第202話 花の香り

 ――翌日、早起きした俺とシドは、集落の入口である二つの門の前にいた。


 正確な時刻はわからないが、日の出まではまだ数時間あるということなので、早朝というよりは夜明け前というべきか。


「さて、準備はいいか。コーイチ?」

「ああ、大丈夫だ」


 シドからの問いに、俺は力強く頷きながら応える。


「今日からまた仕事に復帰できると思うと嬉しくてね。気合十分って感じだよ」

「……よく言うよ」


 俺の言葉に、シドは呆れたように肩を竦めてみせる。


 シドに三白眼で睨まれてしまったが、今日の俺はここ数年で一番といっても過言ではないほど早起きに成功した。

 これも全て、万全を期すために昨日はかなり早めに寝たので、ほんの少しだけ愚図ることで起きることができたのだった。


 ただ、


「そういう余裕は、自分一人で起きられるようになってから言ってくれ」


 普段からこの時刻に起きているというシドにとっては、そんな俺の努力は無に等しいのかもしれなかった。


「フフッ、姉さんは相変わらずですね」


 シドの態度に俺が若干不貞腐れていると、見送りに来てくれたソラからフォローの言葉が入る。


「コーイチさんも頑張ったんですから、労いの言葉の一つでも差し上げていいのではないですか? ねえ、ミーファ?」

「……うん、おねーちゃんはこわい」


 俺たちを一緒に見送りたいと、眠いのに無理を押してついてきたミーファがソラの腕の中でこっくりと頷く。


「お、お前たち……」


 二人の妹に責められたシドは、バツが悪そうに顔をしかめる。


「……何かコーイチが来てから、妹たちがあたしに容赦ないんだけど」

「ああ、いやその……なんかゴメン」


 シドの恨み節に、俺は思わず謝罪する。

 まあ、確かに傍から聞くとソラたちはシドに容赦がないように聞こえるが、彼女たちからは悪意は感じないので、悪気があって言っているわけではないと思う。


 それはシドもわかっているのか、言葉ほど重く受け止めていないようで、肩を竦めながら苦笑してみせる。


「……まあいいさ。それよりコーイチにこれを渡しておこう」

「あっ、うん。ありがとう」


 俺はシドが渡してきた物を反射的受け取る。


 それは藍色をした一枚の布だった。

 綺麗に洗った後なのか、皺ひとつない布を受け取った俺は、とりあえず鼻を近づけて匂いを嗅いでみる。


「…………何だか、シドの匂いがする」

「んなっ!?」


 その一言に、シドは顔を真っ赤にして俺から布をひったくる。


「な、ななな、何を言っているんだお前は!」

「えっ、でも……普通にいい匂いだったと思ったから」

「んにゃにゃにゃ!? ば、ばかぁ……そういうこと言うなって」


 う~ん、可愛い。


 乙女のような反応を見せるシドに、俺は素直にそう思った。

 だが、そんなことを面と向かって言ったら、シドのことだから逃げるか、俺に襲いかかって来そうなのでこれ以上からかうのはよくないだろう。


 そう判断した俺は、シドに向かって手を差し出しながら話を本題に戻す。


「……ごめん、冗談だよ」

「じょ、冗談?」

「いい匂いは本当だけどね。それで……その布は一体、何に使うんだい?」

「――っ!? う、うう、わかったよ」


 シドは火照った顔を冷やすように手で仰ぎながら、布を広げて説明してくれる。


「下のフロアは下水道だけあって、臭気が半端ないからな。だからこれで口と鼻を覆うんだ」

「ああ、なるほど」


 生憎とここまで下水道の臭いは届かないが、下はかなりの臭気が蔓延していると思われる。

 それを少しでも防ぐためにも、こういった口と鼻を防備することは重要なのだろう。


「それじゃあ、失礼して……」


 俺はシドから布を受け取りながら、藍色の布を使って口と鼻を覆うように頭の後ろで結ぶ。


「…………これで、いいかな?」

「ちょっと待ってろ」


 そう言ったシドは俺の後ろに周り、布の結び目を一度解くと、しっかりと外れないように結び直してくれる。


「念のためこれぐらいやっておいた方がいい……苦しくないか?」

「うん、大丈夫。ありがとう」


 試しに頭の後ろに手を当ててみると、自分でやった時と比べてかなりしっかりと結ばれているのがわかる。

 ただ、この格好……鏡がないのでわからないが、傍から見るとテロリストにしか見えないのではないだろうかと思う。


 まあ、今は格好を気にするよりも、無事に帰ってくることを考えるべきだろうから、格好については考えないようにしよう。


「……あれ?」


 だが、そこで俺はあることに気付く。

 俺が口と鼻をガードしているのに対し、シドは何の防備もしていないのだ。


「ところでシドは、俺みたいに口と鼻を覆わなくていいの?」

「ああ、あたしはもう慣れたからな。コーイチもどうしてもしたくないというのなら、しなくていいんだぞ」


 シド曰く、最初は気絶しそうなほど苦しくて殆ど前に進むことが出来なかったのだが、ベアさんのアドバイスでこの布を使うことでどうにか下水道内で行動できるようになったという。

 今は布を使わなくてもよくなったので、その時使っていた布を俺に貸してくれているというわけだった。


 …………ん? ちょっと待てよ。


 ということはこの布、前はシドが口と鼻を覆うのに使っていたわけで、さっきから感じる花のように甘い香りの正体は……、


「…………」


 その答えに気付いた俺は、自分の顔がみるみる赤面していくのを自覚する。


「ん? コーイチ、どうした? 苦しいのか?」


 すると、そんな俺の変化に気付いたシドが顔を覗き込むように見てくるので、


「い、いやいやいや、大丈夫。大丈夫だから早く行こう」


 俺は慌ててかぶりを振って問題ないことをアピールすると、先陣を切って階段を降り始める。


「それじゃあ、ソラ、ミーファ。行ってくるよ」

「はい、いってらっしゃい。二人とも、無事に帰って来て下さいね」

「…………いってら~」

「うん、いってきます」


 二人の美少女たちに見送られ、俺は初の死体漁りスカベンジャーの仕事へと挑むのであった。

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