第567話 自信はなくとも

「――っ!? 今のは……」


 T字路を左に進んだソラは、背後から聞こえてきた声に反応して後ろを振り返る。


「……どうしたの?」


 突然立ち止まったソラを見て、アイシャも足を止めて彼女に尋ねる。


「もしかして、あっち側の通路で何かあったの?」

「…………はい」


 ソラは沈痛な面持ちで頷くと、僅かに聞こえた情報を元にアイシ話す。


「定かではありませんが、悲鳴と……獣の鳴き声が聞こえました。おそらく犬か何かが現れたのだと思われます」

「犬? それぐらいだったら、怖くなんかないんじゃないの?」

「とんでもないです」


 ソラはふるふると首を横に振りながら、犬の恐ろしさについて話す。


「ご存知だと思いますが、犬だって立派な狩猟動物です。それに、人に飼われて調教された犬はとても賢く、効率的に襲いかかって来ますから、並の冒険者よりも厄介と言われています」

「そ、それじゃあ、向こうに逃げた子たちは……」

「…………飼い主が、手心を加えてくれていることを願いましょう」


 ソラの耳には既に最初の一人目の断末魔の叫び声が聞こえていたが、かといって助けにいけるはずもなかった。


「――っ!?」


 再び聞こえてきた必死に助けを呼ぶ声を振り払うようにかぶりを強く振ったソラは、アイシャの手を取っていを決したように話す。


「アイシャさん、行きましょう! 一刻も早くここを出て姉さんに……コーイチさんに助けを求めましょう」

「ええ、絶対に生き延びるわよ!」

「はい!」


 ソラは手を伸ばしてアイシャの手を取ると、反対側の通路から聞こえてくる悲鳴から逃げるように駆け出す。



「…………………………見捨ててしまって、ごめんなさい」


 逃げることしかできないソラは、アイシャにも聞こえないような懺悔の言葉を口にすると、せめて苦しまずに死んでくださいと願いながら必死に足を動かした。




 一方、ミーファにソラを救うと約束して部屋を飛び出した浩一は、廊下に敷かれた真っ赤な絨毯の上を駆けながら、酒場から連れて来られた女の子たちを探していた。


 といっても、普段は万が一にも自分がラドロの偽物であることがバレないようにと、ラドロの私室から出ないようにしていたので、屋敷内の地理には明るくなかった。


 故に、浩一にできることは、一つ一つの部屋を虱潰しにして調べてまわることだけだった。



「…………ここにもいない」


 豪華な調度品の数々が並べられた部屋の中を見て、誰もいないことを確認した浩一は、音を立てないようにそっと扉を閉める。


「おかしい……こんなことってあるのか?」


 これで二桁に近い部屋の中を覗いた浩一であったが、ここに来て彼はある違和感を覚えていた。


 それは、これだけ大きな屋敷なのにも拘わらず、部屋の主はおろか、使用人の一人にも出会わないことだ。


 ラドロの私室まで食事を運んできてくれる使用人の姿を見たことはあるので、屋敷内に自分たち以外に誰もいない、なんてことはないのは確かなのだが、どうしてか今日は誰の姿も見ない。



 こうなるといよいよ今日、屋敷の何処かで行われているというお見合いパーティーの存在が怪しくなってくる。


 そもそもそんなパーティーが開かれているのなら、もう少し屋敷内が賑わっていても良いと思うのだが、パーティーの設営のために忙しなく動く者もいなければ、場を盛り上げるための陽気な音楽の一つも聞こえない。


「……一体これは何なんだこれは」

「何だ、とは何ですか?」

「――っ!?」


 突如として背後から聞こえた声に、浩一は心臓が口から飛び出してしまうかと思うほど驚くが、それでも声を上げることなく素早く振り返る。


「どうしました? 今日はもう、部屋から出ないようにと言っておいたでしょう?」


 そこにいたのは、いつもと変わらない黒服のスーツに身を包んだネロだった。

 見知った顔の登場に、浩一は少しだけ安堵しながらネロへと話しかける。


「その、すみません。ちょっと野暮用ができまして」

「野暮用……ですか?」

「はい、ソラという人に会いに行くんです」


 これまで幾度となく世話になったネロに嘘を吐くことが憚れた浩一は、正直に彼女に事情を話す。


「ミーファと約束したんです。彼女のお姉さんを迎えに行って、二人を合わせてあげるって」

「……記憶が戻ったのですか?」

「いえ、それはまだです。でも、どうやらソラって子もまた、記憶を失う前の僕にとって大切な人だったそうです……だから」

「失うわけにはいかない?」

「そう仰るということは、お見合いパーティーというのはやはり危険なものなんですね?」

「…………」


 浩一が表情を険しいものに変えるのを見て、ネロは「しまった」という風に顔をしかめる。


 その変化を見逃さなかった浩一は、ネロに詰め寄るように問いかける。


「ネロさん、そのお見合いパーティーは何処で開かれているのですか? どうして屋敷の中に誰もいないのですか?」

「…………」



 その問いかけに、ネロは暫く浩一の顔を無言で見つめていたが、彼の表情から本気であると察したのか、挑むように静かに問いかける。


「…………あなた、死にますよ?」

「そ、それは……嫌です」


 ネロの脅しに、浩一は素直に気持ちを吐露しながらも、臆することなく彼女の目を見て決意を話す。


「ですが、ソラという子を見殺しにしたら、僕はきっとこの先ずっと後悔すると思ったんです。それに、このままではミーファに合わせる顔がないです」

「そう……ですか」


 浩一の決意を聞いたネロは、手を伸ばして彼の頬に手を当ててゆっくりと撫でる。


 その行為に一体何の意味があるのかわからないが、浩一は黙ってネロのされるがままにする。



 時間にしておよそ三十秒、浩一の頬を撫でたネロはゆっくりと手を離すと、振り返って歩き出す。


「付いてきなさい」

「……えっ?」

「ソラという少女を助けに行くのでしょう? 途中まで案内してあげますよ」

「あ、ありがとうございます」


 浩一は頭を深々と下げて礼を言うと、音もなく歩きはじめたネロの背を追いかけるように歩き出した。

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