君知る他知る己知る

第43話 些細な夢、大きな夢

 それから二か月、ある意味貴重な、平和な時間を過ごした。二月末の学年末試験の後、櫻自身が言っていた通り、アイツは臨時会とやらのために夢野へ帰っていった。

 そもそも年度末は会計業務がほとんどであり、ほとんどそれも終わっている今、生徒会で俺ができる業務も少なく保健室に入り浸っていたのだが……今日はなぜかそこに理事長もいる。茜さんは俺と理事長の居座りにはた迷惑そうな顔をしながらも、追いだすことはしない。


「今回の臨時会って、なにがあったんですか」


 最近は理事長業務以外のことで忙しいらしく、あまり学園に顔を見せなかった理事長にずばりと聞いてみると、知らなかったのかと呆れ顔をされた。


「一松と紫条、近郷こんごう影木えいきはともに節目を迎える。そのための準備だ」

「節目?」


 武芸百家で節目というのは何だろうか。まだ首領交代の時期でもないし、ほかに祭祀なんてなかったはずだと思ったけれど、きちんと説明してくれるようだ。


「ああ。一松と紫条は今年で開基三百五十年、近郷と影木は二百年を迎える。式典自体は秋だが、今から準備できることをしておかねば、間に合うものも間に合わなくなるだろう?」


 そう言う理事長の顔はいたずらっ子のようだ。

 俺たちの両親世代なはずなのに、どうも憎めない。




「ちなみに伍赤も来年迎えることになる。だから、お前さんも式典があることを忘れぬようにな」




 ……――まじか。まあなにごともなけりゃ首領交代するのは再来年。だから櫻と比べれば責任は重くはないはず、だ。


「はい」


 でも、責任があることには変わらない。俺はきちんとそれに向きあうことになるだろう。


「ところで、理事長」

「なんだ」


 とはいえ、まだちょっと未来の話だ。今は今のことをしっかりしようと思って、ある頼みごとをすることにした。


「できればお力添えいただきたいことがありまして」


 そう言って、こそっと茜さんにも聞かせないように理事長の耳元で囁く。俺の頼みごととその内容に理事長は驚いていた。


「面白そうだな。しかし、なぜおまえが彼女を許容するのか」


 まあ、そうだろうと思った。多分、去年の夏過ぎ、あの直後だったら、俺はこんなことを考えもしなかっただろう。


「許してはいません。ですが、アイツと俺、二人だけの生徒会というのもそろそろ限界ですし、適当な人材がいないのもまた事実です」

「だからといって、彼女・・が適しているとも限らんぞ」


 ときどき一般科の生徒たちとも話したりするけれど、彼らを入れるのは多分、櫻が嫌がる。武芸科の人間で性格的、能力的に生徒会に入れてもよさそうなのはほとんどいない。それに……


「きっと大丈夫でしょう。彼女なら、多分いろいろと変えてくれるでしょう」


 なんとなくだけれど、そんな気がする。俺と櫻に敵対心を持っているのなら、十分だ。その資格は十分にある。


「そうか。そこまでお前が言うのなら、一回試してみてもいいな」

「ありがとうございます」

「ただし、彼女がなにか問題起こした場合、伍赤にも責任をとってもらうからな」


 理事長の言葉はもちろんだと思う。だから、彼女には……――――


「わかりました」


 俺は殊勝に頭を下げた。せめてもの俺なりの反乱だ。









 三日後の夜遅く、俺は櫻に呼びだされた。

 寮の屋上にいた櫻は、まだ旅装だった。どうやら先ほど帰ってきたばかりのようだった。屋上のベンチに座って夜空を見ているのはほんの少し絵になるような気がした。


「おかえり、櫻」

「ただいま」


 何気ない挨拶なのに、懐かしくなるのはなんでだろうか。


「理事長から聞いたんだけれど、式典、大変そうだな」

「そうだね。でも、一生に一回しか巡ってこないから、貴重な経験だと思ってる」


 理事長に聞いたというと、そうだったんだと笑顔になる。しかし、そうだな。武芸百家の定年は五十歳。だから、櫻みたいなイレギュラー以外は、二十年首領を務めればいいところし、定年を過ぎた人間は式典に参加しないという不文律があるので、そういった意味でもこの式典は貴重になる。


「そうか」

「伍赤家も来年なんだよね?」

「ああ。まだ俺は首領としてこのときを迎えることができるから、お前よりは楽なのかもしれないな」

「ふふ。ソウらしい」


 ありのままに言うと、櫻が笑う。そうか、俺らしいか。


「そうか?」

「うん。でも、ときどき思っちゃうんだよぇ」


 急にしんみりとした口調になる。どうしたんだろうと思って櫻を見ると、星空を見上げている。


「……え?」

「もし、両親が生きてたら、私は今どうしていたんだろうかなって」

「というと?」


 俺にはその意味がすぐに理解できなかった。


「多分これから、あと一年もしたら、私たちは殺しあいを始めていた。それを考えると、それが早まっただけだったのか、それとも私は私じゃなかったのか、どちらなんだろうってね」


 夜空を見ながらそう語る櫻の表情はない。でも、なんとなく理解はできた。いわゆるイフの話か。でも、残念ながら俺にはその答えは持ちあわせていない。俺はお前と違って、決まっていたからな。だから、相槌を打つだけにとどめた。


「そういうことか」

「だから、今ってかなり貴重だよね」

「ああ」





 そう言ったっきりしばらくの間、静寂がそこには落ちていた。


「ねぇ」

「なんだ?」


 静寂を破った櫻を見ると、今度はこちらをしっかりと見ていた。


「もう一つ、観覧車とは別にソウにお願いしたいことがあるんだけれど」

「……なんだ? 俺でいいなら言ってみろ」


 俺で叶えられることは叶えてやろうなんていう、気障キザなことは言えないけれど、それでも叶えられるもんなら、俺はその手助けをしてやるまでだ。


霊幽山れいゆうざんからの星空をソウと一緒に見てみたい」


 その願いには固まるしかなかった。

 霊幽山は日本百霊峰の一つ。

 薄の中でも最も高い山で、伍赤の本邸がある。

 そこは一般人でも登山ができないうえ、ほかの武芸百家の人間も立ち入り禁止となっている。


「……――お前なぁ」


 叶わない夢。

 あのときの遊園地での夢とは違う。


「だよね。忘れてくれていいから」


 あっけらかんと笑う櫻。

 それに申し訳ない気分にもなったけれど、それを叶える術を俺は持てない。


 正確にいうと一つだけ、たった一個だけ可能性はあるが、それを櫻に言うつもりもないし、言ったところで責任をとれない。


 だから、言わないことにした。


「じゃあ、もう夜も遅いし寝よっか」


 櫻がなにを考えているのか分からなかったけれど、立ちあがる。


「付きあわせてごめんね」

「いや、いい」


 これくらいお安い御用だ。

 いつでも付きあってやるさ、櫻。

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