第456話 のろまなウサギ
「トントバーニィ?」
初めて聞く単語に、首を傾げたソラは、楽しそうに歌っているミーファたちを見ながらマーガレットにトントバーニィについて尋ねる。
「あの、マーガレットさん。トントバーニィってウサギ……の仲間なんですか?」
「うん、そう言われているわね」
「そう言われてるって……」
「実は、トントバーニィは歌の中に出てくるウサギで、皆が毛皮を夏用に着替えても、一匹だけ白いままいるというウサギのことよ」
そう言ったマーガレットは、トントバーニィが出てくる牧歌の一節を口ずさむ。
ドジでのろまなトントバーニィ
みんなが毛皮を着替えたのに、着替えの仕方を忘れてしまってさあ大変
緑の中に白一つ、その身が白けりゃ隠れない
ほら見て、はらぺこ狼たちが狙ってる
あわてて穴掘り隠れても、土ではお腹が満たされない
草木欲しさに顔出せば、たちまち狼やって来る
ああ、何と哀れなトントバーニィ
今日も土の中でお腹を空かせながら、真っ赤なお目目でめそめそめそめそ泣いている
「……な、何とも悲しい歌ですね」
「フフッ、そうね」
余りにも救われない歌詞の内容を聞いて軽く引いているソラに、マーガレットはクスクスと笑いながら話す。
「でもね、たった一匹だけの白いウサギさんは、かわいそうに思った周りの援助を受けて徐々に元気になり、最後には狼を撃退しちゃうのよ」
「ええっ!? む、無茶苦茶過ぎませんか?」
「……まあ、子供向けの歌だからね」
流石のマーガレットも、ウサギが狼を退治するという内容には無理があると思っているようだ。
「そして、そんなトントバーニィが土の中で最初に陽気なもぐらから貰うのが……」
「オリーブの実、ということですね」
「そういうこと。それに、もしヴォーパルラビットが相手だったら、あの子たちはきっと……」
それ以上は言葉にしたくないのか、マーガレットは眦を下げながらゆっくりとかぶりを振る。
「マーガレットさん……」
そんなマーガレットの心中を察したソラは、手を伸ばして彼女を励ますように手を握る。
「大丈夫ですよ。ニーナちゃんも、ミーファも元気ですよ。それはこれからも変わりません」
「ソラ……」
「私は何もできませんが、きっと姉さんとコーイチさんがどうにかしてくれますよ」
「……ええ、そうね」
ソラの笑顔を受けて、マーガレットの顔にも笑顔が戻る。
「ソラがそこまで信じる二人なら、私も信じてみることにするわ」
「はい、大船に乗った気でいてください。あの二人は特別ですから」
ソラはまるで自分のことのように、破顔してみせる。
本当は、その中に自分がいないことを寂しく思うソラであったが、今はまだその時ではない。
いつかきっと自分が尊敬するあの二人に追いついて、隣に並んでみせる。
(私だって、いつまでも守られてばかりというわけではないんだから)
密かな想いを抱きながら、ソラは今は自分にできることをしようと考える。
とりわけ今すべきことは……、
「さて、そろそろ収穫作業に戻りましょうか」
そう言ってソラは立ち上がると、手早く昼食の後片付けをしていく。
「さあ、ミーファとニーナの二人も、ここに来たのなら収穫作業を手伝ってね」
「うん、わかった」
「う~ん、本当は遊びたいけど……ミーファちゃんがやるなら仕方ないかな」
ソラの声にミーファは嬉々として、ニーナは渋々という風に立ち上がると、一緒に昼食の片づけを手伝いはじめる。
「あらあら、ニーナが仕事の手伝いをしてくれるなんて、どういう風の吹き回しかしら」
テキパキと動く娘を見ながら、マーガレットは嬉しそうに笑みを零した。
人数が倍になったことにより、畑での収穫作業は予定よりかなり早く終わった。
時刻は三時過ぎ、せっかく早く仕事が終わったのだから、家に戻ってお茶にしようというマーガレットの提案に満場一致で頷いた一同は、牧場へ向けて歩いていた。
「むふ~、ニーナちゃん、おやさいとるのたのしかったね」
「まあ、たまにはいいかもね……たまには」
土いじりが楽しくて堪らないといった様子のミーファに、農作業はあまり好きではないニーナは苦笑しながら応える。
「フフッ、今日は本当に助かっちゃったわね」
幼子たちのじゃれ合いを見ながら、マーガレットは収穫した野菜の入った籠を運んでくれているロキの背を優しく撫でる。
「あなたも、荷物持ってくれてありがとうね?」
「わふっ」
マーガレットの言葉に、ロキは「どういたしまして」と応えるように吠える。
「フフフ、凄いわね。まるで本当にお話しているみたい」
「まるで、じゃなくて本当みたいですよ」
マーガレットの反対側で、籠から野菜が落ちないように見ているソラが補足説明をする。
「コーイチさんが言うには、ロキは私たちが何を言っているのか、ちゃんと理解しているみたいです。相手の反応から何を言ったかを、かなりの精度で読み取っているそうです」
「そうなんだ。ロキ、偉いわね」
「わふぅ」
マーガレットの褒め言葉に「でしょ?」という風にロキは得意気に顎を上げながら鼻を鳴らす。
その様子はまるで褒められて偉そうに胸を張る人と同じで、マーガレットは堪らず破顔すると、ロキの背を優しく撫で続ける。
「……それにしても」
ロキに夢中になっているマーガレットを見ながら、ソラは気になっていたことを話す。
「ミーファたちが見たという、白いウサギは何だったのですかね?」
これからどんどん暑くなっていく陽気で、野生のウサギは疾うに夏用の毛皮に着替え終わっているのは、ソラも既に知っている。
「マーガレットさんは、この時期に白い毛皮のウサギは見たことありますか?」
「ないわ。ウサギ自体は珍しくないけど、だからこそ白いウサギがいれば、すぐに気付くでしょうね」
「……ですよね」
試しにソラはぐるりと周囲を見渡してみる。
だが、目に見えるのは一面に広がる緑の絨毯とだけで、人より優れた目を持っているソラの視力をもってしても、いくつかの獣の姿は見えても白い毛玉は見えない。
「……もしかして、ミーファたちが出会ったのは、本物のトントバーニィでしょうか?」
「だとしたら素敵ね」
ソラの問いに、マーガレットは周囲を見渡しながら歌うように話す。
「牧場に住んで十年以上経つけど、そんな歌になるような不思議な生き物と一度も出会ったことないから、是非ともお目にかかりたいわ」
「そう……ですね。私も見てみたいです」
マーガレットの呟きに同意するようにソラも頷く。
だが、そのミーファたちが見た白いウサギに、一向が振り回されることになるとは、この時は誰も予想できなかった。
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