第196話 居住区

「お~い、そろそろそこをどいてくれないか?」


 換気扇の話題が一段落したところで、空になった食器を手にしたシドが呆れたように話しかけてくる。


「そこにいると、いつまでも洗い物ができなくて困るんだが……」

「あっ、食器を洗うなら手伝うよ」


 このまま至れり尽くせりでいるのは忍びないので、せめて洗い物だけでもと、俺はシドに手伝いを申し出る。


 だが、


「いいよ。シチューは下手に洗うと器に匂いが残る場合があるから、あたしに任せな」


 俺の提案にシドはかぶりを振って、一時も離れまいと俺の裾を握り締めたままのミーファを顎で示す。


「とりあえずコーイチはミーファと……後、ソラの相手をしてやってくれ」

「……わかった。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 確かに流し台は大人二人が並んで立てるほど広くないし、こちらから改めて名乗り出るほど洗い物に精通しているわけでもない。


「それじゃあ、ソラ、ミーファ。これからどうしよっか?」

「でしたら私、コーイチさんに私たちの集落を案内したいです」


 俺からの質問に、ソラが元気よく手を上げて発言する。


「そんなに広くはないですが、ここにいる人たちにコーイチさんを紹介するためにも、中を見て回るのはいいと思うのですがどうですか?」

「俺としては願ってもないけど……ミーファもそれでいいの?」

「うん、いいよ」


 ミーファも快諾してくれたので、この後の予定は決まったも同然だった。


 俺は流し台でシチュー皿の汚れと格闘しているシドの背中に話しかける。


「それじゃあ、シド。ソラたちに集落を案内してもらってくるよ」

「ああ、行ってくるといい。皆、コーイチなら歓迎してくれるはずだからさ」

「……そうだといいんだけどね」


 ここにいる獣人は、少なからず人間に対して敵意を持っていると俺は推測している。

 故に、流石に全員が俺のことを手放しで歓迎してくれるとは思っていない。


「……とりあえず揉め事は起こさないように最善を尽くすよ」

「そうか、まあ、コーイチなら大丈夫だと思うけどな。まあ、気楽にいっておいで」


 心配性な俺を、シドは苦笑しながら送りだしてくれた。




 食堂を出たところで、ソラが俺の方へと向き直って話を始める。


「それじゃあ、最初にこの二つの建物について説明しますね。既に姉さんから聞いているかもしれませんが、この建物は、昔は監獄として使われていました」


 まるで観光地で寺院を案内してくれるガイドのように、淀みなくソラは説明をする。


「一階は主に共用スペースとして使われ、二階が食料などを保管しておく倉庫、三階より上が私たちの居住スペースとなっています」

「えっ? 一階には誰も住んでいないの?」

「はい、いい質問ですね」


 俺からの疑問に、ソラは大きく頷きながら指を立てる。


「コーイチさん、ここが何処だか忘れていませんか?」

「ここって……地下ってこと?」

「そうです。地下は地上と違ってあちこちに魔物がうようよしているんです。一応、集落の中にめったに入って来ることはないんですが、たまに集落の中まで入って来ることあるんです」

「そうなんだ……でも、上の階には来ないの?」

「来ますよ。ですから、夜は二階より上には触ると音が鳴る罠をしかけておくんです」

「なるほど……」


 ちなみに俺が下りる時にその仕掛けを見なかったのは、誰かが通る度になると迷惑なので、皆が起きる頃には鳴子の仕掛けは外してしまうのだという。


「ですから、明日からコーイチさんが起きる時には、鳴らさないように気を付けて下さいね」

「…………わかりました」


 そういえば明日から早起きをしなければならないことを思い出し、俺は思わず押し黙ってしまう。

 それを見たソラは口元に手を当てて上品に笑う。


「大丈夫ですよ。私がしっかりと起こしてあげますから、頑張っていきましょう」

「が、頑張ります」


 自信はないが頑張る旨を伝えると、ソラは微笑みながらさらに説明を続ける。


「後は下の階層の方が危険なので、主に男性が住むようになっています」

「ということは俺も本当は下の階層に住んだ方がいいの?」

「いえいえ、これは独り身の男性に限る話ですから、家族がいる人は当てはまりません。コーイチさんは私たちの家族ということになっていますから、気になさらなくて大丈夫ですよ」

「だいじょうぶだよ~」

「あ、ありがとう。二人とも」


 ニッコリと笑うソラとミーファに礼を言いながらも、俺としては素直に喜んでいいものか微妙なところだった。


 尤も安全だという一番上の階層に部屋があるのは夜眠る時は安心出来ると思うが、朝早く起こされて寝惚けて外に出たところで、誤って柵のない足場から足を踏み外して下に落ちる可能性もあることを考えると、果たしてどっちの方が安全と言えるのだろうか。


 そうこうしてい間にも、ソラによる建物の説明は続く。


 独身の男性が下の階層に住むということだが、それはあくまで戦う力がある者に適用されるもので、戦闘が得意でない者や、年老いて力を十全に出せなくなった者は、上の階層へと住むことになっているのだという。


「でも、これはあくまで目安であって、必ずしもそうしなければならないわけじゃないんです」

「そうなの?」

「はい、私たちは狭い空間で暮らしていますから、必然的に皆で協力しようと、困っている人がいたら助けようという暗黙の了解があるんです」

「それは素晴らしいね」

「はい、ですからコーイチさんも、皆にすぐに受け入れてもらえますよ」


 先程のシドとの会話を受けてか、ソラは俺の手を取って両手で大事に包み込むと、優し気な笑みを浮かべる。


「私たちからコーイチさんを裏切るようなことはありませんから……それが、私たち獣人の掟でもありますから」

「俺も、ソラたちを裏切ることはしないよ。絶対に」

「はい、そのお言葉、信じていますよ」


 ソラは思わずドキリとするような大人の笑みを浮かべると、


「さあ、建物については十分お話ししましたし、次に行きましょうか?」


 そう言って俺の手を引いて歩きはじめた。

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