第569話 静かな怒り
ネロと別れ、黒いフードを被り直した浩一は、足音を立てないようにゆっくりと通路を進む。
誰もいない通路を注意しながら真っ直ぐ進み、その先の曲がり角を曲がると屋敷の一階へと続く階段があった。
「……マズいな」
角から顔だけ出して先を見たところで、浩一は顔をしかめる。
そこは外へと続く吹き抜けのホールとなっており、複数の男たちが思い思いの姿勢でくつろいでいるのが見えた。
男たちはこの日のために雇われたのか、豪奢な屋敷に似つかわしくない見るからにガラの悪い者たちだった。
お見合いパーティーが開かれている地下に行くには、言うまでもなく階下へと下りなければならないし、見取り図によると一階へ下りる階段はここ以外にはない。
二階の窓から外に出て一階へ下りるということもできるが、だとしても地下への階段は、男たちがいるホールを抜けなければならなかった。
「三……四……五………………全部で六人か」
男たちの実力は未知数だが、一人で全員と戦うとなると勝てる見込みはほぼないだろうと浩一は考えていた。
「でも、僕一人でやらなきゃ……」
活路があるとすれば、自分の腰のベルトのポーチに入っている道具類だ。
記憶がないので殆どの道具がどのような効果があるのかわからないが、それでも浩一は一つだけ、一目でそれが何であるかわかるものがあった。
「ネロさんはわかっていなかったようだけど……」
浩一は赤い粉が入った小瓶を取り出すと、瓶の腹に小さく書かれた文字をそっとなぞる。
そこには「注意」と漢字で書いてあった。
それはつまり、この瓶の中には人に危害を加えるものが入っているということだ。
瓶の蓋を外してそっと鼻を近づけてみると、
「うっ……」
中から刺激的な臭いがして、浩一は慌てて瓶の蓋を閉じる。
「なるほど……これは注意が必要だ」
相手に危害を加える意味では勿論だが、瓶の扱いを誤ってポーチの中で割れるようなことがあれば、自分に多大な被害が出る恐れがある。
「もしかしてこれって……自分に向けてのメッセージだったりして」
そんなことを思いながら、浩一は赤い粉の入った小瓶をそっとポーチに戻す。
赤い粉が入った小瓶は全部で三つ、いざという時にすぐに取り出せるように、手で何度もシミュレートしながらどうしようかと考えていると、
「お、おい、大変だ!」
入口の扉が乱暴に開き、慌てた様子の男が入って来る。
顔中に玉のような汗をかき、肩で大きく息をしている男は、外を指差しながら中の男たちに向かって叫ぶ。
「グリード様の息子が……ラドロの野郎が帰ってきた!」
「はぁ? 何言ってんだ」
汗だくの男の言葉に、中で酒を飲んでくつろいでいた赤ら顔の男が呆れたように話す。
「ラドロのクソ野郎なら、ずっと家にいるだろうが」
「そう思ったんだけどよ……今、門の外でラドロの野郎が暴れているんだ」
「暴れて? あの優男が?」
「何言ってんだ。あいつの何処が優男だよ!」
外から来た男は、ズカズカと大股で歩いて近くの男の腕を取ると、強く引っ張って立たせる。
「いいから早く来い! このままだと表の連中が皆、奴に殺されちまう」
「……ったく、冗談は休み休み言えよな」
赤ら顔の男はのっそりと立ち上がって欠伸を一つすると、怠惰な姿勢でいる男たちに声をかける。
「……めんどくせぇが、ここでヘマしたらグリードの旦那に殺されちまうからな。金の分は仕事すんぞ」
その言葉に、中にいた男たちが「うぃ~」とか「あい~」とかやる気のない声を上げながら緩慢な動きで立ち上がる。
「こ、これは……」
ダラダラと外に出る男たちを見て、浩一は心の中でガッツポーズをする。
まさかここに来て本物のラドロが現れるとは思わなかったが、彼の登場のお蔭で状況は大きく動きそうだった。
後は男たちがいなくなるまでここで待機して、誰もいなくなったところで悠々と地下へ行けばいい。
そう思いながら浩一は、そっと身を隠して男たちが立ち去るのを待つ。
だが、
「おい、そういえば外のラドロが本物だとしたら、中にいるラドロは誰なんだ?」
「――っ!?」
その一言に、浩一は背筋が凍りつくのを自覚する。
誰だが知らないが、余計なことを言うんじゃない。そう思いながらお願いだから立ち去ってくれと浩一は目を閉じて願う。
「おい、そんなのはどうでもいいだろう。今は緊急事態なんだよ!」
再び立ち止まった男たちを前に、外から来た男が慌てたように捲し立てる。
「実はラドロだけじゃない。何だか妙な女と獣が一緒なんだよ。そいつらがまた滅茶苦茶強いんだ」
「チッ、わかったよ」
必死の説得に赤ら顔の男は大きく嘆息すると、二階の踊り場で酒盛りをしていた二人に話しかける。
「お前たち二人でラドロ部屋を見て来い」
「おい!」
「お前は黙ってろ!」
外から来た男を赤ら顔の男は一括して黙らせると、二階で佇む二人に命令する。
「万が一、二階のラドロが偽物で、俺たちの裏をかこうとしてたらことだ。部屋に行って本物かどうか確認してこい」
「……もし、そいつが偽物だったら?」
「簡単な話だ」
赤ら顔の男は表情を引き締めると、ハッキリと一言だけ告げる。
「殺せ。生かしておく理由など一つもない」
「フッ……」
「りょ~かい」
赤ら顔の男からの命令に、二人の男たちは外ではなくラドロの部屋に向けて歩き出す。
「――っ、マズイ!」
男たちが動き出したのを見て、浩一は腰を上げて背後を振り返る。
このまま何処かの部屋に隠れれば、奴等をやり過ごして地下へ行けるかもしれない。
だが、そうなればラドロの部屋にいるミーファとネロに危害が及んでしまう。
それを止めるためにも、何としてでもあの二人をこの通路上で殺す必要があった。
「……やるしかないのか」
自分が恐怖で震えていることに気付いた浩一は、腰に吊るされたナイフに手を当てながら、どうやって男たちを殺すべきかを必死に考える。
一先ず、身を隠すために近くの部屋に隠れた浩一は、扉に耳を当てて男たちの様子を伺う。「なあ、そういや地下の女の子たちの話、聞いたか?」
すると、廊下を歩く男たちの声が聞こえてくる。
「何でも今回は、獣人の女の子がいたらしいじゃないか」
「みたいだな。ああ、一度でいいから獣人の女の子とやってみたかったぜ」
「何だよ。お前、そっちもイケる口かよ」
「……別にいだろ?」
浩一が扉の先に隠れていることなど露にも思っていない男たちは、呑気な声で会話を続ける。
「聞いた話だとその獣人の子、めちゃめちゃ可愛いって話じゃないか」
「可愛いって……まだ子供みたいだぞ?」
「だからいいんじゃないか」
男は「ククク……」と肩を震わせながら、下卑た笑みを浮かべる。
「嫌がる獣人の子を無理矢理犯すなんて最高じゃないか。特に、獣人とは子供ができ辛いって話だから、中で出し放題だぜ」
「ああ、そうか……避妊を考えないでいいなら、獣人も悪くないな」
「だろ?」
そう言って男たちは、声を揃えて笑い出す。
その会話を、扉越しに聞いていた浩一は、
「…………」
静かにナイフを握り直すと、音もなく動きはじめる。
その顔は怒りからなのか、一切の感情が消えていた。
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