人族の方から私に話しかけてきたのだ」
「……一応確認なんだがな、竜人族ってのは他種族に無関心じゃなかったのか?」
衝撃を受けつつも、まずは話を聞くのが先だと思いつつ、俺はそう返した。
「私も今日まではその認識でいた。それどころか、彼らは俗世間に関わることを良しとせず、普通のドラゴンと違ってほとんど一生を自分のナワバリのみで過ごすと聞いている。だからこそ、彼に話しかけられたときの私の心は雷を浴びたかのような衝撃を受けたぞ」
「彼?二人ともじゃないのか?」
「いや、動揺していた最中だったので断言はできないが、たしか青っぽい髪の方だけだったと思う。赤い髪の方からは一言も声を聞いていないはずだ。それがどうかしたのか?」
「いや、ただ気になっただけだ。それで、どんなことを聞かれたんだ?」
「聞かれたのは、最初から最後までただ一人のことだった。タケト、お前のことだ」
「俺?俺のことだって?」
なんだ?アーヴィンの知り合いだから興味を持たれたのか?
「それで、リリーシャはなんて答えたんだ?」
「ありのままを。もっとも、タケトとは出会って間もないからな、不思議な魔法を使う手練れということ以外は大したことは言っていないが」
その言葉を聞いて、少なからず驚いた。
竜人族が俺に興味を持ったことではない。俺が驚いたのはリリーシャの方だ。
「お前ならもうちょっとはぐらかすか、適当に嘘を混ぜるとばかり思っていたがな。少なくとも正直に話すとは思わなかった」
「確かに、いつもの私ならそうしただろう。諜報に携わる者として、手の内を明かさないことは必須条件の一つだからな。だが、何事にも例外が存在するということだ」
「竜人族がそうだと?」
「タケトも薄々察してはいるだろうが、奴らに偽りを述べるということがどれだけの危険を伴うか。竜人族の恐ろしさをわずかでも知っている者なら、誰もが私と同じ行動をとるだろうな」
凄腕の暗殺者であるリリーシャにそこまで言わせるのだ、竜人族というものがこの大陸でいかに規格外の存在かわかろうというものだ。
たった一目見ただけの俺ですら、できる限り敵には回したくないと思わされたのだから。
「で、話を聞かれてそれからどうしたんだ?」
「どうもしない。それで終わりだ」
「終わりって……」
「向こうが話を切り上げてきたのだから仕方あるまい。それに、今考えてもこっちから聞き返すことのできない雰囲気だった。話の最中も終わった後も、奴らの表情にはわずかな変化も見て取れなかったから、どういう思惑があったのかもわからん」
「……そうか。いや、よく教えてくれたな」
「少なくとも、この旅の間は私もラキアと同じ立場だからな、これくらいの協力はするさ。それで、そっちの用件とはいったいなんだ?」
コルリ村を出発したころには決して見せてこなかった、リリーシャのしおらしい態度に少しジーンと来ていたのだが、あいにく今の俺にそれをかみしめる余裕は、精神的にも時間的にも無かった。
「リリーシャは、このゲルガンダールには以前にも何度か来たことがあるんだよな」
「ああ、私が傘下に入っていたクキ氏族の命で足を運んで、情報収集にあたっていた」
「ということは、今回もその時の情報網を頼っていろいろ探っている、そう考えていいんだよな?」
「その通りだ。先に言っておくが、どういう伝手かを話すつもりはないぞ」
「安心しろ。こっちも聞くつもりはない。その代わりといったらなんだが、大至急調べてほしいことがある」
「……一応聞いてやる」
「調べてほしいのはただ一点、現時点でゲルガンダールに外部からの侵攻の恐れがあるかどうかだ」
意外にも、俺の言葉にリリーシャは驚かなかった。
俺の話を聞く前に察知していたのか、それとも暗殺一族を率いてきた経験が動揺させなかったのか、無表情を貫いているその顔からは分からなかったが。
「……ずいぶんと難しいお願いだ。当然、時間的余裕などというものは無いのだろう?」
「ことと次第によっちゃ、生きるか死ぬかの瀬戸際になるかもしれんからな、結果が分かるのは早ければ早い方がいい。……ちょっと待ってろ」
そう言ってリリーシャの元から離れた俺は、自分の荷物のところまで行き、背負い籠からズシリと重い袋から金貨十枚を取り出し、リリーシャに手渡した。
「足りるかどうかは分からんが、探索の足しにしてくれ」
「ほう、ただの朴念仁かと思っていたが、ずいぶんと気遣いができるじゃないか」
「本の知識だよ。お前のように身についた経験ってわけじゃないから、相場なんてわからん」
実際には枕詞に「元の世界の」とつくところだが、さすがに割愛した。
「いや、これだけあればとりあえずは十分だ。もちろん、余分にかかった経費は後で請求するがな」
「それはもちろん。だが、あまり無駄遣いはしてくれるなよ?所詮俺は、小さな村の一代官に過ぎないんだからな」
「フフフ、そうだったな。どうも、こうしてマスタースミスの工房でお前と話をしていると、そのことを忘れてしまう。まあ任せておけ、少なくとも事が起こる前には知らせを持ってきてやる」
そう、これまで見せたことがない、楽し気な声で笑いながらリリーシャは部屋を去っていった。
とりあえず、彼女が広げっぱなしにしていった荷物を片付けながら、俺はアーヴィンの助言の意味を一人考え続けることにした。
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