第534話 せめて話だけでも

 地面に尻を着いたままの俺に、いつの間にか現れたオルテアさんが苦笑を浮かべながら手を差し伸べてくる。


「大丈夫ですか? 何処か、怪我はありませんか?」

「あっ、大丈夫です。ありがとうございます」


 差し出された手を取ると、オルテアさんは難なく俺を引き起こし、舐めるように下から体を見て首肯する。


「問題ないようですね」

「ギリギリでしたけどね……それよりオルテアさん、いつの間にここに?」


 俺の見間違いでなければ、目を開ける直前まで、アラウンドサーチの索敵範囲内に、あの馬車以外の赤い光点は見当たらなかった。


 俺の質問に、オルテアさんは自分の背後にある行商用の馬車を見ながら話す。


「つい今しがたですよ。牧場に向かう途中だったのですが、あの馬車に煽られて肝を冷やしたところです」

「そう……ですか」


 ということはあの悪趣味な馬車の後ろ、そう遠くない距離にオルテアが乗る馬車がいたということだ。



 あの時は、高速で移動する馬車に気を取られていたので、その背後までに目がいかなかったというのもあるが、これは自分の思わぬ弱点を見つけてしまったかもしれない。


 確かにアラウンドサーチは俺の脳裏に浮かぶものではあるが、頭で処理できる量は決して多くはないので、無意識のうちに余計なものを排除してしまっていことは理解していた。

 だが、そんな甘い考えは捨てて、もっと多くの赤い光点を同時に処理できるようにならなければならないだろう。


 ハッキリとは覚えていないが、レド様にも見えないものに気を付けろ的なことを言われた気がするので、先ずは見えるものの量を増やすことに専念しよう。


「あの……どうしました? 私が現れたことがそんなに意外でしたか?」

「い、いえ、そんなことないですよ」


 いきなり考え込んでしまった俺を不審に思ってか、不思議そうな顔をするオルテアさんに、慌ててかぶりを振って否定する。


「すみません、実はオルテアさんが来ているのに気付かなくて……」

「ああ、大丈夫ですよ。誰だってあの馬車を見れば、気を取られてしまいますからね」


 俺が言った言葉に対して少し違う解釈をしたようだが、オルテアさんは特に気にした様子もなく続ける。


「それにしても、朝からあの馬車に出会うとは災難でしたね」

「あの馬車……有名なんですか?」

「はい、あの馬車はルストの街のさる貴族のものです。詳しくは知りませんが、持ち主はかなりの遊び人だそうで」

「はぁ……」


 確かにあんな派手な馬車に乗るぐらいだから、普通の感性の持ち主ではないと思われるが……なるほど、持ち主が遊び人と言われれば、何となくそれだけで納得できる。



 俺は頭の中で俗に言うパリピと呼ばれる人たちを思い浮かべながら、もう少し悪趣味な馬車について聞いてみる。


「あの馬車……ルストの街を目指しているんですかね?」

「それはそうでしょう。ようやく道が復旧したので、悪遊びした先から慌てて戻っている最中だと思われますよ」

「そう……ですか」


 全く……偶然とはいえ、嫌な情報を仕入れてしまった。


 ルストの街といえば、これから俺が向かう先でもある。

 さっきは冗談で次に出会ったら文句を言ってやろうと思ったが、こうなると、あの悪趣味な馬車の持ち主に迷惑をかけられる嫌な予感しかしない。


 そして、この手の悪い予感だけは絶対に当たる確信が俺にはあった。


 …………とりあえず、三姉妹の貞操だけは何としても守ろう。



 俺はまだ見ぬ馬車の持ち主に対して勝手に敵対心を抱きながら、オルテアさんに尋ねる。


「これから俺たち、あの馬車が向かうであろうルストの街を目指すのですが、その街って治安が悪かったりしますか?」

「ルストの街ですか? いいえ、そんなことありませんよ」


 俺の質問を、オルテアさんはあっさりと首を横に振って否定する。


「ルストは交通の要となっている街でして、この近辺では最も大きな街です。世界中からあらゆる人が集まる非常に活気溢れる街ですね」

「それは……凄いですね」

「はい、初めて訪れた人は、誰もが驚くそうです。ただ、やはり人が多く集まるということは、皆が善人とは限りませんから、そういった意味では治安の悪いところはあります」


 オルテアさんによると、ルストの街の自警団がかなりしっかりしており、街の中で下手に騒動を起こそうものなら、最悪は追放処分されて二度と街に入れなくなるそうなので、滅多なことがない限り俺の心配は杞憂に終わるだろうということだった。


「旅人も多い街ですから、わからないことがあれば自警団の方に尋ねるといいですよ。彼等は皆、いい人ばかりですから」

「わかりました。ありがとうございます」


 ついでにロキも泊まれるルストの街のお勧めの宿が書かれたメモを渡され、俺はオルテアさんに深々と頭を下げて礼を言う。


 オルテアさんの紹介であれば、この宿はきっと安心できるだろう。


 後は、どれくらいルストの街に逗留することになるかはわからないが、とっとと用事を済ませて次の目的地を目指すことにしようと思った。



 頂いたメモを大事に折りたたんで腰のポーチにしまっていると、まだ何かあるのか、オルテアさんが佇まいを正して俺のことを見る。


 何だろう、と思っていると、オルテアさんはいきなり俺に向かって頭を下げる。


「コーイチさん、この度は本当にすみませんでした」

「えっ、いきなりなんですか?」

「いや、本当はもっと早くに直接お会いして謝罪すべきだったのですが、コーイチさんの周りには、常にあの方たちがおりましたから……」

「ああ……」


 あの方というのは、シドたち三姉妹のことだろう。



 これまで何度かチャンスがあったはずなのに、オルテアさんはシドたちに会うことを頑なに拒んでいた。

 複雑な家庭の事情があることは重々承知しているが、俺はおせっかいと思いながらもオルテアさんに尋ねてみることにする。


「俺のことは気にしないで下さい。結果として、成長するいいきっかけになりましたから」

「そう言っていただけると助かります」

「いえいえ……それより、やっぱりシドたちには会わないのですか?」

「はい、今はその時ではありません。特にソラ様と、ミーファ様は微妙な年頃ですから……私のような者がいるとわかれば、それだけで負担になると思いますから」

「そんなこと……」


 ない。と言おうと思ったが、オルテアさんは諦念した表情を浮かべてゆっくりとかぶりを振る。

 きっとどれだけ言葉を尽くしても、オルテアさんの考えを変えることはできないだろう。



 オルテアさんの表情からそれを察した俺は、


「でしたら、俺の知る三姉妹の話をさせて下さい」


 せめてオルテアさんに三姉妹について知ってもらいたいと思った。


「俺が歩きながら一方的に話しますから、オルテアさんは聞いているだけでいいです。もし、嫌だったら途中で止めてもらって構いませんから……どうです?」

「…………フッ、わかりました」


 俺の提案に、オルテアさんは呆れたように吹き出しながらゆっくりと頷く。


「それでは黙って聞かせてもらうことにします。私の知らない、あの子たちの物語を……」

「はい、最初に俺がシドと出会ったのですはね……」


 そうして俺は、牧場に向けてゆっくりと歩を進めながら、三姉妹たちとどのように出会ったかをオルテアさんに話していった。

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