第560話 暗がりに佇む者

「お前……」


 名乗り出たアイシャを見て、シドは呆然と立ち尽くす。


 周囲からの視線を受けたアイシャは、腰に手を当てて堂々と歩いてネロの前に立つと、彼女の耳元で小さく囁く。


「別に店の踊り子がパーティーに参加しちゃいけないってことはないよね?」

「ああ、好きにするがいい……だが、後悔するなよ?」

「ということは、やはりそういう趣向の集まりなの?」

「さて、私からは何とも」


 肩を竦めてシニカルな笑みを浮かべるのを確認したアイシャは、呆然と佇むソラに向かってウインクをすると、今度はシドにだけ聞こえる声で囁く。


「シド、悪いけどこの後一つ、使いを頼まれてくれない?」

「……何だ?」

「実はね?」


 そう前置きしてアイシャは、シドにある頼みごとをした。




 ソラたちを見送り、その日の二人分の給料を受け取ったシドは、そのままの足でとある場所を目指していた。


「はっ……はっ…………」


 皆が寝静まったルストの街のスラム街を、風を切り裂きながらシドが駆ける。


 街灯なんて便利なものはなく、夜の灯りも、用意できる人が極端に少ないスラム街は不気味なほど暗く、虫の息遣いが聞こえるのではと思うほど静まり返っていたが、シドはそんな暗闇の中を迷いなく駆ける。



 シドは今、スラム街の奥にあるアイシャの家を目指していた。

 その理由は、アイシャの家に隠れているラドロに会いに行くためだった。



 あれからグリードのお見合いパーティーについて調べると言っていたラドロであったが、彼が約束を守るとシドは考えていない。


 だが、グリードの本物の息子である彼の首根っこを掴んで奴の屋敷に乗り込めば、シドも屋敷の中に入れるのと思っていた。


 後はロキとうどんと一緒に乗り込んで、なにもかも滅茶苦茶にしてやろうと思っていた。


「待っててくれ……コーイチ、ミーファ」


 今日の浩一の様子は明らかにおかしかった。

 それはきっと、ミーファを人質に取られ、連中の言うことを無理矢理聞かされているからに違いない。


 そう考えると、一刻も早く浩一を……大切な相棒を自由にしてやりたい。


 そうしてソラとミーファと一緒に、家族みんなで仲良くひとつ屋根の下で寝て、互いの無事を喜び合おう。

 そんな思いを抱えながら、シドはアイシャの家を目指していた。



 すると、


「…………ん?」


 ソラの視界の前方、数十メートル先に、誰かが佇んでいるのが見えた。

 まるで誰かを待ち受けているように佇んでいる人影だが、これが昼間であれば特に気にすることなくシドは通り過ぎただろう。


 だが、今は夜の深い時間で、ただの人間では一メートル先も見通せないほどの暗がりが広がっている。

 そんな状況でこんなところにいる理由なんて、考えたところで碌なものが思いつかない。


「…………」


 シドは駆けながらどうしたものかと考える。


 小柄な人影の様子から相手は子供……もしくは女性で、猫背となっていて姿勢はよくなく、肉付きも華奢といって差し支えないほど細い。

 例え襲いかかられても簡単に殴り飛ばせるだろうが、それで相手が死んでしまっては目覚めも悪い。


 それに、本当にたまたまここにいるだけで、何もしてこない可能性だってある。


 だからここは、相手の出方を見て決めよう。何をどうされても、自分の方が先に反応して動けるはずだ。

 シドはそう結論付けると、速度を落とすことなく人影の横を通り抜けることにする。



 相手の様子を伺いながら駆け、人影からもシドの姿が視認できるくらいの距離に達したその時、


「……ちゃん! ジェシカちゃん!」


 遠くの方から聞いたことのある声が聞こえ、シドの頭の上の耳がピクリと反応する。


「何処にいったの? この辺は危ないから早く出てきておくれ!」

「あの馬鹿……」


 自分の立場をわきまえていない様子のラドロの声に、シドは思わず舌打ちをする。


 浩一がラドロとして振る舞っている以上、ここに本物の彼がいることがわかれば、グリードの元にいる彼に危険が及ぶ可能性がある。

 それに、ラドロ自身があちこちで恨みを買っているということを考えると、この機に乗じて積年の恨みを晴らそうという輩が現れても不思議ではない。


 調度のシドの目的はラドロと合流することなので、彼女は声のした方を確かめようと少しは知る速度を落として聞く方に集中しようとする。



 だが、そこは偶然にもシドが注意していた人影のすぐ傍でもあった。


「…………ウガッ」


 次の瞬間、暗闇の中で幽鬼のように佇んでいた人影が唸り声を上げたかと思うと、


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!」


 大きな叫び声を上げながら、立ち止まったシドへと襲いかかってきた。



「なっ!?」


 突然の事態に驚きながらも、シドは流石の反応を見せて突進してきた人影をひらりと躱す。


 シドに攻撃を避けられた人影は、勢いそのままに近くに積んであった木箱の山に突っ込んだかと思うと、派手な音を立てて山の向こうに消える。


「な、何なんだ一体……」


 いきなり襲われたかと思ったら勝手に自爆した人影を見て、シドは訳がわからず困惑した表情を浮かべる。



 果たしてこのまま放っておいていいものかと思っていると、


「シ、シドちゃん!?」


 カンテラを手にした慌てた様子のラドロが現れ、シドを見て驚愕の表情を浮かべる。


「今、凄い音がしたけどまさかシドちゃんが?」

「あたしじゃねぇよ。そこにいた変な奴が勝手に突っ込んできて、勝手に自滅しただけだ」

「変な奴……」


 シドが指差す方向を見たラドロは、真剣な表情を浮かべて崩れた木箱の山へと駆け寄ると、次々と木箱を退けていく。


「お、おい……」

「シドちゃんも手伝ってくれ……人の命がかかっているんだ」

「えっ? ああ、もう!」


 こんなことをしている場合じゃないのに。そう思うシドであったが、人の命がかかっていると言われては逆らうわけにはいかず、ラドロと一緒に木箱の山を片付けていった。

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