第363話 二枚の壁

 いくら必死に逃げようとも、足場が悪く、まともに視界も効かない地下水路で、自在に動けるロキ相手にそう遠い距離を逃げ切れるはずがない。


 情けない敗走姿を見せた割には、かなりの速度で逃げ続けるユウキだったが、走ることを専門にしているロキから逃げられるはずもなく、彼我の距離はどんどん詰まっていく。


「いけっ! ロキ、その男を倒すんだ!」

「アオオオオオオオオオオオオオオオオオォォン!!」


 俺の言葉に反応してロキは大きく跳躍すると、壁を走って一気にユウキとの距離を詰める。


「ガルルルル!」


 ロキは三次元的な動きで翻弄しながら、前脚を振り上げてユウキの首を刎ねるように振り下ろす。

 次の瞬間、ロキとユウキが交錯し、奴が持つカンテラが宙に舞う。


「……やったか!?」


 それはフラグだからやめろ。と内心で思いつつも、これまで起き上がってきた敵がいないことから、俺は思わず叫んでしまっていた。


 でも、大丈夫。このフラグは回収されないから。


 そう思っていたが、


「キャウウウウン!」


 突如としてロキが悲鳴のような鳴き声を上げながら吹き飛び、背中から地面に落ちて床を転がる。


「なっ!?」


 何が起きたんだ。と驚く俺だったが、悠長に構えている暇はなかった。

 これまで逃げるだけだったユウキが吹き飛んだカンテラをキャッチすると、反転してナイフを手にロキへと突撃していくのが見えた。


「クッ……」


 俺は一転攻勢に出たユウキの狂気に満ちた笑みを見て、背中に冷たいものが走るのを自覚する。


 これは、非常にマズイ……。


 ロキがいくら自警団の槍を防御することなく跳ね返す毛皮で全身を覆われていようとも、奴はそんな防御を易々と貫く能力を持っているのだ。


 俺は走りながら腰のポーチから火炎瓶を取り出すと、壁に擦り付けて着火しながら牽制の意味を込めてユウキに向かって投げる。

 火炎瓶は狙い通りユウキの足元、数メートル手前に落ちて燃え上がるが、


「ハハハッ、狙うならせめて直撃にするんだったな」


 奴は燃え上がる火柱を見ても全く意に介さず、止まる気配を見せない。


 だが、それは想定の範囲内だった。

 狙いは、ユウキを足止めすることではないからだ。


 俺は走りながら今度はナイフを取り出すと、ユウキ……ではなく、ロキの体を凝視する。

 すると、火柱によって照らされたロキの体、その背中に黒いシミが浮かび上がるのが確認できる。


「うおおおおおおおおおおおっ!」


 黒いシミを確認した俺は、気合の雄叫びを上げながら必死に駆け、ユウキより僅かに早くロキに肉薄すると、見えている黒いシミへ向かってナイフを振り下ろす。

 次の瞬間、キィィン! と甲高い金属音と火花を散らしながら俺のナイフとユウキのナイフが空中で交錯する。


「よしっ!?」


 差し出した勢いそのままにナイフを弾かれながらも、俺は思わずニヤリと笑う。


 これこそが火炎瓶を投げた本当の狙いだった。

 攻勢に出たユウキは、必ずロキを一撃で葬るためにナイフを使って致命傷を与えられる黒いシミを狙ってくると踏んでいた。

 だが、ロキの体は全身が黒く、黒いシミが浮かんでもそれがシミなのか、体の一部なのか判然としない可能性が高かった。

 そこで俺は、火炎瓶で灯りを付け、俺だけでなくユウキにもロキの体に浮かび上がる黒いシミがハッキリと分かるように仕向けたのだった。


 結果、ユウキは俺の狙い通り黒いシミに向かって攻撃を仕掛け、先に到達していた俺のナイフと交錯したのだった。


「……チッ、やりますね」


 ロキへの攻撃が失敗に終わったユウキは、それ以上は追撃せずに大きく後ろに跳んで距離を取る。


「まさか、火柱を使って私がどこを攻撃するか先読みするとは思いませんでしたよ」

「……同じ能力を持っているんだ。手の内がわかるのはお互い様だ」


 俺は油断なくユウキを睨みながら、片膝をついてロキへと手を伸ばす。


「ロキ、大丈夫か?」

「…………わふぅ」


 問題ない。と言ってみせるロキではあったが、体がまともに動かせないのか、手足が痙攣したように震えている。

 試しに震えているロキの前脚を触ってみるが、何か見えない力が働いているかのように俺の力ではビクともしない。


 これは、もしかして……、

 強制スタン状態に陥っているロキを見て、俺の脳裏にある男の姿がちらつく。


「やれやれ……せっかく無様な姿を晒して油断を誘ったのですが、上手くいかないものですね」


 すると、俺たちから十分に距離を取ったと思われるユウキの声が聞こえる。


「私と同じ力を持つからこその対策……やはりあなたは侮れませんね」

「お前……」


 先程逃げたのは、やはりわざとだったようだ。

 俺はまだ動けないロキを守るように立つと、余裕の笑みを浮かべているユウキを見据える。

 

 ここは少しでも時間を稼いで、ロキの回復を待ちたい。

 そう思う俺だったが、


「コーイチ君。君、時間を稼いでその犬の回復を待とうとしていますね?」


 まるで俺の考えを見透かしたかのようにユウキが顔を歪めるように笑う。


「まあ、もっとも……最初からそんな時間を与えるつもりはありませんけどね」


 そう言ってユウキがカンテラを振るうと、奴のすぐ背後の脇道から巨大な影が現れる。

 それは自警団の制服に身を包み、両手に巨大な盾を持った大男、リッターだった。

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