第80話 記憶にあるぬくもり

 昼前に薄の別邸に到着した。


「ここが私たちの別邸になります」

「別邸……」


 帰省したときは必ず使っている場所に案内した。

 昔はわからなかったが、今は親父の気持ちがよくわかる。

 本邸はダメだ。

 あそこはいろいろと思いだしてしまう。


「はい。本邸はあの山の上にあるのですが、伍赤家に入らない限り、あの山を登ることは禁制なので」

「なるほど……」


 彼女、金雀枝さんに本心八割、建前二割の理由を告げると、そうですかと残念そうにつぶやかれる。

 いや、行けなくはないだろうが、この時期に行っても多分雪しかないぞ。


「まぁまぁまぁ。お坊ちゃん、おかえりなさいませ」

「ただいま」


 俺が本邸について話していたら、建物の中から音を聞きつけたのだろう、お手伝いさんが出てくる。彼女は師節先輩の又従妹で、花嫁修業と称してうちに押しつけられている十六歳。

 平日はここから近くの高校に通っていて、週末だけはここにいる。結構できる子で、俺がいないときの定期連絡もきちんとしてくれる。


「この方は……」

「ああ、客人だ。二泊三日で双刀の基本的な部分を教えてくれと流氷さんから頼まれて」

「なるほどぉ~あの方ではございませんのね」


 金雀枝さんを預かったいきさつを説明すると、興味津々に彼女を見て頷く。


「あの方?」

「一松の先代首領ですよ。総花先輩を誑かしたっていう」

「誑かしたって」


 ひどい言い草だな。

 というか、どっからそんな情報が出てきたんだ。


「だって、事実・・でしょう? 私はあの人は好きではありません」


 その言葉に背後でピクリと動く気配がした。

 金雀枝さんを怖がらせてしまったようだ。


「こら。そんなしょうもないことを言っているよりも早く準備をしてきなさい」

「はいはぁい」


 これ以上客人を怖がらせないように、彼女、椿さんを追っ払う。


「すまなかった」


 彼女が家の中に入っていった後、金雀枝さんに謝ると、大丈夫ですよと返される。


「いえ……その人のこと、嫌いですか」

「そんなことはない。むしろ……いや、なんでもない。なんでそんなことを聞くんだ?」


 彼女は上目遣いでおそるおそるそう尋ねてくる。

 どう答えようか迷ったけれど、この場で正直に言うことは怖かった。だからあえてはぐらかしたのだけど、それは悪手だっただろうか。


「なんでもありません。ただ」

「ただ?」

「その人のことが羨ましくて」


 彼女の口調、表情、どちらからも本当に羨ましそうな感情が含まれていた。


「そうか」


 そうだな。

 俺は多分、いや絶対にアイツ以上に好きだと思える人は出てこないだろう。結局は親父と同じ運命をたどることになるだろう。


 親友に好きだった人をとられた親父に、運命に好きな人をとられた俺と。


 もうこれでいいような気がしてしまった。

 でも、もう少しだけ悪あがきをしたい。俺はそんな感傷を表には出さずにとりあえず、さっそく練習するかと金雀枝さんに声をかける。

 俺の感情に気づいていない彼女は嬉しそうにはいと頷く。






「……えっと、それは練習着なのか?」

「そうですが?」


 いや、どんな格好であっても自分にとって動きやすい服装ならばいいんだけれど、さすがにこれではと思ってしまった。


 なぜなら、練習着に着替えてくるように言ったら、これが練習着ですよ?と首を傾げるのだよ。

 そう。ゴシックロリータ服を指してね。


「……――わかった。いや、いい。それで行こうか」

「はい」


 彼女はなにがいけないんだろうと首を傾げていたが、俺はこれ以上なにも言わなかった。

 同じ武芸百家だって戦うスタイルはいろいろあるんだし、動きにくいと感じれば別のタイプの服を持ってきているはずだから、それに着替える……だろう。


 しかし、彼女は意外と運動しているようで、飲みこみは早かった。


「打ちあうときは片方の手が疎かになる。だから、その脇を狙われやすい」


 女性用の短い双刀を持たせて、ひたすら打ちこむ練習をしていたのだけれど、安定した動きで、下手な分家の端くれよりもうまいのではないかと思えるくらいだった。


「こちらから攻めてきたのならば、こうやって防ぐ」

 基本的な技術だけだと流氷さんには言ったものの、その飲みこみの良さに応用技術もいれることにした。彼女も途中で弱音を吐くかと思ったが、まったく吐かないので少しだけこちらも悪戯をすることにした。


「足元も集中!」


 彼女は手元だけに集中していない。だから、がら空きになっている足元に暗器を投げてやると、盛大に転んだ。

 それでも彼女は一切、泣くことはなかった。


「疲れたか」

「……はい、ちょっとだけ」


 お昼を挟んで五時間ぐらいぶっ通しで遊んで・・・いたら、もう夕暮れに近かった。


「休むぞ」

「でき、ますよ?」


 俺に倒されてしゃがみこんでいる彼女はもっと続けらそうな顔だったが、俺の方が持たない。


「休むぞ」


 さあ行こうか。

 俺が手を差しのべると今朝皆藤邸を出るときに見せたようなぐらいの、嬉しそうな顔をして、しっかりとつかんできた。

 どこかで感じたことのある手のぬくもりだった。

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