第183話 訪れる限界

 地下水路に入ってから、一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか。


 俺は時折アラウンドサーチを使って地形の把握と、索敵を繰り返しながら赤い光点から逃げるように奥へ奥へと進んでいた。


 休むことなく歩き続けているため、痛みで足の感覚は殆どなく、もうどれだけの速度で歩けているのかもわからない。

 さらに、足元が何も見えないので幾度となく転び、体のあちこちに少なくない傷を負ってしまった。


 そんな中、俺はさらなる問題を抱えていた。


「…………腹減った…………眠い」


 ここに来て少し緊張の糸が切れたのか、生理現象が次々と俺に襲いかかって来たのだ。

 最後に食事を摂ったのは泰三と宿屋で食べた夕食だから、それから何も口にしていないことになる。

 幸いにも水だけは大量にあるので飲み水に困ることはなさそうだが、後で体にどんな支障が出るかわからないので、なるべく舌を濡らす程度にしていたが、それも長くは持たないだろう。


 そして何より、全身がバラバラになるのではと思うほど痛くて堪らないのに、それを上回るほどの空腹と眠気が全身を包んでいるのだ。

 まるで底なし沼に腰まで浸かってしまったかのように体が重く、前へ進んでいるはずなのに、ずっとその場で足踏みをしているような感覚に陥る。


 ハッキリ言ってもう……限界だ。


 あれから五人の男たちが俺を追いかけてくる様子もないし、近くに誰かいる様子もない。

 しかし、かといって腹に溜まるような物は何も持ち合わせていない。

 なら、取るべき選択肢は一つだ。


 俺はギシギシと骨が軋む音を聞きながらゆっくりと腰を下ろすと、手探りで水路へと手を入れて水を掬う。

 匂いを嗅いでみて嫌な臭いがしないことを確認すると、おそるおそる水を喉に流し込む。


「…………美味い」


 ひんやりとよく冷えた水が喉を潤す感覚に、俺は頬が緩むのを自覚する。

 これまで散々我慢して来た所為か、一度水を口にしてしまうともう止まらなかった。


 俺は水路へと顔を勢いよく突っ込むと、本能の赴くままに水をゴクゴクと飲んでいく。

 その勢いは自分でも驚くほどで、ひょっとしたら無限に水を飲むことができるのではと思った。

 ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク…………………………


「……………………っぷはっ!?」


 しこたま水を飲んだ俺は、息が苦しくて失神しそうになる寸前まで水を飲み続けた。


「…………おかしい」


 だが、そこで俺は自分の体の異変に気付く。

 いくら空腹で倒れそうになっていたからといって、こんなにも水を飲むつもりはなかった。

 しかも、胃の中からちゃぽちゃぽと水音が聞こえるにも拘わらず、一向に腹が満たされた気がしないのだ。


 これは一体、どういうことか。


 そう考えるより早く、


「……あれ?」


 俺は自分の体から急激に力が抜けていくのを自覚し、堪らずその場に突っ伏す。

 いくら何でもこんなところで寝るわけにはいかないと、腕に力を入れようとするのだが、襲い来る空腹と眠気が体を動かすのを許してくれない。


「なに……が…………どうして?」


 突然の事態に俺は混乱しながらも、今の状況に既視感を覚えて必死に頭を巡らせて考える。

 そして、


「…………まさか!?」


 ある一つの可能性に辿り着き、俺は自分の今の状況を理解する。

 それはノルン城で遠目に見た、圧倒的な強さを見せたソードファイターの少女だった。


 彼女はソードファイターの固有スキルである高速で移動する技を駆使して、ノルン城に跋扈していたゴブリンたちを死体の山へと変えていった。

 そして、ボスモンスターであるサイクロプスも撃破寸前まで追い込んだのだが、突然、糸の切れた操り人形のようにばったりと動かなくなり、そのままサイクロプスの棍棒による一撃で帰らぬ人になってしまった。

 あの少女が死の間際に言っていた言葉が「お腹が空いて動けない」という一言だった。


 ひょっとしなくても俺は今、あの少女が陥った状況と同じ目に遭っているのだろう。

 地下水路に入ってから、俺は数え切れないほどのアラウンドサーチを使った。

 索敵だけでなく、地形まで把握できるアラウンドサーチは、灯りを持たない俺に取って地下水路を進むうえで必要不可欠なスキルであり、それを使わないという選択肢はあり得なかった。


 だが、今はその使い過ぎた力の反動が、俺を耐え切れないほどの空腹と眠気によって容赦なく苛んでいた。

 しかも、最悪なことに目を閉じたことで発動したアラウンドサーチに、赤い光点の反応があったのだ。

 壁に手を当てていないので見えた相手との位置関係はよくわからないが、目を閉じてすぐに反応があったということは、彼我との距離はそれほど遠くないということだ。


「ヤバ…………イ…………逃げな…………と」


 一刻も早くこの場を離れてしまわないといけないのだが、もう俺は指一本動かすこともできなかった。


「………………雄二………………ゴメン」


 俺は雄二に謝罪の言葉を口にしながらまどろみの底へと沈んでいった。

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