第364話 相性最悪の相手

 のっそりとした足取りで現れたリッターは、相変わらず何処を見ているのか、何を考えているのかすらわからない鉄仮面で俺たちのことを睥睨している。


 一切の武器を持たず、両手に大盾という壁役タンクに徹するかと思われるが、あの見るからに重厚そうな二つの大盾は、それだけで武器にすることもできるだろう。


 しかも、鉄仮面で顔を隠してしまっているため、俺が得意とする目潰しをして相手の死角に入って不意打ちを仕掛けるという戦法が、効かない可能性が高い。

 おそらく最も相性の悪い男の登場に、俺は内心で舌打ちをしながら、何を考えているかわからないリッターに向かって叫ぶ。


「なあ、君はそこの男がどういった男なのか、わかっているのか!?」

「…………」

「その男は、かつてこの世界を恐怖に陥れた殺人鬼、ユウキなんだぞ!」

「…………」

「それに、ここにいるロキは、君たちの団長であるクラベリナさんが飼っている狼だって知っているだろう? そのロキを倒すことは、クラベリナさんを裏切ることになるんだぞ!」

「…………」


 力の限り叫ぶが、まるで俺の声など最初から届いていないかのように、リッターは微動だにしない。


「……はぁ……はぁ……」


 せめて何かしらのリアクションを取ってくれれば、俺としてもリッターにかける言葉も変わってくるのだが、表情は見えず、本当に筋肉の一つすら動かないので、まるで壁に向かって叫んでいるかのような錯覚に陥る。


 でも、叫び続ければ何か状況が変わるかもしれない。

 そう思った俺は、再びリッターに話しかけるために大きく息を吸う。

 すると、


「ハハハ、何を言っても無駄ですよ」


 まるで俺を嘲笑うかのように、ユウキが肩を揺らしながらリッターの肩に手をかける。


「リッターは他の出来損ないの自警団の連中とは違う、本物の戦士です。あなたが何を叫んだところで、その心を動かすことはできませんよ」

「クッ、だとしても……」

「いやいや、これ以上の時間稼ぎを許すはずがないでしょう」


 ユウキは俺の言葉を遮ると、手を振り上げてリッターの背中をバシッ、と叩く。


「さあ、リッター。あの狼が復活する前に、あなたの本当の力を見せてあげなさい」

「…………」


 ユウキの言葉にリッターは小さく首肯すると、ドシドシと重量級の足音を響かせながら突撃してくる。



 突撃してくるリッターとの距離は十メートルほど、水路を挟んだ通路は狭く、二枚の大盾を広げただけでもう横に回避できる余裕はない。


 さらに俺のすぐ背後には、未だスタン状態から回復しないロキがいる。

 つまり俺は、重戦車のように突撃してくるリッターに対し、正面からやり合わなければならないのだ。


「クソッ……」


 突進してくるリッターを前に、俺は腰のポーチから火炎瓶を取り出すと、壁に擦り付けて火を点けてから奴に向かって投げ付ける。

 理想はあの鉄仮面に直撃して派手に燃え広がることだが、例え火炎瓶が直撃しなくとも、中に入った油が体に付着すれば、いくらでも火をつける手段はある。


 そう思って放った火炎瓶だったが、そこで信じられないことが起きる。


 てっきり大盾で防がれると思った火炎瓶を、リッターは横に大きく跳んで、幅四メートルはあろうかという水路を飛び越えてみせたのだ。


「んなっ!?」


 二メートル以上の巨体を持ち、見るからに重厚な大盾を二枚も持っているのにも拘らず、まるでロキを思わせるような華麗な身のこなしをするリッターに、俺は思わず目を奪われてしまう。


「ワンッ!」

「――ハッ!?」


 だが、すぐさま注意を促すようにロキが吠えてくれたので、すぐさま正気を取り戻した俺は、慌てて腰からナイフを取り出して構える。


 だが、あんな人知を超えたような動きをするリッターに、俺は何をすればいいんだ?

 まともにやり合って、大盾の間をくぐり抜けてリッターに直接ダメージを与えられるビジョンが全く見えない。

 手持ちのアイテムも残り僅かで、最も有効だと思われる火炎瓶に至っては、さっきので打ち止めだ。

 目潰しは利かず、半端な牽制はあの大盾で全て防がれてしまうと、俺に残された手は……


「わふぅ……」


 手詰まり感を漂わせる俺に、ロキが「無茶するな」と弱々しい声で話しかけてくる。

 ロキは、こんな状態に陥ったのは自分のミスだから、見捨てて逃げろと言っているのだ。


「いや……悪いけどそれはできない」


 弱気な発言をするロキに、俺はかぶりを振ってナイフを構え直す。


「これ以上、俺は誰も死なせたくないんだ。その中にはロキ……君もちゃんと入っているんだ」

「わふ……」


 後ろからロキの感極まったような鳴き声が聞こえ、俺は改めてナイフを構え直す。

 考えろ……考えるんだ。

 ロキがスタン状態から回復するには、まだ一、二分時間がかかると思われる。

 何もリッターを倒す必要はない。ロキが復活する時間を稼ぐだけでいいのだ。


 俺は目標を下降修正しながら、ポーチの中をガサゴソと漁る。

 反対側の水路に渡ったリッターは、そのまま距離を詰めると再びこちら側に戻るために大きく跳ぶ。


「ここだっ!」


 宙を舞ったリッターを見て、俺はポーチの中から鉄製のまきびしを取り出し、彼が着地すると思われる場所にばら撒きながら前へと出る。

 これがどれだけ有効打になるかはわからないが、姿勢を崩すことぐらいはできるだろう。

 後は首尾よく大盾の中に入り込めたら、ナイフによる攻撃を仕掛けるか、鉄仮面の中に目潰しの灰をぶちまけてやる。


 そう思ったのだが、リッターは俺の予想を軽々と超えてくる。

 まきびしの上に着地すると思われたリッターは、空中でくるりと回転すると、大盾を地面に突き立ててその衝撃でまきびしを吹き飛ばす。


「なんと!?」


 ヤバイと思って慌てて急制動をかけるが、時すでに遅しだった。

 リッターは突き立てた大盾を軸にして巨体を回転させて、俺に蹴りを放ってきたのだ。


「あぐっ!?」


 どうにか腕をクロスさせてガードはしたものの、俺の体は易々と吹き飛んでロキの体にぶつかって止まる。


「ガハッ……ごほっ、ごほっ!」


 背中を強打した俺は、激しく咳き込みながらも慌てて身を起こそうとするが、すぐ目の前に誰かが断つ気配がする。

 顔を上げると、二枚の大盾を振りかぶったリッターがいた。


「……ま、待って」


 俺はせめてロキだけでも見逃してもらおうと思い、リッターに命乞いをしようとするが、


「ガアアアアアアアアアアアアアアァァ!!」


 リッターはくぐもった雄叫びを上げながら、両腕を容赦なく振り下ろしてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る