第265話 呪いの監獄
「呪い……ですか?」
何やら不穏な言葉の登場に、俺は眉を顰める。
いや、俺が持っているスキルや、ネームタグなんて魔法的なものがあるファンタジー世界なのだから、呪いの一つや二つぐらいあっても不思議ではないのだが、如何せんここで暮らしている俺に実感がないので、今一つピンとこない。
俺が首を傾げたのを見て、行商人は仮面の向こうで苦笑する。
「まあ、ここで暮らしているお前に言っても何のことだがわからないかもしれないが、少なくとも地上に住む者はそう考えている」
そう前置きして、行商人は地上で流れている噂とやらを話してくれる。
それはこの集落がまだ監獄だった頃に看守として働いていた者の話である。
その者は今でいう自警団に所属しており、地上で捕まえた罪人を地下にあるこの監獄にまで連行し、監視するのが主な仕事だった。
必然的に職場は地下になることが多く、何日も陽の光を浴びない日が続いた。
しかも、地下に収容される罪人は基本的に凶悪犯罪者であり、地下に送られることが決定しても不遜な態度を改めることなく、看守をはじめとする職員たちを挑発し、物を壊し、罪人同士での喧嘩など日常茶飯事だった。
それでも真面目な看守は、自分の行いが街の浄化に少しでもなればと、罪人たちに恫喝することも暴力を振るうこともなく、看守たちの唯一の愉しみだった酒も煙草にも手を付けずひたすら真面目に職務をこなした。
そんな地下でのある日の朝、看守はある事件に遭遇する。
それは、普段から問題行動を起こしていた罪人の一人が、自身の独房の中で死体となって発見されたことだ。
死体は全身を手酷く殴られたのか、両手足の骨が砕かれ、顔がグチャグチャに潰れて最早生前にどんな顔をしていたか判別できないほどに損壊していた。
普通なら犯人を探すところなのだが、その死体を見た看守の誰もが犯人捜しをしようとはしなかった。
何故なら、独房という名の通り罪人は一部屋に一人ずつが収容され、全ての扉は外側から鍵がかけられているからだ。
当然ながら死体があった部屋も外から鍵がかかっており、他の全ての罪人の部屋も同じように鍵がかかっていたのだ。
念のため罪人全員のアリバイも確認したのだが、誰もが前日の夜にアリバイがあり、看守たちにも怪しい行動を取った者は確認できなかった。
それ故、この事件は地下の暗闇で精神をやられた罪人が、自身を痛めつけて死んだ自殺として片づけられることになった。
これで事件は一段落ついたと思われたが、数日後にはまた別の罪人が独房内で死体となって発見された。
今度の死体は、まるで雑巾を絞ったかのように体のあちこちがねじれ、体中の骨が飛び出して何ともおぞましいオブジェになっていたのだ。
とても人間業とは思えない所業に、看守たちは犯人捜しをすることを早々に諦め、監視体制を強化することを満場一致で決めた。
一方、いざという時に逃げる場所がない罪人たちは、次は自分が殺されるのではないかと怯え、荒くれ者たちは借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。
だが、それは日々罪人たちの制御に手こずっていた看守にとっては、非常にありがたい話だった。
監獄始まって以来の安寧に、看守はこのままの時が続けばいいと思っていた。
そうして監獄に静寂が訪れたある晩、看守は夜の見回り中に一つの独房内からピチャピチャという水音が聞こえ、何事かと思って音のする方へと向かう。
最初に死んだ罪人が自殺という結論に至ってから、独房内には余計な物を持ち込むことが禁止となり、当然ながら飲み物の持ち込みなど許されるはずもなかった。
――もしかして、誰かルールを破ったのだろうか。
正義感の強い看守は、間違った行いは正そうと水音のする独房へと向かう。
二回層目の端から音が聞こえるのを突き止めた看守が独房に近付くと、どういうわけか独房の扉が開いていることに気付く。
鍵が壊された様子もないことから、看守の誰かが開けたのかもしれない。
そう思った看守が独房の中を覗き込むと、思った通り、中には複数の影があった。
もしかしたら何かトラブルが起きたのかもしれない。そう思った看守が中へ声をかけようとしたところで、濡れた地面に足を取られた看守は、その場で尻もちをついて転んでしまう。
――一体何に躓いて転んだのだろう。
そう思いながら濡れた地面に触れた看守は、むせ返るような鉄の臭いに覚えがあり、眉を顰める。
――っ!? これは血だ。
液体の正体に気付いた看守は、今まさに目の前で殺人事件が起きていると、勇気を出して独房の中へと声をかける。
すると、独房の中の影が看守の声に反応して動く。
その数、二、三、四……、
てっきり二、三人での犯行と思っていただけに、予想を超える人数の多さに看守は早まったかと思うが、中から現れた人物を見て驚愕に目を見開く。
中にいたのは、看守の同僚だった。
全員がまるで幽鬼にでも取り憑かれたかのように虚ろな目をしており、口から出る言葉も、意味を成さないものだった。
さらに全員の口からは赤い血が流れており、それに気付いた看守が独房の中を見ると、腹を引き裂かれた罪人が死んでいるのに気付く。
――まさか、罪人を殺して食べたのか。
同僚の狂気に満ちた行動に戦慄を覚えた看守は、叫び声を上げながらその場を逃げ出し、他の仲間に助けを求めた。
必死に階段を駆け下り、寝ている仲間を叩き起こそうとした看守は、仲間の異変に気付く。
看守の言葉に反応して起きた仲間が、外の同僚と同じように、虚ろな目で自分へと襲いかかってきたのだ。
それも一人や二人じゃない。数時間前まで普通に仕事をしていた仲間たちが、次々と看守へと襲いかかって来たのだ。
一夜にして地獄絵図へと変わった監獄で、看守は気が狂いそうになりながらも、どうにか仲間たちを排除し、這う這うの体で監獄を脱出して地上へ救援を求めに行った。
「そ、それでどうなったのですか?」
行商人の話に聞き入ってしまった俺は、口内に溜まっていた唾液を飲み込みながら尋ねる。
「まさか、地上に出て助けを求めた先でも、新たに襲われたとか?」
「怪談ではあるまいし、そんな訳ないだろう。看守は無事に保護され、後日改めて人数を伴って監獄に向かうことになったよ」
「そ、そうですか……」
これまでの展開も十分に怪談だと思うのだが、一応これは実際に起こった話のようだから、そこまで絶望的な展開はなかったようだ。
「そして後日、監獄に向かった者が見たのは、捕まっていた罪人から務めていた看守、全員の死体だったよ」
どの死体も損壊が激しく、どうやって殺されたのかわからない者も多かったが、この監獄には何か見えない呪いがかけられているということで、封鎖されることになったという。
「なるほど……」
監獄の顛末を聞いた俺は、最も気になっていたことを行商人に尋ねる。
「……ちなみにですが、その看守はどうなったのですか?」
「死んだよ。快気祝いの席で振る舞われた酒に溺れたのか、翌日に川で変死体となって発見されたよ」
「そう……ですか」
それを聞いて俺は、やっぱこの話は怪談だと思った。
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