第220話 克服へ
それから俺は、本物の恋人のように甘えてくるソラと、それを見て羨ましがるミーファの二人相手に、交互に「あ~ん」をしてやった。
「フフッ、ありがとうございます。とっても美味しかったです」
「おにーちゃん、ありがと」
「それじゃあ、私たちはコーイチさんのお邪魔にならないように、おば様たちの手伝いをしてきますね」
魚を食べ終えた二人は満足そうな笑みを見せると、後片付けの手伝いをするために去っていった。
「つ、疲れた~」
二人が去っていくのを見送ってから、俺は盛大に溜息を吐いてその場に座り込む。
恋人ごっこを演じなければいけないのはわかるが、ソラの甘え方は少々過度で、毎度毎度こっちがヒヤヒヤさせられてしまう。
でも、あれだけの美少女に迫られて困るとか言ったら、世の男子全員に妬み、恨まれるのは言うまでもない。
もしかしてソラも、俺の反応が面白いからああやって過度に密着してくる可能性もあるので、次からはもう少し余裕があるところを見せていきたいと思った。
「…………行くか」
そんなことを思いながら、俺は今日のメニューをこなすための準備をはじめる。
行商人が商売をしている間に、俺は課題となっているウォームアップをすることになっている。
メニューは外周を十周してから重りを持っての腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットをしてからもう一度走るという初日やったメニューだ。
「…………ふぅ」
指定されたメニューをやり終えた俺は、額の汗を拭いながら大きく息を吐く。
初日は死にそうな目に遭っていたウォームアップだが、流石に二か月間、同じことを繰り返せば多少は慣れるというものだった。
ウォームアップメニューをやり終えた俺は、いつもの仁王立ちの姿勢で商売をしているんだかどうかわからない行商人へと話しかける。
「二度目の外周十周、終わりました」
「そうか、早くなったな」
行商人は小さく頷くと、俺の体を上から下まで見て再び頷く。
「…………そろそろか」
「えっ、何がですか?」
「お前の体だ。そろそろ次の段階に進んでもいいかもな」
「えっ、じゃあ……」
「ああ、そろそろ戦い方を教えてやろう」
「――っ!?」
その言葉に、俺はグッ、と握り拳を作って小さくガッツポーズをする。
行商人から師事を仰ぐようになってから、辛いトレーニングに耐え、毎日コツコツと頑張ってきた甲斐があったというものだ。
これで、今度こそ自分の力で皆を……シドたちを守ることができる。
俺は抑えきれない喜びを悟られないように、努めて冷静な顔を作ると、改めて行商人に問いかける。
「そ、それでは先ず、何をしましょうか?」
「そうだな……」
行商人はおとがいに手を当てて何かを考えているようだったが、自分の腰に手を回すと、何かを取り出して俺に差し出してくる。
「先ずはこれをお前にやろう」
「はい……」
そう言いながら差し出された物を反射的に受け取ろうとするが、
「…………」
受け取る寸前で俺の手が止まる。
行商人が差し出してきた物、それは鞘に収まった一振りのナイフだった。
「うっ…………クッ」
次の瞬間、俺の全身からぶわっ、と汗が吹き出し、指先が震え出すのを自覚する。
「どうした、受け取らないのか?」
固まる俺に、行商人から早く受け取るように催促がかかる。
だが、そう言われても俺の指はまるで氷漬けに遭ったかのようにピクリとも動かない。
それでもどうにかしなければと思った俺は、カラカラに乾いた喉を潤すために一度、つばを飲み込んでから行商人へと話しかける。
「あ、あの……これは」
「見てわからないのか?」
「い、いえ……流石にわかりますけど……でも、俺は……」
「お前の置かれている状況は何となく察している」
俺の言葉を遮って、行商人が仮面の向こうから射貫くように睨んでくる。
「これは、お前の覚悟を確かめる行為だ」
「かく……ご?」
「そうだ。何を勘違いしているかわからないが、お前は武器を使わなければ、何の障害もなく命を奪えると思っているのか?」
「それは……」
「お前は守るために強くなりたいといった。だが、強くなるということは……守るために戦うということは、相手の命を奪うということだ。それはわかるな?」
「はい、わかります」
「そうか……」
頷く俺に行商人は頷き返すと、鍛えられて岩のようにゴツゴツとしている自身の拳を見ながら話す。
「確かに私は徒手空拳で戦うことを得意としているが、お前が私の域に達するまで何年かかると思っている。その間に誰にも襲われない保証はあるのか?」
「だから、俺にナイフを取れ、と?」
「そういうことだ。それなら何の訓練も要らん。相手の急所目掛けて刺し貫けば、問答無用で殺すことができる」
だからつべこべ言わずにナイフを受け取れ。口には出さないが、そう意思表示するように行商人は再び俺にナイフを突き出してくる。
「…………」
これは、試されているのだろう。
何処で聞いたのかわからないが、行商人は俺が戦えないトラウマを抱えていることを知っているようだ。
そして、戦うことは命を奪うことと同義だと、俺に伝えるためにこんな試練を用意したのだろうか。
おそらくだが、このナイフの受け取りを拒否すると、行商人と俺との関係はここで終わりを告げると思われる。
「さあ、どうするのだ?」
表情は見えないが、挑むような声に対し俺は、
「わ、わかりました」
覚悟を決めると、震える手をどうにか御しながら行商人が差し出すナイフへと恐る恐る手を伸ばした。
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