第82話 経験済み
「ん? 浩一、どうした?」
いきなり動きを止めた俺を見て、ボアステーキに齧り付いている雄二が首を傾げる。
「このステーキ、マジで病みつきなるくらい美味いぞ」
「あ、ああ……わかってる」
俺はゆっくりと頷くと、ボアステーキを食べるためにフォークを手に取る。
そのままナイフも取ろうとすると、
「ああ、そういやあんた。手、怪我してたね」
後ろから白くて細い手が伸びて来て、俺のナイフを横から掻っ攫う。
「その手じゃうまく切れないだろうから、あーしが切ったげるよ」
そう言ったソロは、俺の返答を聞く前にボアステーキにナイフを入れていく。
「あ、ありがとう」
俺は礼を言うと、身を引いてソロにボアステーキの皿の正面を譲る。
ソロは慣れた手つきてステーキを食べやすいように一口大に切ってくれると、その内の一つをフォークに刺して俺の眼前へと突き出してくる。
「ん……」
「えっ、何?」
「せっかくだから食べさせたげる。ほら、口開けな」
「えっ、いやいやいや……」
まさかのサービスまでしてくれるソロに、俺は赤面して激しくかぶりを振る。
「そ、そこまでしてもらうわけにはいかないって……」
「いいから、そんだけ怪我してんのあんただけなんだから、これぐらいの報酬はあってもいいでしょ」
「で、でも……」
「ああ、もう……いいから食えよ!」
ソロは苛立ちを露わにすると、一口大にカットされたボアステーキを俺の口に無理矢理ねじ込む。
「んぐっ!?」
不意打ち的にステーキを口に入れられ、俺は目を白黒させながらも抗い難い肉の旨味が口に一杯に広がり、喜びで思わず目尻が下がる。
それを見たソロは、してやったりと口角を上げながら質問する。
「どうだ。美味いだろう?」
「…………」
咀嚼に集中しているので言葉が出て来ないが、野性味あふれる暴力的な肉の旨味に、俺は何度も頷く。
それを見たソロは満足したように頷きながらほくそ笑むと、
「そうだろう。ほら、なんならもう一つ食べさせてやろうか?」
さらにもう一つ、フォークに肉を突き刺して差し出してくる。
「…………いいなぁ」
そんな俺たちの様子に、自分に素直な雄二が羨望の眼差しを向けてくる。
「な、なぁ、ソロ……俺にもあーん、ってしてくれないかな?」
「は? 何言ってんの」
雄二の言葉に、ソロは途端に氷のように冷たい眼差しになる。
「あーしがコーイチの面倒見ているのは、こいつが怪我しているのもあるけど、こいつはあんた達二人と違って童貞じゃないからだから」
「んなっ!?」
「えっ?」
まさかの一言に、雄二と……ついでに泰三も驚いたように目を見開く。
「な、なななな……何言ってんだよ。お、俺……別にど、どど、童貞ちゃうし」
「ぼ、僕はノーコメントで……」
待て泰三、それじゃあ自分が童貞だと暴露しているようなものだぞ。
それを口にしたら、泰三が泣いてしまいそうなので、俺は親友の名誉を守るために口にはせずに、ソロが言った言葉の真偽を確かめる。
「なあ、ソロ? その童貞ってどういう意味だ?」
「どうって……そのまんまの意味だよ」
ソロは「フン」と鼻を鳴らすと、その定義を話す。
「あーし等の間では、魔物を一匹も殺したことがない奴のことを童貞って呼ぶの」
「えっ……あ、ああ、そういう意味ね」
「そうだよ。何だと思ったのさ。あーし、自分の鼻には自信があるんだ。どう? 図星でしょ」
何処か確信めいたように語るソロに、雄二は歯噛みしながら渋々頷く。
「ま、まあ……確かにこの中で魔物を殺したことがあるのは浩一だけだよ」
「フフン……まあ、そういうこと。相手にして欲しかったら童貞捨ててからにしな」
「う、うぐぐぐ……じゃあ、その時はあーん以外にも、あれこれやってもらうからな」
「いいぜ、そう言って冒険者を辞めていった奴はごまんといるからな。あんたもその一人にならないように精々気を付けるんだね」
「フン、その言葉、忘れるんじゃねえぞ」
雄二とソロは火花を散らしながら睨み合う。
「…………やれやれ」
二人が睨み合っているお蔭で、ようやく自由になった俺は、一口大になったボアステーキをフォークに突き刺して食べる。
「うん、美味い!」
濃厚な香辛料の向こう側に確かに獣臭い感じはするが、実を言うと俺はレバーとか砂肝とかのクセのある系の食べ物が好物なので、今日のメニューの中ではこれが一番好みだったりする。
ただ、
「…………」
俺は視界の隅に映るナイフをちらと見やり、一抹の不安を覚えるが、
「…………よそう」
きっと気のせいだ。そう自分に言い聞かせて、残っている料理に取りかかった。
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