第227話 一つ階段を上がる

「……えっ?」


 ミーファの言葉に、俺はもう一度、確認するように尋ねる。


「ロキって……あの狼のロキだよな?」

「……うん」

「そうか……」


 肩を落として意気消沈するミーファを見て、俺は腹部の痛みに顔をしかめながらも身を起こし、励ますように抱きよせて頭を撫でる。


 俺がこの地下で生活するようになってからも、ミーファはちょくちょくロキと会っていたのは知っていた。


 俺とシドは死体漁りスカベンジャーとしての仕事の他にも、食糧確保のために色々な人の手伝いがあったり、ソラも家事全般や集落の奥様方との内職の手伝いをしたりと、日中はミーファの相手が中々できないため、同年代の知り合いがいない彼女は一人で遊ばなきゃいけないことが多かった。


 そんな中、クラベリナさんに忠誠を誓っている巨大な狼であるロキは、普段は何を考えているのかわからないが、ミーファの遊び相手にはよくなってくれているようだった。

 このことはシドとソラの二人には秘密となっているので、俺も二人の前では迂闊にロキのことを話題に上げることができないでいた。


 そんな良好にみえたミーファとロキの関係に、何やら変化があったようだ。

 ただ、あのロキがミーファをそう簡単に見捨てるとは思えないので、一先ずここはもう少し話を聞いてみる必要があるだろう。

 俺は胡坐をかいて膝の上にミーファを乗せると、静かな声で彼女に問いかける。


「それで、ミーファ。ロキは何て言ってたんだい?」

「あのね、ロキ、こんどとおくにいくんだって」

「遠く?」


 俺の問いに、ミーファはこっくりと頷きながら続ける。


「えっとね? まえにおにーちゃんとおそとでみたおっきなまもの、いたでしょ?」

「それってイビルバッドのこと?」

「うん、それ……それがたくさんでてみんなこまってるから、ロキはおしごとでとおくにいくんだって……だからミーファとしばらくあえないし、おそとにもでちゃダメって……」

「なる……ほど」


 つまり、あれからもイビルバッドはグランドの街の人を攫い続けているようで、本格的に連中の討伐に出るようになったようだ。


 おそらくだが、その討伐にかなりの人数を割くのだろう。

 そして、その中にロキもクラベリナさんの命令で、加えられたということなのだろう。

 だとすれば……、


「ミーファ、安心していいよ」


 俺は大粒の涙を流しているミーファの涙を拭ってやると、優しく頭を撫でる。


「心配しなくても、ロキは暫く会えないだけでまた戻ってくるよ」

「……ほんとに?」

「ああ、本当だよ。ロキはお仕事で遠くに行っているだけだから、また戻ってきてミーファと遊んでくれるようになるよ。俺たちだって仕事で出かけても帰ってくるだろう?」

「……うん」

「そういうことなんだよ……じゃあさ、暫くはお兄ちゃんがミーファといっぱい遊んであげるから、一緒にロキの帰りを待とうな?」

「ほんとうに、おにーちゃんがミーファとあそんでくれるの?」

「ああ、約束だ?」

「……ゆびきり?」

「ああ、そうだな。じゃあ、いくぞ……」


 ミーファと小指を絡めて指切りをしてやると、彼女は涙を拭きながらニッコリと笑顔を見せる。


「おにーちゃんがそういうのならミーファ、ロキのこと、まてるよ」

「そうか、偉いな」


 俺がミーファの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに目を細めていた。




 その後、今日も一緒に寝たいというミーファの申し出を、俺は二つ返事でオッケーした。


 ミーファが寝付くまで面倒を見ていると、あれだけ痛く、苦しかった腹の痛みが少し和らいでいることに気付く。

 その痛みは夜が深くなるにつれて徐々に薄れていき、このままいけば本当に明日には何事もなく朝を迎えられるかもしれなかった。


「ふみゅうぅ………………おねーちゃん………………おにーちゃん…………おいちぃよ」

「フフッ……どんな夢を見ているんだろうな」


 俺は腕の中で眠るミーファの頭を撫でながら、少し考えをまとめる。


 どうやらこの二か月の間に、街の情勢は大きく変わったようだ。

 俺がイビルバッドの目玉をクエストの成果として提出した時、あの魔物を倒せるのはグランドの街でも一部の限られた者だけしかおらず、目撃情報はそれだけで一大事件として扱われるほどだと聞いた。

 つまり、イビルバッドはそれだけ脅威な存在であるが、目撃情報は少なく、グランド街までやって来ることも殆どなかった。


 だが、この二か月の間で、一体どれだけのイビルバッドが現れたのだろうか?

 イビルバッドの襲来が頻繁にあるとわかっていれば、毎日の生活も気が気でないだろう。

 もしイビルバッドがこの地下までやって来るようなことがあれば……、


「ない……とは言い切れないか」


 思わず漏れた呟きに、俺はビクリと小さく身を震わせながらミーファを抱く手に力を込める。

 もし、明日イビルバッドがこの集落に来たら、今の俺では三姉妹を守ることなどできないだろう。

 だから俺は、あらゆる脅威から彼女たちを守るために、少しでも強くならないといけないのだ。


「…………あっ」


 そこまで言ったところで、俺の脳内に電撃が走る。


「何のために強くなりたいか……」


 行商人の言葉を反芻しながら、俺は自分の考えが根本的に間違っていたことに気付く。


 俺はシドと協力して一生懸命に行商人への対策を練ったのだが、そんなことをしても、俺が望む三姉妹を守るために強くなるという目標は何一つ叶えられない。

 何故なら、敵として現れるもの全てが行商人のように一人で、それも徒手空拳で戦うとは限らないからだ。


 それに、相手を倒すために掌底を打つ術を磨いたのも間違っていた。

 もし、敵が複数いた場合、最初の一人を掌底で倒せたとしても二人目、三人目に対処できずにあっという間にやられて終わりだろう。


 つまり、俺は行商人に対処する術を模索し続けた所為で、三姉妹を守るという最も大切なことを失念していた。

 行商人が俺に攻撃方法を教えないのも、基本的に徒手空拳では一人一殺が限界で、二人以上を同時に相手にすることには向かないからだろう。

 もし、行商人から教わった技を俺が過信して、いざという時に一人倒して喜んでいたら、ミーファを守れずに殺されてしまいました……なんてことになったら本当に笑えない。


 だから俺がやらなければならないことは……、


「……覚悟を決める必要があるというとか」


 俺は何も付けていない自分の腰の後ろに手を回すと、何度か虚空を掴むように握ったり閉じたりを繰り返した。

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