第132話 お家へ帰ろう

 ゆさゆさと体を激しく揺さぶられる感覚に、俺の意識がまどろみから覚醒する。


「………………ううっ、わ、わかった。起きればいいんだろ」


 容赦のない前後左右の激しい運動に、俺は堪らず目を開ける。


「あっ、起きた。ロキ、もういいよ」


 すると、ミーファの可愛らしい声が聞こえ、俺の体が重力を捉えたかのようにいきなり下へと落ち始める。


「…………えっ?」


 一体何が起きたのかを理解するより早く、


「ぶべらっ!?」


 俺の体が地面に落ちたのか、全身に激しい痛みが襲ってくる。


「…………がはっ、な、何が……」


 起きたんだ。そう思っていると、俺の目にロキのしてやったりといった得意気な顔が飛び込んでくる。


「……まさか、さっきまでの激しい揺さぶりはお前が原因なのか?」

「わふっ」


 俺の問いに、ロキから「そうだ」という返事が帰ってくる。

 全く、確かに俺は寝起きが悪いと自負しているが、一体全体何をやらかしたんだ。

 そう思って俺は地面に落ちて砂だらけになっている自分の体を見てみる。

 そこで俺は、自分の胴回りがベトベトになっていることに気付き、何だか嫌な予感がして鼻を近づけてみる。


「……うわっ、クサッ!?」


 それで俺は、自分の身に何が起きたのかを全て理解する。

 どうやら寝ている俺を起こすために、ロキが俺の体を咥えて激しく振り回していたようだ。


「あの……おにーちゃん、ゴメンね」


 ロキの涎でベタベタになっている自分の服を見て辟易していると、ミーファが近寄ってくる。


「ああ、ミーファも起きたんだね」


 俺は気を取り直してミーファの方を見やると、


「――っ!?」


 その途端、雷に打たれたように固まる。


「…………おにーちゃん」


 すると、ミーファが泣きそうな顔になって俺に手を伸ばしてくる。


「どうしたの? どうして泣いているの?」

「えっ……」


 そう言われて俺は自分の目へと手を伸ばす。

 すると、ミーファの言う通り、俺は涙を流していた。


「どうしたの? どこかいたいの?」

「こ、これは……違うんだ。そ、その……」


 俺は溢れてくる涙を拭いながら、慌てて言い訳の言葉を並べる。


 自分でもどうして泣いているのか本当にわからないのだ。


 ただ、心の奥で何か棘が刺さったかのような違和感が……何か大切なことを忘れているような気がするのだが、それが何だかどうしても思い出せない。

 それを思い出せない以上、俺は無理矢理にでも笑顔を作って必死に取り繕う。


「……ちょっと寝起きが悪くて涙が出てきただから大丈夫だよ。それより、何がゴメンねなんだい?」

「あのね……ミーファ、もうおうちに帰らないといけないの」

「えっ、あ、ああ……もうそんな時間か」


 空を見上げると、陽がかなり傾いて下の方は早くも赤く染まって来ていた。

 この世界の時刻は教会が奏でる鐘の音で判断するので、現在の正確な時刻は分からないが、おそらく日の入りが十八時ぐらいなので、今は十六時前後だと思われる。

 となればミーファぐらいの年代の子が帰宅するのは当然だろう。


「ミーファが帰るならお兄ちゃんが送っていこうか?」

「ううん、ロキが送ってくれるからだいじょーぶだよ」

「ワン!」


 ミーファがロキに抱きつくと「ワン」という頼もしい返事が帰ってくる。


「そっか、なら安心だな」


 ロキが送ってくれるなら俺の出番はないだろう。


「あの……おにーちゃん」

「ん、なんだい?」


 まだ何かあるのか、ミーファは手を胸の前でモジモジとさせながら見上げるように尋ねてくる。


「また、ミーファとあそんでくれる?」

「――っ!?」


 その蕩けてしまうような甘い声に、俺は堪らず自分の胸を押さえる。


 大丈夫だよな。穴、開いていないよな?


 何て馬鹿なことを考えてしまうくらい、今のミーファの言葉は破壊力抜群だった。

 ああ、きっとこんな俺を二人の親友が見たら、確実にロリコンと罵ってくるだろう。

 だが、これだけは言っておく。

 これはロリコンではなく、父性が爆発しているのだ、と。

 その証拠に、俺はミーファに対して邪な想いなど、一切ないと断言できる。

 他にも俺がロリコンでない理由を滔々と並べてもいいが、早くミーファの期待に応えたいので、俺はとっておきの笑顔を浮かべて彼女に話しかける。


「モチロンだとも。お兄ちゃんもミーファとまた遊びたいな」

「本当?」

「ああ、本当だとも」


 俺が力強く頷くと、ミーファの顔に大輪の花が咲いたかのように華やぐ。


「やったぁ、あのね、あのね……それじゃあ、やくそく!」

「ああ、約束だ」


 そう言って俺は、右手の小指をミーファへと差し出す。

 いきなり小指を差し出されたミーファは、コテン、と不思議そうに小首を傾げる。


「……それ、な~に?」

「これはね。お兄ちゃんの世界で約束する時にするおまじないなんだ」


 そう言って俺は、ミーファに指切りを教えてやる。


 …………そして、


「「ゆ~びきった」」


 二人で声を合わせて歌いながら、俺たちは指切りをする。


「……エヘヘ」


 指切りした後、ミーファは自分の右手小指を見つめながら頬を赤く染めてはにかむ。


「これでまたお兄ちゃんと会えるんだよね?」

「ああ、嘘吐いたら針千本飲まないといけないからね」

「キャー、こわ~い!」


 勿論、本当に針千本飲むわけじゃないことをミーファも理解しているが、無邪気にはしゃいでいる姿を見ると、俺の頬が自然と緩む。


「俺は普段からここら辺にいると思うから、次もここでいいかな?」

「うん、わかった」


 ミーファはコクン、と頷くと、蹲っているロキの背中に「よいしょ」と掛け声を上げながら跨る。

 ミーファが乗ったのを確認したロキは、ゆっくりとした動作で立ち上がる。


「それじゃあ、おにーちゃん。またね」

「ああ、またね。ロキ、ミーファをちゃんと送っていくんだぞ」

「ワン」


 ロキは任せろと吠えると、ミーファを連れて颯爽と駆けていった。

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