第59話 生きている実感

 それから俺は、エイラさんの動きを注視しながら腰を落として魚を待ち構える。


 エイラさんはこの手の作業になれているのか、補足していた二匹の魚を逃がすことなく上手く俺の方へと誘導する。

 魚に詳しくないのでよくわからないのだが、結構なサイズの二匹の魚は、いざ捕まえるとなると片手だけですんなり捕まえられるとは思えなかった。

 となると、捕まえる時は体ごとぶつかって胸の辺りで抱える必要がありそうだな。

 そんな憶測を立てながら魚を捕まえる過程をシミュレートすると、俺のすぐ目の前にエイラさんによって追い立てられた魚がゆったりと泳いでくる。


 エイラさんは俺と目を合わせると、


「コーイチ様は、左をお願いします」

「わかった」


 二人で同時にそれぞれ別の魚に飛び付いて捕まえることを確認すると、俺は指示された左の魚へと視線を定めると、


「おりゃ!」


 溜めていた力を解放するように気合いの雄叫びを上げながら左の魚へと飛び付く。

 すると、


「あだっ!?」

「きゃん!?」


 突如として目の前に星が散り、俺は水飛沫を上げながら後方へと倒れる。

 湖の中に倒れてしまった俺は、全身ずぶ濡れになりながらも溺れないように慌てて起き上がる。


「が、がぼがぼ…………ゲホッ、ゲホッ!」


 幸いにも水深はそれほど深くないので簡単に起き上がることはできたが、完全に不意を討たれた格好だったので、たらふく水を飲んでしまい、俺は激しく咳き込む。

 な、何が起きたんだ。俺は何故かズキズキと痛む額を擦りながら周りを見る。


「あうううぅぅ……痛いです」


 すると、同じように全身ずぶ濡れになったエイラさんが両手で額を押さえながら涙目になっていることに気付く。


 それを見た俺は、あれ? と首を傾げる。

 もしかしてエイラさん、俺と同じ魚に飛び付いたのか、と。

 エイラさん自身から左の魚に飛び付くように指示したというのに、俺と同じ方向に飛び付いたとなるとその理由は一つしかない。


「エイラさん……もしかして自分から見た方向で俺に指示を出しましたね?」

「あうぅ……ごめんなさい」


 涙目のエイラさんは、ペコペコと頭を下げながら謝罪する。


「そうでした。コーイチ様と向かい合っているのですから、左右が逆になっているのすっかり忘れていました」

「ああ、いえ……俺も確認しなかったのが悪いですから」


 何度も「ごめんなさい」と繰り返しながらペコペコ頭を下げるエイラさんに、俺も恐縮して頭を下げると、


「あがっ!?」

「ひゃうっ!?」


 俺たちは再び頭をぶつけてしまい、目から星を飛ばしながら揃ってひっくり返って盛大に水飛沫を上げる。

 ひっくり返った姿勢から起き上がった俺たちは、互いにずぶ濡れになっている顔を見ると、


「フフッ…………」

「ハハッ…………」


 何だか可笑しくて、どちらともなく笑い始める。


「ハハ……ハハハ………………アッハッハッハッハッハッハッハッハ……」


 程なくして笑い止むエイラさんに対し、俺は腹を抱え、湖の中で半ば溺れるのも構わず我を忘れたように笑い転げる。


「ハハハハハ、フヒ~、ヤ、ヤバイ……お腹痛い」


 互いに相手をよく見てなくて頭がぶつかってしまった。何処にでもあるようななんてことはないことなのだが、どうしてか俺は込み上げてくる笑いを堪えることができなかった。


 それは多分、これまで張っていた緊張の糸が切れたことが原因かもしれなかった。


 この世界に来て、いきなり滅んだ城に放り込まれ、周りは見たこともない魔物だらけ、さらには二度と会うことはないと思っていた課長を見つけ、壮絶な死の瞬間を目撃してしまった。

 そして、極めつけは、城のボス、サイクロプス討伐からのバンディットウルフの襲撃。

 何か一つでもボタンの付け違いが起きていたら俺たちの命はなくなっていた。正に紙一重の連続でたまたま命を繋いでこられたに過ぎない。


 それがエイラさんとテオさんに出会って、ようやく心安らげる時間を手に入れられた。その喜びが爆発したからこそ、こんな些細なことでここまで大笑いできたのだろう。


「お~い、コーイチよ。エイラは見つかったか?」


 するとそこへ、いつまでも戻らない俺を心配してテオさんがやって来る。

 そして、ずぶ濡れになりながら笑い転げる俺を見て目を見開くと、とっくに笑うのを止めて呆然としているエイラさんへと話しかける。


「……なあ、何か特別面白いことでもあったのか?」

「あっ、いえ……その……」


 話を振られたエイラさんは、何と答えたらいいかわからず困ったように笑うだけだった。




 その後、テオさんは俺たちの濡れた服を乾かすため、そして冷え切ってしまった体を温めるために焚き火を用意してくれた。

 雄二と泰三はまだ眠っていて、テオさんは俺たちのために魚を取って来ると言って、自作の釣竿を持って湖の方へと行ってしまったので、奇しくも再びエイラさんと二人っきりの状況になってしまった。


 今、俺とエイラさんは着ていた服を乾かすため、互いに身に付けているものはタオル代わりの大きな布だけという状況だが、幸いにも布のサイズがかなり大きく、隠すべきところはしっかりと隠れているので、目のやり場には困らない。

 それに、色々と吹っ切れたお蔭か精神的に随分と余裕が出てきたので、ちょっとやそっとのことで動揺することはないだろうと思うくらい落ち着いていた。


「……すみません、みっともないところを見せちゃって」


 パチパチと爆ぜる火花を見ながら、俺は巻き直してもらった左手の包帯を弄りながらエイラさんに話しかける。


「エイラさんと頭をぶつけたあの時、ああ……俺、生きているんだって思ったんです。そしたら今まで溜まっていた鬱憤が爆発したみたいに可笑しくなっちゃって……」

「そう……だったんですね」


 俺から話を聞いたエイラさんは、ホッとしたように大きく息を吐くと、優し気な笑みを浮かべる。


「お話を聞いた限り、ノルン城ではかなり苦労されたみたいですからね。生きていることを実感できたから笑ってしまったというコーイチ様のお気持ちはよくわかります」


 エイラさんは深く頷くと、眦を下げて困ったように笑う。


「そういう子たちを、私は沢山見てきましたから……」

「えっ、それって……」

「はい……実は私、孤児院の出身なんです」


 そう言ってエイラさんは、自分の生い立ちについて話し出す。

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