第404話 怒れる女帝

 俺が出した案は、ネームタグを管理しているであろう人物を尋ね、その者にネームタグのシステムそのものを停止してもらおうというものだった。


 俺の意見を聞いたリムニ様は、善は急げということで、夜明けを待たずしてすぐさま行動に移すことになった。

 夜が明けて人々が動きはじめると色々と面倒なことになるので、ここからは時間との勝負だ。


 急いで地上へと昇り、ソラがいる診療所にミーファを預けて、代わりに泰三と合流して目的の場所へと辿り着いた時には、城壁の彼方に見える山の麓が少し白んできていた。


「ここか……」


 そうしてやって来た場所は、リムニ様の屋敷から数分の場所にある最後の管理者用のネームタグを持つ男、エスクロの屋敷だ。


 リムニ様の屋敷が、歴史と文化を尊重した白亜の宮殿を思わせるような荘厳な屋敷だとすれば、こちらはいかにも拝金主義の人間が造りましたと謂わんばかりの、見るだけで目が疲れるほど派手で、よくわからない装飾がふんだんにあしらわれた一言で言うと悪趣味な屋敷だった。

 真っ赤な壁面に、金色の屋根という発注した人間の感性を疑うような屋敷に辟易していると、


「……門番の無力化、完了しました」


 たった一人で屋敷の警備兵を排除してきた泰三が戻ってくる。

 こういう仕事も手慣れたものなのか、汗一つかいていない泰三は、リムニ様に恭しく一礼すると、隣に控えるクラベリナさんに向かって指示を仰ぐ。


「それで、これからどうしますか? 見たところ屋敷内にもそれなりの兵が配備されているようですよ」

「何、やることは決まっているさ」


 泰三の質問にクラベリナさんは不敵に笑ってみせると、立ち上がって屋敷の正門に向かって闊歩する。


 悠然と歩いて屋敷の入口となる大きな鉄の門扉の前に立ったクラベリナさんは、大きく足を振り上げたかと思うと、いきなり門扉を蹴り飛ばす。

 ガシャン、と派手な音を立てて鉄の門扉を易々と吹き飛ばしたクラベリナは、豊かな胸を張って大きく息を吸うと、


「さあ、恐れおののけ! お姉さんが来てやったぞ!」


 いつもの調子で、屋敷内に向かって演説を始める。


「悪に与する者どよ、命が惜しいのなら、今から一分だけ猶予をやるから、身に付けたネームタグを捨てて投降するがいい。そうすれば全身を砕く程度で命だけは助けてやる……だが、エスクロ。お前だけは絶対に許さないから首を洗って待っているがいい。ハッハッハ……」

「……無茶苦茶だな」


 最後に高笑いを響かせるクラベリナさんの演説を聞いていたシドが、呆れたようにこめかみ辺りを押さえて嘆息する。


 確かにあの口上では、降伏してもしなくても、どちらにしてもクラベリナさんにボコられるのは確定的である。

 しかも、今のクラベリナさんはネームタグを失っているので、屋敷内にいる者からすれば、いきなり現れたビキニアーマーの不審者に、ネームタグを処分しないと酷い目に遭わせると脅迫されて、大いに戸惑っているに違いない。


 だけど何故だろう……、


「他の人が言ったら笑われて終わりそうだけど、クラベリナさんが言うと、凄い様になっているんだよな」


 言っていることは滅茶苦茶で、到底承服できるものでないはずなのに、あれだけ堂々と私について来れば間違いないと態度で示されれば、思わず付いていきたくなってしまいたくなるのも頷ける。


「女帝気質とでも言えばいいのかな? あそこまで明確に言われると、思わず従いそうになっちゃうな」

「…………駄目だぞ」


 何か癇に障るのようなことを言ったのか、シドは俺の服の裾を引っ張りながら仏頂面になる。


「コーイチ、いいか? いくらあいつに誘われても、間違っても従うんじゃないぞ。お前は、あたしたちと一緒にいるんだ」

「えっ? あっ、うん。それは勿論だけど……」

「ならいい……」


 もしかしなくてもやきもちを焼いていたのか、耳まで赤くなったシドは、ぷいっ、とそっぽを向いてしまうが、それでも俺の服の裾を掴んだまま離してくれない。


 ……まあ、別にこのままでも今のところは不都合はないので、いざという時が来るまで、シドの好きにさせておこうと思う。


「さて、時間だ!」


 そうこうしている間に一分経ったのか、クラベリナさんがよく通る声で再び屋敷内に向かって叫ぶ。


「よ~し、誰も投降する意思がないのはわかった。それでは容赦なく蹂躙してやるから、覚悟するがいい!」


 そう一方的に宣言したクラベリナさんは「ハッハッハ!」と高笑いを響かせながら屋敷の中へと突撃していく。


「あっ、だ、団長! 待って下さい!」


 それを見て、クラベリナさんを慕っている泰三が慌てて後を追いかけていく。

 そうして残されるのは、俺とシド、そしてこの場を取り仕切るはずのリムニ様だ。


「あ、あの馬鹿者が……」


 本来ならリムニ様を先頭に、可能な限り穏便に物事を済ませるという話だったのだが、どうしてかクラベリナさんは一人で突撃してしまった。


「……全く、怒りに我を忘れるとは、クラベリナもまだまじゃのう」

「えっ、クラベリナさん、怒っていたのですか?」

「わからぬか? あれほど怒ったクラベリナを見るのは初めてじゃったぞ」


 いつもと変わらない大胆不敵なクラベリナさんのように見えたのだが、付き合いの長いリムニ様には随分と違って見えたのか、幼い領主は小さく震える。


「……ああ見えてクラベリナの奴は、かなり短期なのじゃ……大方、エスクロの奴に我が傷付けられたの知って、腹の中で怒りを溜めておったのだろう」

「じゃ、じゃあ、その怒りが目的地に着いた途端に爆発して、本来の作戦を忘れてしまったのですか?」

「おそらくな……このままでは屋敷内の者は、一人残らずクラベリナによって肉片すら残らないかもしれんぞ」

「……それってマズくないですか?」

「ああ、非常にマズい……」


 リムニ様は苦虫を嚙み潰したように顔をしかめながら、大きく嘆息する。


「というわけじゃ。我等も早いところ屋敷内に赴いて、クラベリナを止めねばなるまい」

「で、でも、そんなことできるのですか?」


 もし、クラベリナさんが我を忘れるくらい怒っているなら、とてもじゃないが俺では止められる気がしない。


「……まあ、何とかなるじゃろう」


 一方、リムニ様には何か策があるのか、やれやれとかぶりを振りながら苦笑する。


「ここにはクラベリナの主である我とシド姫がおる。いくらなんでも、二人の主人から咎められたら、あやつもおとなしくなろうて」

「あ、あたしもやるのかよ……まあ、いいけど」


 このままクラベリナさんを暴走させるわけにはいかないので、シドも渋々ながら頷く。

 それを見てリムニ様は神妙な顔で頷くと、


「よし、それではいくぞ。あの馬鹿に本来の目的を思い出させるのじゃ」


 自分を鼓舞するように拳を振り上げ、俺たちを先導するようにエスクロの屋敷内へと足を踏み入れた。

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