第82話 旅支度を始めた
「はあぁ!?大樹界へ旅ぃ?三日後から?しかもいつ帰ってくるかわからんやて!?アホか!冗談も大概にしいや!!」
開口一番、俺にまくしたてたセリカ。
いや、怒鳴りつけたと言った方が正しいか。
ドンケスから提案を受けたその日のうちに、急遽集会所に集まってもらった主だったメンバーも、俺の話に対して一様に困惑の表情を見せていた。
「いや、さすがにコルリ村が雪で閉ざされて孤立する、冬までには帰ってくるさ」
「で、でもタケト様、これからみんな一丸となって、冬の食糧の確保に精を出そうってえいう時だべさ。それなのに……」
そう言ったのは、コルリ村の住人のまとめ役のマーシュ。
「これからは魔物への警戒だけでなく、有事に備えて村の若者を中心とした軍事訓練も考えていた矢先ですからな。そのトップが不在というのはどうも……」
続けて、警備隊長のニールセン。
「私の方では直接の問題はないのですが……ただ、常日頃から子供達にはタケト様のおかげで孤児院で暮らせていると言ってあるものですから、やはりそのタケト様が不在となると不安に思う子も出てくるかもしれません」
孤児院の院長であるシルフィさん。
「お二人に比べたら小さな問題かもしれませんが、竹――僕の研究はタケトさんの協力あってのものですから、急にいなくなられると……」
村唯一の薬師で、最近は一年後を見据えた後方支援部隊構想の手伝いもしてくれているセリオ。
ちなみに、竹ポーション研究のことをあえてぼかしたのは、シルフィさんという神樹教の司祭に知られることへのリスクを考えて、しばらくは秘密のまま様子を見ようと話し合ってのことだ。
「そうですよ!もしタケト様が不在の間に、シューデルガンドから監察官が抜き打ちで来たらどう言い訳すればいいんですか!?」
こちらは自称代官代行というかわいそうな役目に就かされているライド。(犯人の一人は俺)
「難民の移住計画の観点から言わせていただきますと、実際に中心的役割を担っていますのはお嬢とライドの二人です。しかしコルリ村においては未だ新参者、やはり村の方々に協力を仰ぐにもタケト様の承認あってこそ潤滑に事が運びますので、ここで一時的にもタケト様に抜けられると各方面で支障をきたす恐れがあります」
セリカの補佐の立場で、俺が不在となることで生じるデメリットを述べるシルバさん。
さらに、いつもなら真っ先に食って掛かってきそうな俺の後ろに控えているラキアが、なぜか余裕の表情を見せながら無言でいるのも、肩越しにちらりと見た時に気になった。
うーん……
予想通りの反応ではあるが、予想以上の反対に遭ったというのが正直なところだ。
誰か一人くらいは肯定的な、とまでは言わずとも、俺が居なくても特に問題はないと言うかと思ったんだがな。
だが、すでに俺の心は決まっている。
そもそも俺がこの第十七回タケダ会議を招集した理由は、旅の是非について相談したわけではなく、すでに決定した俺の予定を報告したかっただけだ。
厳密に言えば、タケダ騎士爵領復興計画の中には俺無しでは成立しない分野もあるにはあるが、本格的な始動は来年の雪解けを待ってからとなっている。
冬の間に目途を付けてコルリ村に帰ってくればいいだけの話なのだ。
さしあたって、目の前の面々に迷惑をかけるほどの問題は特に見つからなかったので言ってみたんだが……どうも当てが外れたな。
帰ってくる期限は伝えたことだし、最悪の場合は無断で出発するか、と俺が内心覚悟を決め始めた時、俺の隣で沈黙を守り続けていた、いつもは出席すらしない人物が声を張り上げた。
「情けない!貴様ら、それでもタケトに忠誠を誓った身か!」
ドワーフらしい重低音を利かせた大音量でその場の全員を一喝するドンケス。
「黙って聞いておれば、どやつも主無しには己の責務すら全うできぬと甘えたことを抜かしおって、それでよく従者だの臣下だの言えたものだ!貴様らは主に仕えておるのか、それとも主の足を引っ張りたいだけなのか、今ここではっきりせい!」
普段は口数の少ないドンケスの剣幕に、集会所の中は重苦しい静寂に包まれた。
……だがドンケスよ、ある意味で今回の騒動の首謀者というべき男からだけは、主の旅を認めろなんて言われたくなかったと思うぞ。
「タケト、貴様も貴様だ!いつまでも主の風格が出てこんのが悪い!少しは言動に気を遣え!」
俺の心の声でも聴いたのか、とんだとばっちりがやってきた。
どうせ元の世界でも人望があるとはお世辞にも言えなかったよ、と首をすくめながら考えていると、一人の男が沈黙を破った。
「……なるほど、どうやら私はいつの間にかタケト殿に寄り掛かりすぎていたらしい。これでは弟子失格と言われても致し方ないですな」
「そうですね。タケトさんが不在の時こそ親代わりの私がしっかりしないといけませんね」
口火を切って反省の弁を述べるニールセンに続いたのはシルフィさんだ。
「そうだべな。もともと百姓仕事だけならタケト様が来る前はオラ達だけでやってきたんだ。タケト様が帰ってきた時に自立したところを見てもらわないと申し訳が立たないだよ」
「僕もそうです。研究は本来孤独で単調なもの、それがついつい楽な方へ流されてしまっていました」
マーシュとセリオもそれに続く。
「そ、それは確かにそうやけど、精神的支柱がおるのとおらんのとでは、作業の効率性がまるで違うんや。それは損得で物を見る商人のウチやからこそ人一倍知っとるつもりや」
さすがにドンケスの言葉が重く響いた様子のセリカだが、それでも自分の考えまで曲げるつもりはないようだ。
だが、これを聞いたドンケスが果たしてどんな怒鳴り声をあげるか、と身構えていた俺だったが、意外にも隣のドワーフは静かな語り口でセリカに問いかけた。
「確かにそれも一理ある。主あっての臣下、臣下あっての主、それ自体は否定はせん。ならば娘よ、一つ問おう」
「なんやオッサン」
オッサン呼ばわりはよせセリカ!!
俺の耳と脳が確かなら、目の前のドワーフは生きる伝説らしいから!!
お前の人を食ったようないつもの態度が通用する相手じゃないから!!
俺はドンケスの近くに立てかけてある、布で覆われた細長い物体――白銀の大戦斧を見ながら、気が気じゃなかった。
「娘よ、聞けば貴様は何千人もの部下を使う大商人の一族らしいな」
「そうや。泣く子も黙るルキノ商会や」
いや違うぞセリカ、泣く子も黙るのはむしろお前の相手の方だ――なんて茶々を入れられる雰囲気ではないので、心の中だけで突っ込みを入れておいた。
「商人ならば当然、己の目の届かない場所で働く部下などそれこそ無数にいるのであろう」
「そうや、……いい加減回りくどい話はヤメにして本題に入れや!」
「貴様には、その中に一人として信頼できる部下はいないのか?」
「っ!?」
その瞬間、俺が今までの人生で会った中で、最も口が達者な人間であるセリカが思わず言葉をなくしたのがはっきりと分かった。
「娘よ、貴様なら部下を信じる主の心情はよくわかっているだろう。ならばその逆、主の期待と信頼に応える部下の身になった今、貴様はそれにどう向き合い、どう応える?」
ドンケスの吶々とした言葉に、セリカは俯いたまま答えない。
その代わりに自分の胸に問いかけ続けているのは端から見てもよく分かった。
やがて、キッと顔を上げたセリカのキラキラと輝く両の目に一つの決意が見て取れた。
「……一つ約束してくれるかオッサン」
「言ってみろ」
「アンタとタケトの旅の行き先はあの大樹界や。亜人のアンタはともかく、人族のタケトにとってある意味戦争に行くよりも過酷な旅になるやろ。だから頼む、無事タケトを連れて帰ってくれ」
「ワシの名に懸けて誓おう」
こうしてコルリ村の面々に旅の許可をもらった俺は、部屋の隅で自分の出番がないまま決着してしまってなんとも言えない寂しい顔をしているライドにわずかばかりの同情心を感じた後、改めて厳しい旅程に対する覚悟を決めるのだった。
旅の予定が正式に決まったとはいえ、さすがに人に任せっきりで完全放置まではできない性分だったので、簡単な指示書でも作ろうと思い立ち、セリカから紙束とペンを借りて一旦自宅へ戻ってきた。
「ところで主殿よ、主殿が旅に出ている間、我の茶は誰が淹れてくれるのであろうか?」
扉を開けて開口一番、もはや本当の意味で居候になりつつある黒曜が挨拶もなしにそう聞いてきた。
「いや、自分で淹れろよ。重力制御でどうとでもできるだろ?」
「我が?冗談がうまいな主殿、我がそんな些事を覚えると思うのか?」
「知らねえよ。ていうかその些事にこだわってるのはお前の方だろうが」
これに対して何度か注意してみたものの、僅かの改善も見られなかったことで俺は、今では黒曜のペースに合わせるように唐突な出現と話題に付き合うようにしていた。
「時に主殿よ、今日もまた
「俺の爺ちゃんも大概時代がかった言い回しが好きだったけど、さすがに実際に童とか言う奴は初めて見たよ。――どうせ村の子供だろ。近くに魔物もいないんなら好きにさせておけ」
これまでにもこういうことは何度かあった。
まあ、川向うにポツンと一軒だけある俺の自宅兼工房が秘密基地みたいに見えるのだろう。
だが、明かり取りの窓が高い場所にあるおかげで少なくとも子供の身長では中を覗き見ることはできないので、黒曜の存在を含めた諸々の秘密を見られる心配はなかった。
だから今回、小さな気配がジャンプして窓に飛びつき、ばっちりパンダと会話しているところを見られたのは完全に俺の油断だった。
「誰だ!?」
「キャッ!?」
俺の
すぐにそばにあった竹材を掴んで表に飛び出した俺は、涙目でお尻をさすっている、見覚えのある犬(?)っぽい耳を持った獣人の少女を発見した。
「うぅ、いたい……」
「お前は、リリィか?」
「あ、たけとさま、こんにちは。あの、きょうは、おねがいがあって、きました」
「うん、なんだ?言ってみな」
俺を見た途端、すぐに立ち上がって小さな体を精いっぱい伸ばしたリリィにいきなり叱りつけることはできず、まずは話を聞いてみるかと思い直した。
「リリィ、じゃなくて、わたしをたけとさまのじゅうしゃにしてください!」
とりあえずリリィを家の中に入れて竹座布団を敷いた囲炉裏の目に座らせ、熱くないように適度に冷ましたお茶とセリカからもらったハチミツで作ったタケノコのハチミツ漬けを用意した。
――あれこれ準備したのは俺が考えを整理する時間が欲しかったのもある。
決してリリィが可愛いからおもてなししたわけじゃないからな。
ロリコンじゃないからな!
「さてリリィ、先にちょっと聞きたいことがあるんだがいいかな?」
「はい。あ、でもちょっとまって」
何かを思い出したようにそう言ったリリィは、その場でペコリとお辞儀をした。
「タケトさま、こくようさま、ほんじつはおまねきいただきありがとうございます!」
「あ、はい、これはどうもご丁寧に――って、リリィ?今黒曜って言わなかったか?」
「うん、いったよ?だってこくようさまはこくようさまでしょ?」
あまりにドンピシャな答えと純真無垢なリリィの瞳に俺は即座に白旗を上げた。
「その通りだ、よくわかったな」
「えへへ、すごいまりょくだからすぐにわかっちゃった。それにちょっとちがうけどえほんでみたこくようさまといっしょだったから。りりぃごさいだからちゃんとおぼえてたよ!」
『……主殿、この娘、どうやらずば抜けた魔力感知の力があるようだぞ。それに、さすがにここまで近づかれては我の結界も万全ではない。だが並の魔導士に気づかれるほどやわな代物でもない。どうやらこの娘、大魔導師級の才能がありそうだ』
重力制御で俺だけに声を届けてきたらしい黒曜に、できる限り驚きを表に出さないようにしながら無言で頷く。
っていうか、今リリィは自分のことを五歳だって言わなかったか?
背の高さから言ってその倍の年だとてっきり思ってたが……
『知らないのか主殿?獣人は例外なく早熟なのだ。生まれて五年ならむしろこの娘は生育が遅れている方だ』
俺の驚きを察したのかそう言ってきた黒曜。
……なるほどね、体の大きさにしてはリリィの口調が若干幼い理由はそれだったか。
数日後には彼らのテリトリーに足を踏み入れるかもしれない身だからありがたい情報でもある。
『それより主殿、これはチャンスだぞ。この娘を従者にしてしまえば娘の願いはかなうし、我の世話係も出来て、これぞ主殿の言うウィンウィンの関係ではないか!』
パンダがウィンウィンとか言うなよ、マジでパンダの名前っぽいじゃねえか。
それに世話係って、飼育員か高齢者介護か!?
いや、どっちも合ってるな……
「けっぷ、あーおいしかった。あ、じゃ、じゃなくて、じゅうしゃになりにきたのにわすれちゃってた、ど、どうしよう……」
タケノコのハチミツ漬けを食べ終えて満足げな顔から一転、はわはわ言い出したかと思った次の瞬間には途方に暮れて落ち込んだリリィ。
………………この状況で断るという鬼が居たら教えてほしいくらいだな。
「リリィ、話はよく分かった。だけどな、俺のところに来る前に、従者になりたいって相談しなきゃいけなかった人がいるんじゃないのか?」
「え?えーっと……そうだ!わすれてた!」
……仕方がない、そろそろあの人にも色々と隠し続けるのは心苦しいと思っていたところだ。
旅に出ることが決まった今、そういう意味でもカミングアウトするにはいいタイミングかもしれんな。
俺はその人の天使のような顔を思い出しながら、どう話を切り出したものかと頭をひねり始めた。
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