第61話 自然の恵み
それから俺とエイラさんは互いに言葉を交わすことなく、呆然と焚き火を見ていた。
パチパチと木々が爆ぜる音に耳を傾け、優しく肌を撫でる風を心地よく思いながら何もせず、ゆっくりと時間が過ぎるのをただひたすら待つだけというのも悪くない。
日本にいた頃は日々を忙しなく過ごすだけで精一杯で、こうして一つの場所に立ち止まって何もしないということをしようなんて思いもしなかった。
ひょっとしたらそういうチャンスは何度もあったのかもしれないが、社畜精神が体に染みついているのか、何もせずにいることが悪いことだと思っていた節もある。
あの時はそれが正しいと信じて疑わなかったが、日常から離れてあの時の自分を客観的に見てみると、忙しい忙しいと喜んでいたことが、何だか非常に無駄だったとさえ思う。
これからは時には立ち止まってみるのも悪くないな。そんなことを考えていると、
「おっ、何だか憑きものが落ちたような顔になったな」
俺たちに代わって湖から魚を取りに行ってくれたテオさんが戻ってくる。
「さっきまでかなりの疲れが顔に出ていたが、少し元気になったようじゃな」
「そう……ですか?」
疲れが顔に出ていたと言われても、俺にはそんな自覚は微塵もなかった。
そんなに疲れが出ていたのかな? と自分の顔を両手で揉んだり、ほぐしたりしてみるが、やはりというか俺には何のことだがわからない。
そうして首を傾げていると、テオさんが「ブハッ!」と盛大に吹き出す。
「それだけ余裕があれば、何も問題ないだろうさ。さあ、メシにしようか」
そう言ってテオさんは湖から釣って来た魚を掲げると、白い歯を見せて笑った。
テオさんが釣って来た魚は全部で十五匹。先程、俺たちが捕まえようとして失敗したカワマスに似た黄金色に輝く魚だった。
「さて……それじゃあ早速、こいつをいただこうとするかね」
テオさんは五匹の魚に向かって両手を合わせて合掌すると、ナイフを取り出してエラの下から腹に沿って慣れた手つきでナイフを走らせ、素手で内臓を取り出す。
内臓を取り出した魚に目から尻尾まで糸を縫うように串を通し、全体に軽く塩を振った後、尻尾にしっかりと塩を塗り込んで焚き火の熱が届く位置に突き刺す。
それから同じように魚を捌いて次々と地面に突き立てていくと、最初に焼きはじめた魚から香ばしい匂いが立ち始め、油の焼けるジュワジュワという音に腹の虫が空腹を訴え始める。
すると、
「…………何だかいい匂いがする」
「ふわぁぁ~……すみません。寝てしまっていたようです」
魚の焼ける匂いに釣られたのか、目を覚ました雄二と泰三がのそのそとこちらにやって来る。
「おっ、ヤバイ。いつの間にか魚を焼いてんじゃん。もしかして浩一とエイラさんが取って来てくれたのか?」
「そんなわけないだろう」
どうしてそんな結論になるのだと、俺は呆れたように嘆息する。
「いや、だってお前……」
だが、どうやら雄二は何か確信があったようで、俺とエイラさんを順番に指差しながらその答えに至った理由を話す。
「二人揃って着ていた服を乾かしているんだから、湖に入って魚を捕まえて来てくれたのかなぁって」
「その発想は間違っていないが、俺にそんな能力があると思うか?」
その質問に、雄二は俺の顔を見て暫し考えるそぶりを見せるが、
「…………ないな」
あっさりと切って捨ててくれる。
「あるとすれば、チャレンジはしたけど全く取れなかったってとこか?」
「……正解だよ。テオさんが取って来てくれたんだよ」
「だろうな。だって俺たち、ただのゲーマーだもんな」
雄二は悪びれもせずにそう言うと、俺の隣に腰かけてテオさんに魚を食べても大丈夫かの確認をすると、早速その内の一本へと手を伸ばすと、
「いっただきまーす」
威勢よく挨拶しながら大口を上げて魚へとかぶり付く。
「うん、ヤバイ! 美味い!」
雄二は大きく目を見開いて何度も大きく頷くと、満面の笑みを浮かべながら再び魚にかぶり付く。
「うんま…………うまうま…………」
口の端に塩の破片が付いているのにも構わず、夢中になって魚にかぶり付く雄二を見て呆気に取られていると、
「ほれ、コーイチもタイゾーも遠慮なく食べるといい」
にんまりと優しい笑みを浮かべたテオさんが俺たちに魚を差し出してくれる。
「この魚は熱いうちに食べるのが一番美味いぞ!」
「はい、それじゃあ……」
「いただきます」
俺と泰三はテオさんから恭しく魚を受け取ると、それぞれ口を開けて魚を頬張る。
「――っ、これは……」
「美味しい……」
口いっぱいに広がる魚の旨味に、俺たちは揃って驚く。
先ず何より驚いたのが、テオさんが結構な量の塩を振ったはずなのに、口の中に何よりも感じたのは、魚の油と思われる強烈な旨味だった。
しかも、
「……甘い」
そうなのだ。信じられないものを見るように何度も魚を見やる泰三が言うように、この魚の身は甘味を感じるのだ。
甘味といっても砂糖の甘みではなく、A5ランクの牛肉を食べた時のような上質な油が持つ上品な甘さが口いっぱいに広がっているのだ。
聖域の湖の水質が影響しているのか、小さな体に無限の美味さを秘めた魚の魅力に、俺の頬は緩みっぱなしだった。
「フフッ、皆さん、本当に美味しそうに食べますね」
あっという間に最初の一匹を食べ終え、次の一匹に手を伸ばそうかどうかを思案している俺たちを見て、エイラさんが嬉しそうに破顔する。
「私とおじさんは保存食を食べますから、よかったらこの魚は皆さんで召し上がってください」
「えっ、でも……」
「いいんです。私たちは何度もここの魚を食べていますから。ね? おじさん」
「ああ、そんな嬉しそうに食うの見せられたら、お前さんたちの分を食っちまう方がよっぽど気が引けちまうよ」
だから遠慮なく食べなさい。そう言われて俺たちは揃って顔を見合わせる。
これまで受けた恩に対して何も返せる当てがないのに、このまま二人の厚意に甘えてしまっていいのだろうか?
互いに言葉として発していないが、おおよそそんなことを思っていたが、そのタイミングで俺の腹が早く次の魚を食えと謂わんばかりに盛大に鳴る。
「…………あっ」
「フフフっ、コーイチ様。どうか遠慮なさらないで下さい。皆さんの美味しそうに食べている姿を見られるだけで、私たちは十分ですから」
そう言ってエイラさんは、俺に二匹目の魚を差し出してくれる。
そこまで言われてしまったら、もう断る理由は何もなかった。
「それじゃあ」
「遠慮なく」
「いただきます」
俺たちは恭しく次の魚を両手で受け取ると、二匹目の魚に取りかかっていく。
その後、全ての魚が俺たちの胃袋に収まったのは言うまでもなかった。
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