第62話 幕間~黄金~


 グノワルド王国の南部に位置するとある中規模の街、その中でも屈指の取引額を誇るとある商人が所有する店舗の中では、いつもとは違う喧騒で溢れていた。


「旦那様、これは持って行かなくてよろしいのですか?」


「そんなものはどうでもいい!いいからサッサと荷物を纏めろ!」


 早朝から、いつもと違う何かに急き立てられているような店舗の主の指示によって、金庫室の中の資産が次々と鋼鉄で覆われた馬車の中に運ばれていく。

 これまで一度としてなかった異変に従業員たちは首を傾げつつも、商取引に使うと主に言われてはそれ以上質問することもできずに、矢継ぎ早に飛んでくる指示に唯々諾々と従っていた。


 そんな作業も、街が活気づいてくる時間になる頃には終わりを迎え、あとは主が馬車に乗り込むだけとなった。


(……さすがに自分でも気でも触れたのかと疑いたくもなるが、長年商人としてヤバい取引にも動じることのなかった私のカンが、すぐに街を離れろと警告している。早く、早くしなければ。……いや、ありえん、ありえんはずだ、あの程度の裏切りでヤツがやってくるなど……しかし、私が張り巡らせていた情報網から導き出された答えは一つしかない。だが、ここで下手に動けばそれこそ相手の思う壺なのでは……)


「旦那様、旦那様?」


「ひ、ひゃああっ!?」


 思考の渦に陥っていた主にとって、店舗の支配人からのただの呼びかけですら、驚きの声を上げるには十分すぎた。


「どうかされましたか旦那様?お体が優れないようでしたら出発を遅らせましょうか?」


「い、いや、すぐに発つ。大事な取引だからな、相手を待たせたくないのだ」


 慌てて部屋を出る主には、一様に疑いの目を向ける従業員の存在など、もはや眼中になかった。


(ふん、何も知らない馬鹿どもが。すでにこの店は商品ごと他の商会に売り払っている。明日には職を失うとも知らずに呑気な奴らだ。くそっ、急いで処分した分、大分足元を見られたのが未だに癪に障る。……だが、何事も命あっての物種だ。とにかく、今日中に帝国領に入って痕跡を抹消しなければ……)


 従業員たちが後ろからついてくるのを耳に感じながら店舗の表へ向かう主。

 店舗の顔とも言える重厚な両開きの扉の前まで来た主は、すでに見捨てられたとはつゆほども思っていない背後に従っている従業員たちに声を掛けた。


「では出かけてくる。後は頼むぞ」






「いいや、あんたの逃げ場はもうどこにもねえよ」






 どの従業員のものでもない、しかし確固たる迫力を持った声で話しかけられたことで振り返った店舗の主。その視界から、店内に十数人いたはずの従業員が一人残らず消えていた。


 代りにそこにいたのは、この店舗の本来の主よりも主らしく、威風堂々と玄関の中央で仁王立ちで立つ、煌びやかなオーラを纏い黄金の棒を右肩に担いだ一人の男だった。


「よう、会うのは初めてだな。だが、俺様のことも、あんたに会いに来た用件も十分わかってるよな?」


「……し、知らん、貴様のことなど私は何も知らん!それよりも早くここから私を出せ!私は急いでいるんだ!」


「おいおい、商人ならもうちっとごまかし続けられねえのか?ここから出せなんて、まるで俺様の結界でここが封鎖されているかのようなセリフじゃねえか。まあ、その通りなんだけどな」


「そ、それは――くそ、開け、開けえええぇぇぇっ!」


 目の前にある玄関扉の取っ手を引っ張るも、今やびくともしなくなった事実にさらに動揺するこの建物の主の醜態を見て、男は鼻で嗤った。


「俺様の話を聞いてなかったのか?それともその程度の悪あがきで俺様の結界を破れるとでも思ったのか?まったく、この程度の奴に取引を持ち掛けるなんて、あいつらの目は節穴かってんだ」


 黄金の男の後半の愚痴のような独り言で、主は確信した。

 自分が行った、彼ら魔族への背信行為がバレているのだと。


「バカな、ありえん!あの程度の、たかが数品が荷の中から消えただけだぞ!そんな些細な誤差のような問題で、なぜきさ、あなたのような大物が出てくるのだ!?」


 自分の死期を悟ったかのような、店舗の主の断末魔に似た問いだったが、黄金の男は意外にも感心したようにニヤリと笑みを浮かべた。


「そうそう、あんたを始末する前にその辺の疑問を解消しておいてやろう。殺すと決めた相手はその理由を納得させてから殺す、それが俺の流儀なんでな」


「お、教えてもらおうじゃないか……!」


 ようやく駆け引きができる状況になったと思いつつ、店舗の主は男の話を聞くふりをしながら、眼球を目まぐるしく動かし始めた。

 どう見ても悪だくみを考えてるじゃねえか、と内心苦笑しながら男は話を始めた。


「まあ、あんたも気づいていたとは思うが、あんたとの取引は魔族軍としてではなく、ごく私的な目的で行われたものだったのさ。俺様個人の取引と言い換えてもいい」


「なっ!?」


 黄金の男から意外な真相を聞いたことで、生き残りを懸けた思考を店舗の主は中断せざるを得なかった。

 なぜなら、取引で要求された品は、成人した男性に見える黄金の男が利用するものとはとても思えないようなものばかりだったからだ。


「こっちは万が一にもミスが無いように、仲介業者に取引相手を厳選させたつもりだったんだがな……やっぱり俺様には、こういうちまちました仕事は向いてなかったってことなんだろうな。おかげで仲介業者ごとあんたを消さなきゃいけなくなった」


「……!?」


 今度は声こそあげなかったが、最悪の形で自分の予想が当たっていたことに店舗の主は驚いた。

 これまで一度も不義理をしたことのなかった一人の知り合いが、数日前に忽然と姿を消したと知らせがあったことを思い出したのだ。

 家族にも教えていないその知り合いとの極秘の取引は、本業の売り上げが馬鹿らしくなるほどの利益を上げていたため、身の危険を察知した店舗の主は全てを捨てて逃げようとしていたのだ。


「だから、あんたの逃げ足の早さには感心したぜ。家族は旅行という名目で家を捨てさせて、ほとぼりが冷めたころに帝国領で合流しようとしたあんたの逃亡計画は、たった数日で立てたにしては見事なもんだったよ。唯一この取引を知っている、あんたの長男を追うのが面倒になるところだった」


「――貴様!?まさかアンドレを!?」


「――まあ、これから死ぬあんたには関係ないことだな。んじゃ、覚悟はできたか?」


 キイイイィィィィィィン


 軽薄な表情から一転、戦士の顔を見せた男の持つ金色の棒が鋭い光を放ち始めた。


「くっ、私がただ貴様が話すのを黙って聞いていたとでも思ったか!?魔族を取引をする以上、私の城というべきこの場所にはそれなりの準備がしてあるのだよ!!」


 そう叫んだ店舗の主が、懐に隠していたナイフを取り出して左手の親指を傷つけると、血が溢れ出している親指を近くの柱に押し付けた。

 次の瞬間、玄関中に幾何学模様の赤い光が走ったかと思うと、中央に立っていた黄金の男の体に引き寄せられるように集束して全身にまとわりついた。


「へえ、こいつは……」


「はははっ!さすがの貴様も帝国軍が開発した最新式の捕縛結界には手も足も出まい!何しろ大型の竜を、最低でも一週間は完全に魔力の放出を抑えつつ捕らえておけるとの触れ込みだ!私を襲うのなら外に出てからにするのだったな!」


「そりゃまた大層な代物を引っ張り出して来たな」


「知り合いから無理やり押し付けられたあげく、大金を払わされた時ははらわたが煮えくり返るほど悔しい思いをしたが、まさかこんな形で役に立つとはな!この建物には他にも仕掛けはあったが、貴様ほどの人物を殺せばどんな面倒ごとに巻き込まれるか想像もできん。結界が解けるまでの間、冷静で適切な選択ができた私に感謝してもらおうか!ハハハハハハ!」


 己の勝利を確信して大笑しながら再び扉に手を掛けた主。

 だが、さほど力をかけなくとも簡単に開くはずの大きな扉は、未だに微動だにしない。


「おかしいな、帝国軍の結界でこの場は上書きされて、奴の結界は無力化されているはずだが?」


「……ちっ、まさかここまでバカだったとは。魔族軍の諜報力も地に落ちたもんだぜ」


 ぎくりとした店舗の主が振り返るが、男は依然結界に囚われたままだった。


 いや、一つだけ違った。

 男を拘束していた結界の光が赤から黄金へとその色を変えていたのだ。


「俺様を止めたきゃ、最低でもこの十倍の数の結界を用意しておけよ。それでもお前が逃げられる時間なんざ与えねえけどな」


 パキイイイィィィン


 その言葉と共に、黄金色に変化した幾何学模様は霧散し、男は再び輝きだした棒を手に、店舗の主に向かって一歩を踏み出した。


「バ、バカな、ヒイイイィ!?」


「せっかくだから冥土の土産に教えておいてやる。俺様が最も得意とする魔法は結界魔法なんだよ。このことを知ってる奴は魔族軍でも限られてるから、お前が知らなくても無理はねえんだけどな。逆に言えば、お前は能なしどころか運にも見放されてたんだよ――ってもう聞いちゃいねえか、ついでに根性もないと来たか」


 最早正気を失って悲鳴を上げることしかできない店舗の主に向かって、黄金の男は輝きが最高潮に到達した自らの得物を振りかぶり、目標目がけて冷徹に叩きつけた。


「じゃあな、根性無し野郎」






 グノワルド王国南部。


 近年失陥した北部や、魔族の領域に領地を接している西部や東部と違い、他勢力の脅威にさらされることのないこの地は温暖な気候にも恵まれたこともあって農業が盛んで、グノワルドの食糧庫と呼ばれていた。

 さらに、農作物関連の商取引に限っては、グノワルドの商業の中心である東部のシューデルガンドを超える規模を誇り、南部の庶民の暮らしの豊かさは他の王家直轄領、東西の大公領と比べても群を抜いていた。


「しっかし、何の疑いもかけられずに魔族の俺様が買い物ができるっていうのは、さすがに気が緩み過ぎじゃねえか?まあ、こっちとしては楽ができてありがたいんだがな」


 一仕事終えた後、黄金の男の姿は街の中心にある大きな公園のベンチの上にあった。

 傍らには陶器の器に入った黄色い生菓子、とある異世界で言うところの、プリン十個入りの買い物袋が置いてあった。


「にしても、しまりのねえ顔の奴らばっかりだな。これで俺様たちと戦争してる国の民って言うんだから、驚くしかねえな」


 昼下がりの公園には大勢の通行人や思い思いの場所で休む者などがあちらこちらにいたが、物騒極まりない黄金の男の独り言は誰の耳にも届いている様子はなかった。

 それだけではない、男が座る広い遊歩道に面したベンチの周囲には、見えない壁があるかのように誰一人近づこうとはせず、円を描くように空白が生まれていた。


「でも、この味が魔族には出せねえんだよな。なんでか同じ材料を集めても同じ美味さにならねえから、俺様直々にこんな遠い所まで出向かんといかんのだが。……いっそ料理人を攫っちまうかな」


 男は小さいスプーンでちまちまプリンをすくって食べながらそんな独り言をブツブツ呟いていたが、不意に顔を上げて中空を見つめると、これまでと違ってまるで誰かに話しかけるように独り言を言い始めた。


「――ああ、野暮用は終わった。――もちろん頼まれてたものもきっちり買ってきた。お前から何度も言われてたから、ちゃんと早目に行ってちゃんと行列にも並んできたんだぜ?そんなこと言う前に俺に感謝の一言があっても――わかったわかった!だからその話はよせ!ったく、こっちがちょっとでも言い返せば二言目にはそれだ」


 これまで以上に奇行に走る男だったが、声を抑えることも誰に憚ることも一切なく、幻覚を見ているかのような独り言をやめることはなかった。


「とにかく残りの用事を済ませたら帰る。――いや確かに出かける前には言ってなかったが、――しょうがねえだろ、さすがの俺様も銀の奴があんなにあっさりくたばるなんて予想外だったんだ。最低でも人族側の反応を見てからじゃねえと、こんな田舎くんだりまで来た意味がねえ。――心配しなくても、プリンは結界で保存してあるから味が落ちることはねえよ」


 時期的には暑さのピークは過ぎたとはいえまだ日差しの強い真昼の公園だったが、男の傍らの袋は太陽の光とは別の黄金の輝きを微かに纏っていた。


「――あとどれくらいかかるかって?そうだな……東の方で銀の奴の残党が一戦やらかすらしいからそれを見物して、それからこの間、ガザムのところからいなくなった《黒》がいそうなところを見回ってくるから……まあ一か月ってところか」


 一か月という言葉が出た瞬間、男は急に顔を顰めると両耳を塞ぎながらベンチから立ち上がった。

 仮にその様子を男の存在に気づいていない周囲の通行人が見ていたら、衆目の中で演劇の稽古を披露している度胸のある奴かと思ったかもしれない。

 あるいは気の毒な人間と思ってあえて見ないふりもした可能性もある。


「だから大声で怒鳴るなって何度も言ってるだろうが!!ただでさえあんたの魔力は桁違いなんだから、伝声魔法に込める魔力の加減を間違えたらとんでもない音量になるんだよ!!他のザコどもなら倍はかかるところをこの俺様だから一か月で済むんだぜ?もうちょっとそこらへんのありがたみとかいたわりとかはないのかよ!?」


 そんな反論もなんのその、男にだけ聞こえる声の勢いは変わらないらしく、両耳を塞いだ腕が下がることはなかった。


「なら三週間!全速力で移動して一週間縮めるのが限界だ!これで納得しろ、いやしてくれ!――聞こえない、あんたが何を言っているのか全く聞こえない!とにかくそういうことだから、じゃあな!」


 最後は無理やり終わらせる形で、一人芝居のような会話劇を終わらせた男。

 その体は変わることなく黄金のオーラを放ち続けてこそいたが、もし今の男の姿を見られる者がいたなら、心身ともに疲れ果てた落人の様に見えたことだろう。


 やがて、ここにいても何も始まらないと思ったのか、男は空になったプリンの容器を無造作に袋に突っ込むとベンチから立ち上がった。


 今も結界の力が働いているのか、進行方向にいる通行人全てが男の周囲を避けるように動いている中を、男は進んでいく。

 そんな違和感しかない光景に慣れている男は、周りのことなど一切気にすることなく独り言に没頭していた。


「まったくよ、一体誰のために面倒事を引き受けてると思ってやがるんだ、それもこれも銀の奴が死んじまうのが悪い!奴が魔王になればあいつも晴れて引退できると思って散々フォローやったのに、全部台無しだぜ。とりあえず銀の残党の中に有望株がいればいいんだがな、それが駄目ならこいつの残存魔力を辿って、元の持ち主を突き止めるしかねえか……」


 歩み自体は緩やかなのに常人の三倍の速度で移動する男の右の手のひらでは、T字になるように細い棒に薄い板が取り付けられた、奇妙な木の細工がもてあそばれていた。


「まったく、大魔王様の一の子分ってのは長くやるもんじゃねえな」

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